18 捕食者
「どうして……こんなこと……」
朦朧とする意識のなか、声を漏らすモモカに対し、若い男は頬を濡らしながら声をあげた。
「もう何をしても無駄なんだよ……どこへ行っても逃げられない……なら、やるこたぁ一つしかねえだろ? な?」
そう言い、若い男は鉄斧を壁に立てると、身に着けた囚人服を脱ぎ始めた。
「いったい何を……きゃっ!」
男はモモカの足を強引に掴み取り、彼女の裾を強引にたくし上げた。
「やめて! いやっ!」
「抵抗するなって! 男と女にできることはもうこれしか残ってねぇんだって! 快楽に身を委ねようぜ? な? そうすりゃ目の前の地獄を忘れて楽になれるってもんだろ!」
モモカは必死に抵抗した。
だが、男の腕力の前では無力に等しかった。
……彼女の心が屈しかけたその時、
──ズウンッ!!
大きな揺れがした直後、半分残った城の建物を巨大な影が覆う。
「……?」
背筋に冷たい悪寒が走った彼はゆっくりと後ろを振り向いた──
するとそこには、一本角を頭に生やした巨大な顔があった。
眉間の下に一つしかない巨大な目玉がぎょろりと動く。
巨人はモモカを組み敷いた若い男を覗き込み、巨大な腕をゆっくりと伸ばした。
「あ……うぁ……や、やめろ……!」
巨大な手が若い男を掴み取る。
握りしめた巨人の拳から、かろうじて頭のみが外の空気を浴びることを許された若い男は助けを求めてしきりに叫んだ。
そんな様子を巨人は楽しげにまじまじと見つめる。
「ひぃっ! 離せ! 離してくれぇ!」
やがて、巨人は新しい玩具を手にした幼児のように満足げに笑い、地面を踏み鳴らして城の建物から去って行った。
すると、土煙から別個体の巨人がぬらりと顔を出す。
「……!」
顔を引きつらせるモモカを二体目の巨人がじぃっと見つめる。
巨人はニタリと笑みを浮かべながら腕を伸ばす。
モモカの身体に巨大な指が触れた。
次の瞬間──
稲妻のような閃光がモモカの横を奔り抜け、巨人の手に炸裂した。
「グワァアアアッ!」
巨人の絶叫が空をつんざいた。
巨人の焼け焦げてしまった自身の手を見て取り、顔をグシャリと歪める。
そこへモモカのもとに一人の騎士が降り立った。
黎明騎士団・団長ヴェルカンだ。
すると、灰色髪の褐色肌をした小柄な騎士の肩にとまった機械仕掛けの鳥が甲高い男の声をあげる。
「クリーンヒットォ! さすがヴェルカンの旦那ァ!」
途端、ヴェルカンの鉄製面具がカチャリと閉まり、露出していた口元が面具の下に封じられる。
「大丈夫か。って……大丈夫じゃなさそうだな」
「あなたは……」
「今すぐここから離れろ。ちんたらしてたら死ぬぞ!」
「で、でも……身体が……動けなくって……痛っ!」
ヴェルカンは立ち上がることが出来ずにいるモモカを見て取り、大きなため息を吐いた、
「ったく、めんどくせえな!」
ヴェルカンは仕方なしにかがんで、モモカの背中に手を回すと、彼女の上体を起こした。
モモカの腕を取り、自身の肩に彼女の腕を回したヴァルカンは立ち上がる力を利用し、モモカの身体を立ち上げさせた。
二人はよろめく巨人を背にして螺旋階段を降りていく。
どうにか建物から出られたモモカだったが、彼女の耳に土煙から助けを求める囚人達の声が届き、足をピタリと止める。
「待ってください! 他にもまだ人が!」
「……」
ヴェルカンは黙ったままモモカの身体を力任せに引っ張り、前へと進み続けた。
それでも助けに行こうとするモモカにヴェルカンはついに面具の下から声をあげる。
「お前は自分がいま置かれてる状況をよく考えろ! 人一人にできる事には限度ってもんがあるだろうが!」
「っ……」
その一言にモモカの瞳が揺れる。
返す言葉が見つからなかった。
ヴェルカンに抵抗するのを諦め、再び前へと進み始めたモモカ。
しゅんと落ち込んだモモカの顔を横目でちらりと見たヴェルカンは面倒くさそうにため息を漏らす。
「お前がここでくたばったら、この先お前が救えたかもしれない命がだいぶ減る。それでもいいのか?」
「……!」
その言葉に活力を失っていたモモカの瞳に再び光が灯り始める。
モモカは顔をあげ、ヴェルカンの顔をじっと見つめた。
彼女の視線に気づいたのか、ヴェルカンはモモカから顔を反らし、空に向かってぼやいた。
「ま、お前が何人助けるつもりなのかは知らねえが」
ヴェルカンの言葉には相変わらず厳しいものがあったが、そこに先ほどまでのトゲは生えていなかった。
モモカは彼なりの気遣いを受け取り、ほんの少しだけ口元を緩めた。
その途端、モモカはふと“何か”を思い出し、ヴェルカンに引きずられていた片足に力を入れ、立ち止まった。
「リクト様は!? まだここにいるんですか?!」
「あ? リクト?」
ヴェルカンは最初、誰の事か見当もつかない様子だったが、少し間を置いたのち「ああ。あいつか」とそっけなく返した。
「あいつは大丈夫だ。俺の部下がついてるから安心しろ」
そう告げて二人は再び歩みを進める。
だが、何本目かの柱を通り越したその時、ヴェルカンが歩みをとめた。
「……おい。そこに隠れてるんだろ?
さっさと出て来いよ」
ヴェルカンは眼光を鋭くして、一振りの剣を柱に向けたる。
……すると、ザンバラ髪の男が柱の陰からひょっこりと顔を出した。
モモカは彼の姿を見るなり、表情を明るくする。
「あなたはさっきの!」
「なんだお前、あいつと知り合いか?」
「はい。この方は私を……牢屋から出してくれたんです」
「こいつがお前を? ……へぇ」
ザンバラ髪の男は頭をかいてぎこちなく笑った。
ヴェルカンは鋭い目つきのまま男に向けた剣の切っ先を下ろした。
「助かったな、パイソン。この女がいなかったら問答無用でお前を斬り伏せてたところだったぞ」
「へへへ。そ、それは悪い御冗談を……」
「とにかく、お前も来い。妙な真似したら即斬るからな」
こうして、パイソンを含めた三人は倒壊しかけた城をあとにした。
だがこの時、モモカは気づかなかった。
自分に向けられた“敵意”に──。




