10 決意の夜に
月の光が小窓から差し込んだ地下牢の檻の中。
リクトは疲れきった顔で薄汚れた壁に背中をぴたりとつけると、ずりずりと滑り落ち、膝を抱えて座り込んだ。
目蓋の裏では数分前の記憶が再生された。
話は今から二十分ほど前に巻き戻る──
「……きみは“《魔物使い》”だな?」
薄暗い部屋の中。
尋問官の男は両手を口元で組み、机上に両ヒジを立てた姿勢でリクトを睨んだ。
その口ぶりから察するにどうやらモモカさんから大体の情報は得たらしい。
彼のフクロウのような目の奥にはリクトに対する鋭い敵意が感じられた。
リクトは静かにコクリと頷く──厳密に言えば《魔物使い》じゃなくて《召喚士》だけど、どっちも似たようなものだし、説明するのも面倒だから指摘するのはやめておこう。
ふむ、とセオドアは顎に手を当てると、椅子の背もたれに背中を預けた。
「本来であれば《ワイヴァン》を許可なしに討伐した者には、厳しい罰が与えられる。
だが、君が《魔物使い》であるのなら、話は別だ」
セオドアの話によれば、この大陸には今からおよそ3千年前、強大な力を持った《魔物使い》の男がいたらしい。
その男の名は『レオニード』──
なんでも、レオニードなる男は野性の害モンスターが巣食う土地に強大なモンスターを解き放ち、土地を開拓した英雄なんだとか。
その男が本当に実在したのかは分からないが、彼いわく今この世界で《魔物使い》という存在はかなり希少な存在なのだという事が窺える。
それにレオなんたらのお陰で自分の罪が少しでも軽くなるのならば、話に乗っておいたほうがいいかもしれない。
「……だが、あれから巡り巡って、この日にまさか我々の前に再び《魔物使い》が現れようとは……。
厄日が続いた我々にも、ついに運が向いてきたという事だな」
セオドアは一人ブツブツとつぶやいている。
「あのう。一つ質問してもいいですか?」
「? なんだね」
「どうしてワイバー……いや、《ワイヴァン》を討伐してはいけないんですか? あなた達からしたら害竜なんでしょう?」
「それは……いや──」
セオドアは言いかけて言葉を切り、リクトから視線を反らした。
「《黒竜》は“害竜”などではない」
「……え?」
セオドアはリクトに鋭い視線を戻すと、再び口を開く。
「《黒竜》は──“神の子”だ」
……彼の話を要約すると、話はこうだ。
今からおよそ45年ほど前。
岩山に囲まれた小さな村に突如として、痩せ細った老人が現れた。
老人を憐れんだ村の人々は老人に食べ物を恵んだ。
空腹を満たして力を取り戻した老人は村の人達を気に入り、自らの正体を明かした。
『私は神である──』と。
しかし、村人は当初、誰も老人の話を信じなかった。
ところが、老人が空に向かって手を叩くと、天から大量の魚が降ってきた。
その後も老人は様々な神通力を村の人達に披露した。
やがて、村人達は彼を本物の神だと認め、老人の指示に従って土地を広げた。
そうやって、“神が統べる地”が誕生した、らしい。
「……それって、別にいい神様なんじゃ?」
「ここまでは、だ」
セオドアの話はなおも続く。
老人は自らを『豊穣の神ギレオン』と名乗り、人間の花嫁を要求してきた。
村の中から選んだ女性と子供を作り、女性の腹を裂いて現れたのが《黒竜》だった。
そして、ギレオンはそれからも町の平和と引き換えに生贄を欲し、今に至る──という話だ。
「……我々が《黒竜》を狩るのは、奴らの数が基準値を超えた時のみだ。例外は認められん《黒竜》狩りは司教が認めた黎明騎士団にのみ与えられた役目であり、人類を守るため、大陸中の害モンスターを討伐する使命を背負っている」
「でも、《黒竜》が仮に神の子だとして、人喰いのモンスターをそのまま野放しにするのはちょっと理解ができませんが」
すると、セオドアはスッと話題を変えるように言った。
「君はこの町を見ただろう」
「はい。馬車の窓から少しだけ見えましたけど……?」
「この要塞都市は外敵からの侵略に備えているのとは別にもう一つの側面がある」
「というと?」
すると、セオドアは途端に口を閉じた。
そこでリクトは「まさか」とつぶやく。
背筋に冷たいものが走った。
「まさか……戦うつもりなんですか……その“神様”と」
セオドアは目を細め、口元にスッと人差し指を立てた。
「そこでだ。君に一つ“頼み”がある。
これは王様からの内密な依頼だ。心して聞け」
……そして時は戻り──
地下牢で目を開けたリクトは、石壁にもたれながら三角座りをした姿勢で顔を小窓に向ける。
耳の中ではセオドアからの厄介な頼みごとが繰り返しこだました。
『神の子である《黒竜》を殺せるほどの強大なモンスターを扱える君ならば、神を殺す事も可能のはずだ。
この国を支配している邪神を殺すために我々にどうか力を貸してほしい──』
要求に応じれば害竜退治の罪も不問にする、とセオドアは最後に付け加えた。
『いや……自分はそんな実力ないですし、お役に立てるかどうかも怪しいところですし』
そう言って頼みを断りかけたリクトだったが、セオドアは眉をぴくりと動かし、抑揚のない低い声を出した。
『……断る、というのかね? 王様からの依頼を』
口ごもるリクト。
沈黙の空気でこっちの心情を察してくれと願うリクトだったが、セオドアはまばたきすることなく、じぃっとリクトの顔を凝視し続けた。
『……少し考えさせてください』
再び現在に意識を戻したリクトは小窓から見える夜空をぼんやりと見つめた。
自分は神様と戦えるほど強くはない。
ゲーム内でもレベルは現実の仕事に時間が取られていたせいで平均以下だ。
手持ちの召喚獣も少ない。
《ワイヴァン》の群れを狩るくらいが、現状で自分ができる精一杯の実力だ。
……それにもしも、と思う。
仮に自分が神様を倒せたとして、その先に待っているのは世間に『英雄』だの『勇者』だのと持て栄やされた挙句、戦場の最前線に駆り出され、人に尽くす毎日になる未来は目に見えている。
そんなルートはなるべく避けたい。
自由に生き、自由に旅をしていたい。
自分は人々から尊敬される英雄タイプのようにはなれない。
目の前の幸せを守る、それが限界だ。
「邪神と戦って殺されるか、それともこのまま監獄で二度目の人生を終える、か……」
月の光が窓の外からそっと差し込む。
月明りを見つめるリクトの眼差しは次第に“決意”の眼差しへと変わっていく。
そうだ。選択はもう一つある──
「……“脱獄”しよう」




