08 火花散る夜 前編
◯【これまでのあらすじ】
冒険者ギルド《三脚天使》に助けを求めてやってきた男の子・ピスケの依頼を引き受けたリクトは神官見習いのルースとともにピスケの父親捜しを始める。
しかし、二人が行き着いた古代遺跡では富裕層による殺人遊戯・鼠狩りが開催されており、二人は巻き込まれる事になるが、そこでリクトはかつての旧敵・《深淵の死神》や《怪物の王》の力を借り、結果としてデスゲームに囚われた者たちを脱出させることに成功。
町へと無事帰還できたリクトだったが、そこで元プレイヤーである不知火と再会。
不知火が立案した四魔騎士再封印作戦に参加するが、リクトは戦力増強と最悪の事態に備えた保険を兼ねた別動隊として行動することに。
※目次や各話下部に設置されたリンクからジャンプするページに【登場人物紹介】を掲載中です。登場人物を忘れてしまった際にご活用ください。
目を閉じればさざ波の音が聞こえてくる。
夜のドーヴァーコーストは神秘的でうっとりするほど美しかった。
夜景なんてどこへ行っても綺麗なんじゃないの、といつもの私なら言い伏せていただろう。
この町を訪れる前の私なら──。
……今から“数分前”に記憶を戻そう。
船の汽笛が夜空を割るように高らかに鳴る。
港には群衆が集まり、客船に向かって手を振って船出を見送っている。
普段なら夜に汽笛を鳴らすことは無いそうだが、今晩は客船ノーズフェアリーにとって処女航海となる祝いの日らしい。
どうりで船内でも乗船客たちの浮かれた声が部屋の扉の向こうから漏れ聞こえてくるワケだ。
ドーヴァーコーストの海は非常に荒れやすいと聞く。
近海には危険なモンスターが生息してることもあって、客船が大海に出ることは原則禁じられてるが、今回は“特例”だ。
不知火は四魔騎士の封印場所にいち早く向かうため、町長に船を出して欲しいと頼みこんだ。
すると町長は客船を使わせる代わりに“ある条件”を出した。
その条件というのが、不知火が所属する《影繋ぎ》が船の護衛役となり、安全な海路を保証するというもの。
つまり、近道をするために船を借りたつもりが、町の活性化にひと役買うことになったワケである。
「あのタヌキめ……」
まんまと策に嵌った不知火は窓越しに見えるドーヴァーコーストの町を忌々しく睨んだ。
船が港から遠ざかったおかげで船内はだいぶ静かになった。
不知火は客室の窓からぼうっと眺める。
この町にやってきてまだ半日も経っていないが、町を出る事が決まった途端、なんだか故郷を去るような寂しさが胸の奥を締め付けた。
「でも、いい町だったな……」
うわべだけの感想じゃない。
ドーヴァーコーストを訪れて感じたありのままの本心だ。
……ここ数年、大陸中を旅しながら色んな町をこの目で見てきた。
どの町も戦争の影が差し込み、畑も人の心も酷く荒んでいた。
どこもかしこも野生のモンスターや山賊による被害が多く、犠牲になるのはか弱い女子供ばかり。
私たちはその対処に追われる毎日だ……。
平和を守ろうにもその平和を脅かすものたちの数は年々増す一方。
そうやって、終わらないイタチごっこをやっている。
それがいつしか日常化し、そんな異常な毎日が普通だと感じるようになっていた。
……だが、この町はどうだ。
この町には平穏が当たり前のように横たわっていて、町を行き交う人々もその平和な日々に慣れてしまっている。
その証拠に住宅街は見渡す限り窓を開けっぱなしにしている家屋だらけだ。
あらゆる不条理が目に見えず、代わりに笑い合う人たちの顔が多く目に留まる。
「……こういう平和を私たちは守らねばならないんだな」
窓に向かって独り言ちると、ソファに腰かけた側近の男がそれまで凝視していたノートから目を離し、怪訝な顔で眼鏡の位置を整えながら「しかし」と口を挟んだ。
「この町の住民、よそ者に対して警戒心が欠けてませんか?
町長も呑気な人柄でしたし、町全体が緩いと言うか」
不知火は目を細めて町を窓越しに眺めつつ、言葉を返す。
「んー。今までにちょっとした騒ぎや住民同士のトラブルはあったらしいよ。
けど、この町が大きな戦争に関わった前例は過去百年間の歴史資料をあさってみても一件も見つからなかった」
「そんな奇跡みたいなことがありえるのですか?」
「ありえるんだよ」
不知火は窓から目を離し、側近の男に身体の正面をくるりと向けて細長い指を二本立てた。
「この町が長年、平和を維持し続けられていた理由は二つある」
言いながら不知火は立てた指二本のうち、一本の指を折り曲げた。
「一つは大自然が生み出した天然の壁のおかげ。
西は海、東は崖によって守られ、北と南の門からのみしか出入りできない。
海から侵略して来ようとしてもノーベル海にはありとあらゆるものを呑み込むモンスターが複数存在する。
私たちのような秘密の海路を知る者でなければ、よほどの幸運に恵まれない限り、海の向こうからこの町に辿り着くことは不可能に近い」
「なるほど……」
側近の男は顎を触りながら虚空を見上げ、町周辺の地図を頭の中に広げる。
「……とするなら、二つ目の理由は“我々”ですか?」
すると、不知火は嬉しそうに指をぱちんと鳴らした。
「その通り! 流石は次期団長候補くんだね。
二つ目は我々が町の犯罪を抑止する存在になってるからだ。
普通のルートで門から侵攻しようにも、この町近辺には古くから存在してたモンスター討伐の精鋭部隊・黎明騎士団本部や少し離れた場所には大陸全域の治安維持を一手に担う我々《影繋ぎ》のグランツェル支部がある。
二つの存在が常日頃から睨みを利かせているから、たとえ町で大きな争いが起きたとしても、たちどころに鎮圧されるってワケだね」
「……」
不知火の解説を聞き終えた側近の男はしばらく考え込んでから彼女に質問した。
「しかし、バイセルン事変の一件で黎明騎士団本部はほぼ壊滅。
いまだ復興途中の状態だと聞いています。
抑止力の力が弱まった隙を突かれればこの町も危険に及ぶのでは?」
「……確かにそうだね」
そう言いながら不知火は大きくため息をこぼした。
「実際、冒険者を狙った事件が近くで発生したばかりだからね。
なにか手を打たないとそろそろ本気でヤバいか……も──」
ふと、不知火は何かの気配を察して顔を窓に向けた。
──ドンッ!!
夜の海上にひと際大きな火花が炸裂した。
爆発の発生源は不知火を乗せた客船からであった。
大きな爆発によって粉々に吹き飛んだ破片が四方八方の海面に飛び散り、その一つが空中に浮かんだ飛行船の真下をかすめた。
「神聖なる伝統を穢した報いだ」
そう口にしたのはドーヴァーコーストの上空を浮遊する飛行船の主である老齢の男、彼の名はオルデン・ヴァース・ゴルゾフ。
伯爵の位を持ち、殺人遊戯・鼠狩りを運営する組織・《猛々しき狩り》の総元締めとして、また裏社会を支配する危険な存在として《影繋ぎ》にマークされている。
飛行船内の広々とした空間、そこで地上を見下ろせる透明床を一人見据えた彼は車椅子に座ったまま眼下に燃え盛る海を鬼の形相で睨んだ。
小さく見開いた片割れの目は白く濁っていて、実際片目だけではほとんど視えていない。
酸素マスクに覆われた彼の口からは怨嗟に満ちた低い声が吐き出された。
「長く続きすぎたこの町の平和も、
忌々しい奴らの命と共に消してやる。
せいぜい、派手に散るといい……──」
2025/08/31 次回「火花散る夜 後編」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ドーヴァーコースト史上初の大規模な戦闘が勃発!
次回更新は9月予定。お楽しみに。