17 善意と悪意
突然、地響きとともに下から突き上げてくるような大きな揺れが、モモカを眠りの底から叩き起こした。
見渡すと、そこは薄暗い牢内。
ドズン、と牢内が揺れるたびに壁と天井からはパラパラと小石が落ちてくる。
モモカはすぐさま上体を起こし、ジャラジャラと鳴る足枷の鎖を引きずりながら、扉の小窓にまでたどり着くと小窓からそっと覗き込んだ。
「死にたくねえ! ここから出してくれ!」
「こんな時にあほ騎士どもは何やってんだ! 俺らを殺す気か!」
囚人達の叫び声がこだまするなか、通路の奥にある螺旋階段に視線を移すと、兵士達が慌ただしく上から下の階へと降りて行く様子が見えた。
助けを求める囚人達の叫びは兵士らに届く事はなく、空しく通路内に響くだけだった。
瞬間、モモカの目の前を人影が横切った。
「──あのっ! すみませんっ!」
モモカは横切った人影に向かって力いっぱいに叫んだ。
「?」
すると、彼女の声が届いたのか、影の主は振り返り、モモカのいる牢の前にゆらりと歩み寄る。
影の正体が判明し、モモカの顔がみるみるうちにこわばっていく。
痩せ細った身体とザンバラ髪、
そして血走った眼球……。
その姿はまるで生に執着して彷徨うグールのように見えた。
だが、目玉をぎょろちとこちらに向ける男の顔を目にしたモモカは彼にほんの一瞬だけ親しみを覚えた。
彼の顔立ちがどこか同郷の顔に似ていたからだ。
妙な親近感を感じたのも束の間、何気なく彼の両手首に目をやると、男の手首には鎖を切断した後の手錠がちらりと見えた。
「!」
ぞくりとしたものがモモカの背筋を走る。
相手は兵士ではなかった。
牢から抜け出した囚人──
男は飢えたケダモノのような目つきでモモカの顔を覗き込み、掠れた声で言った。
「あんたか? 俺を呼んだのは」
「は、はい。……あの、何があったんですか? 私……先ほどまで眠ってしまっていて……」
「俺も詳しい事はよく分からねえよ。だが、とんでもねえバケモンが攻めてきたみてえだぜ? この揺れだと、この城も長くは持たねえだろうな」
「そんなっ……!」
焦る様子を見せるモモカ。
男はモモカをしげしげと見つめながら「出たいか?」と彼女に囁く。
モモカは男の顔を見やる。
逡巡の末、モモカは小さく頷いた。
「よし。なら俺が出してやる。ちょっと後ろにどいてろ」
彼女の覚悟を受け取った男はズボンのポケットから鍵束を取り出した。
どこからその鍵を手に入れたのだろうとモモカは彼をほんの少し疑ったが、いまはそれを考えている状況じゃないと頭に浮かんだ嫌な考えを振り払う。
すると、男は鍵穴に差しこんだ鍵をガチャガチャとやりはじめ、そして──
……ガチャッ。
小気味のいい音が鳴り、鉄製の扉が音を立てて開いた。
「ほら、お嬢ちゃん。開いたぜ? さっさと出な!」
男に促され、モモカが通路に出た途端、周りの牢から囚人らの声が一斉に飛び交った。
「おいおい! 女だけ出すとはずるいぜ!」
「俺も出してくれよ!」
しかし、ザンバラ髪の男は彼らの声を聞き入れる様子もなく、手に握りしめた鉄斧をモモカに向けて振り上げた。
「きゃっ」
モモカは一瞬身をすくめた。
だが、彼が断ち切ったのはモモカの足枷と手錠を繋いだ鎖だった。
「あ……ありがとう御座います」
「お嬢ちゃん。もしもこの先死んでなかったら、またどこかで会おうぜ。一杯おごってやるからよ」
そう言い残し、男は鉄斧を捨てて通路を走り去っていった。
小さくなっていく男の背中を呆然と見送り、一人ポツンと通路に取り残されモモカは必死に頭を巡らせた。
牢に閉じ込められた囚人達はまだ大勢いる。
彼らをどうにか助ける方法は無いのか、と。
「お願いだ! 俺も出してくれよ! な?! 頼む!」
「あんたも俺達を見捨てるのかぁ!?」
「──っ!」
やがて、意を決したモモカは男が捨てた鉄斧を手に取った。
目の前の牢に向かってモモカは重い鉄斧を振り上げ、牢にかけられた南京錠に一撃を加える。
「皆さん! 諦めないで下さい! 必ず! 出しますからっ!」
すると、城内の揺れが一段と激しさを増し始めた──
地下牢の通路で何度か鉄を叩く鋭い音が響いたのち、
ガシャン!
ついに錠を叩き割ることに成功し、牢の扉がわずかに開いた。
「やったっ! 開きましたよ!」
思わずガッツポーズをとるモモカ。
扉の隙間から顔を出してあらわれたのは、げっそりと痩せ細った若い男の顔だった。
若い男はモモカの顔を見て安堵したのか、目を潤ませる。
「あぁ……ありがとう……」
「さぁ、早く出てきてください!」
モモカは鉄斧を彼に手渡した。
自身の鎖を断ち切った若い男は表情を緩ませながら牢から一歩足を踏み出した。
その次の瞬間──
ゴシャアアアアッ!
突然の大きな地響き。
突如、足元が浮き上がるような衝撃が走る。
その直後、モモカがいた通路側と若い男が閉じ込められていた牢とが二つに分断した。
「うわああああああ!!」
若い男はためらいを捨てて床を蹴り、モモカがいる通路側に向かって飛んだ。
通路側の建物はわずかに傾く程度で済んだ。
しかし、もう一方の若い男が先ほどまでいた牢のある建物部分は倒れ、舞い上がった土煙のなかに消えてしまった。
「あぁ……うぇ……うぁ」
若い男は肩を激しく動かしながら声にならない声を漏らした。
あと一歩遅ければ、彼も倒壊した建物と運命を共にしたことだろう。
倒壊した建物を土煙が覆うなか、その向こうに見える城下町を目にしたモモカは言葉を失った。
……そこには、岩の都市バイセルンの姿は見る影もカタチもなかった。
崩れた岩の中を逃げ惑う住民──
土煙に浮かんだ五つの巨大な人影が町を闊歩し、次々と住民を掴み取っては、口の中へと放り込んでいった。
絶望的な光景を前にして、若い男は両ひざをつき、力のない声を漏らす。
「この世の終わりだ……もう……どこにも逃げ場は無ぇ」
うなだれる若い男にモモカはかける言葉が見つからなかった。
すると、突然若い男が立ちあがり、喉が擦り切れるほどの勢いで雄たけびをあげた。
「神がお怒りになっているのだ! 穢れた人間への天罰が下されたのだ! もう誰にも止めることなどできない! 神が満足するまで天罰が終わることは決してない!」
叫び続ける若い男の肩に手をかけたモモカは若い男を必死になだめた。
「ここにいても危険です! はやくこの場から離れましょう!」
モモカの芯の入った声が届いたのか、若い男は大人しくなった。
「……そうだな。逃げ、なくちゃ……」
弱々しい声で答える若い男を奮い立たせるようにモモカは続ける。
「まだ生き残れる可能性はあります! 一緒に頑張りましょう!」
そう言い、モモカが下の階へ繋がった螺旋階段に視線を移した次の瞬間──
──ガンッ!
「っ!?」
直後、モモカの後頭部に衝撃が走った。
崩れるようにバタリと床に倒れたモモカの頭にじわりじわりと痛みが広がっていく。
身体が言う事を聞かず、意識が朦朧とするなか、モモカは目だけを必死に動かした。
途端、モモカを見下ろす若い男と目が合った。
彼の手には、血に濡れた鉄斧が握られていた。




