12 第二の召喚獣
バイセルン城の地下牢で突然、銃声が轟いた。
その音に引き寄せられるように衛兵の男が一人やって来る。
衛兵の男が鉄扉の小窓から覗きこむと、牢内で窓の外に手を出した格好で佇んでいる蒼髪の少年と目が合った。
「いや~なぜか急に外の空気を吸いたくなりましてぇ……」
ぎこちない笑みを浮かべるリクト。
衛兵の男の鋭い視線が、リクトの手に移る。
視線の先でリクトの手に握られていた魔導銃がキラリと鈍く光った。
「De dvilgaysya tuba!」
途端、衛兵の男が声を荒げた。
しかし、男の言語が急に聞き取れなくなり、リクトは困惑する。
それはまるで、日本語の吹き替え音声で観ていた映画が突然、英語の音声に切り替わったような何とも言えない気持ちの悪さだ。
リクトは場の状況で理解した。
「翻訳魔法の効果が完全に切れた、ってことか」
これからは相手とのコミュニケーションが難しくなってくる。
そう思うと、頭が痛くなった。
「Istavaysya na weste!」
衛兵の男がしきりに叫んでいる。
牢内にいる囚人が銃を持っているのだから、衛兵の対応が厳しくなるのは当然なのだが、今のリクトにはまだ相手の気持ちを汲み取るほどの余裕は無かった。
「なに言ってるのか分かんないよ! とにかく落ち着いて! 暴れないから!
ドゥーユーアンダースタンド?」
突発的に飛び出した英語も相手には通じなかったようで、衛兵の男はさらに興奮した様子になり、腰のベルトに差した警棒を手に取った。
リクトは咄嗟にそれはまずいと本能で直感した。
衛兵の男は牢の鍵を開け、牢内へ入り、リクトに向かって警棒を思いきり振り上げた。
「っ!」
リクトは思わず目を力いっぱい閉じた。
……だが──
「……ん?」
……ところが、いくら待てども、衛兵の男からの制裁は無かった。
リクトがゆっくりと目を開ける。
すると、どういうワケか、衛兵の男の目はだらんとした様子で、泥酔したかのように力なく半目になっている。
「bochemu……? Vnedapnoz……donnyy……」
衛兵の男はフラフラと牢の中をさまよい歩くと、最終的に男の頭がカクンと後ろに垂れ、そのまま床の上にバタリと倒れた。
しん、と静まり返った牢内──
目の前で倒れた衛兵の男をリクトが心配そうに上から見下ろし、声をかける。
「……あ、あのう~……大丈夫ですか?」
返事はナシ。
途端に不安が胸の奥から込み上げてくる。
「もしかして……死んでる?!」
「いえ。生きていますよ。ただ眠っているだけです──」
ふと、窓の外から少女の声がした。
リクトが窓の外を振り向くと、窓に取り付けられた鉄格子の向こうに少女らしき頭の影が見えた。
その声にリクトは妙な懐かしさを感じ、窓に近づく──
「お久しぶりですね。
まさかこんなところでマスターのお顔を見る事になるなんて……“現世は常夜の夢よりも不思議なり”ですね」
窓の外に佇んだ少女の人影はそう告げた。
彼女のシルエットをしばらく見つめていると、
「……もしかして、“メア”?」
気が付くと、頭の中に想起した名前が口から出てしまった。
少女の人影は肩を落とし、ため息を吐いた。
伸ばした前髪で片目を隠したメアが、無気力な目でじとりとリクトを睨む。
「他に誰がいるんです?
私を召喚したのは他ならぬマスターです。
用が無いのでしたら、駒に帰らせていただきます!」
「あー! ごめんごめん! ちょっと待って!
帰らないでっ! きみの力が必要なんだ!」
* * *
──《夢魔》。
人の眠りを害し、悪夢を見せると云われるモンスターであり、《淫魔》の仲間だ。
黒髪の前髪で片目を隠し、後ろに伸ばした長い髪と横髪部分は鮭色に染まっていて、頭の上にちょこんと生えた馬の耳さえ除けば、外見は普通の少女の姿をしている。
しかし、これはあくまで“仮の姿”。
右手の甲には『S』の文字に似た魔法文字が刻まれている。
彼女が召喚獣である事の証だ。
年頃の少女の内に秘めた色気を表に出したような黒のシースルードレスを身に纏いし彼女の服装は、人間の精気を吸い取るサキュバスの伝承を受け継いだデザインになっており、成人向けの同人誌に出張しては、世の男達のけしからん存在になっていた。
──……しかし、それも今となっては、それも懐かしい話だ。
「ZZZZ……」
メアの固有スキル《夢ノ籠》──
メアが場に現れた際、一人の対戦相手を対象とし、強力な催眠効果を与え、《寝ボケ》状態にする。
その効果は一定時間続く。
《夢ノ籠》の効果によって、足元で絶賛爆睡中の衛兵を横目にリクトは鉄格子の窓の向こうに立つメアに今までの事をかいつまんで話した。
しかし、ゲームの頃の話まですると、ややこしくなるため、メアに話したのはこの世界に来た時点からにしておいた。
「……なるほど。事情はお察ししました」
「分かってくれてほんと助かる」
「“目覚めの世界”で私は無力です。なので、飛び道具ではありますが……」
……そう言った次の瞬間、メアの片目が黒く染まった。
すると、足元で眠っていたはずの衛兵がゆらりと立ち上がった。
背後の気配に気がついたリクトは動き出した衛兵を目にして思わず素っ頓狂な声を出した。
「大丈夫ですよ。彼はまだ眠っています。
ここからですと私は城の中に入れませんので、《心操支配》を使って、彼を遠隔で催眠操作しています。
何か彼に指示を与えてください。
私が彼の心に伝えて命じますので」
メアに促され、リクトは衛兵の男に顔を向けると、しばらく考えた末に口を開いた。
「人の目に触れずになんとか外へ連れ出してほしい。
それと、出る前にモモカさんの居場所と、通訳をしてくれた《妖精》のところへ案内してくれると……助かる」
「グカッ……zzzz」
「今のって、『分かった』て意味?」
メアは口角を緩ませて静かに頷いた。
「彼の名前はマクシムだそうです。素敵な名前ですね」
マクシムは寝息をたてながらくるりっと振り返ると、フラフラとよろめきながら牢の外へ出て行った。
「メア、力を貸してくれてほんとありがとう」
そう告げると、メアは優しく微笑んだ。
「いいえ。それが召喚獣としての務めですから」
鉄格子の窓越しにリクトは彼女の手を握った。
「また後で」
「ええ。また後で……」
メアは柔らかな声で約束したのち、そっとリクトの手を離す。
「Poz'mi wenya Dozhe! Vozhaluysda!」
牢から外に出ると、たちまち向かいの牢からパイソンが呼び止めた。
「ごめん。あなたが何言ってるのか、ぼくにはさっぱり分からない……」
パイソンは必死に叫んで訴えたが、言葉の壁を乗り越える事ができないでいると、しまいには泣き崩れた。
彼の鼻をすする音が地下牢の通路に鳴り響く。
困り果てていると、頭の中でメアが囁いた。
〈どうかしましたか? マスター〉
〈うわっ! び、びっくりした……! メアって、テレパシーも使えるの?〉
〈前にもこうしてお話した事があるじゃーないですか。それよりも、何があったんです?〉
それからリクトは、かくかくしかじかとメアに状況を説明した。
〈恐らく、彼は『ここから出してほしい』って訴えてるんだと思う。だけど、彼を連れて行っていいのかな?〉
〈それは私が口出しする事ではありません。マスターの意思に私は従います〉
リクトは頭をかきむしりながら考え込んだ。
……パイソンを連れ出すべきか、
もしくは彼を置き去りにしてこのまま逃げるか──
これがもしゲームだったら、このイベントの正しい選択は、一体どっちなんだ……?




