09 小瓶の妖精
モモカさんは手綱を引き、馬を止めた。
荷馬車の前に立ちはだかった鉄製面具の男は、鋭い眼光でリクトとモモカさんを威圧する。
おそるおそる荷馬車から降りると、周囲はピリついた空気に包まれていた。
馬に跨った騎士達に取り囲まれ、彼らにじっと見下ろされる光景は、さながら蛇に睨まれたカエルの気分だ。
「ty okhotilsya? Wyvern」
鉄製面具の男は質問を投げかけた。
しかし、異世界の言語知識を持っていなかったリクトには彼が何言ってるのか、さっぱり分からなかった。
すると、見かねたモモカさんが助け舟を出して代わりに答えた。
「chelovek powog mne!vod pochemu──……」
「DA ne slyshal o Debe!」
モモカさんは必死に何かを訴えたが、話の途中で鉄製面具の男が言葉で遮った。
彼らがどういうやり取りをしていたのかは翻訳せずとも、なんとなく察した。
モモカさんはやりきれない顔でリクトに顔を向けると、耳もとに顔を近づけた。
一瞬、どきりとしたリクトだったが、モモカさんの声が耳穴を通る。
「あノかタは《ワイヴァン》を狩っタのはお前か?』とリクト様に尋ねテいます」
顔を赤らめてしまった自分が情けない。
リクトはお花畑になった自分の心を振り払い、息を吸って、冷静さを取り戻した。
しかし、だ。
ここで大人しく『はい』と答えても、この場が丸くおさまるとは到底思えない。
嘘をついたところで、鋭い眼光を向けてくる騎士にはお見通しだろう。
どうせ見抜かれてしまうのなら、言いたい事は言わせてもらう。
「そうですけれど……でも『悪いことはしてないつもりです』と、彼らに伝えて下さい」
モモカさんは一瞬、ためらいの表情を見せたが、顔を彼らに向けると、リクトの返事を伝えた。
「UDeri ikh!」
鉄製面具の男は冷たい眼差しをリクトに向けたまま周りの騎士達に命じた。
そして、ワケも分からないままリクトは彼らに拘束されてしまった。
その先で、新たな波乱が待ち受けているとも知らず──……。
* * *
ティムール王国のカルソッス8世が建設した岩の城塞都市バイセルン──
その名の通り、岩によって作られた建築物が立ち並んだ街並みは、街そのものが、高い岩山と同化し、外の自然と一体化している。
ゲームの《アスカナ》では、前のアップデートの際に解放された新しい町だ。
リクトもゲーム内のお知らせメールで、バイセルンの存在は知っていた。
しかし、リアルでの仕事に時間を取られてしまい、まだこの地を訪れた事は一度も無かった。
そんなバイセルンの中心部に黎明騎士団本部の城があった。
黎明騎士団本部地下にある暗い部屋。
机の上に置かれたランタンの灯りが岩壁に一人分の影を落とす。
影の主はリクトだ。
両手を後ろ手に縛られた状態で椅子に座らされ、只今絶賛、絶望中である。
実際は部屋にもう一人いたが、その人は幽霊のように気配を消して部屋の隅の席に腰かけていて、その視線はリクトにではなく、書類用紙の山に向けられていた。
この状態が、かれこれ2時間が経過していた──……。
リクト自身は騎士からの質問を無視する意図は全く無かったが、“言葉の壁”のせいで質問に何一つ答える事ができなかったのだ。
黙秘を貫く姿勢は騎士の目からすれば、怪しいヤツにしか見えなかっただろう。
リクトは全ての希望を失い、目蓋を閉じた。
これから自分がされるであろうあらゆる拷問シーンが脳裏によぎる。
……すると、鉄扉が重い唸り声をあげて開いた。
部屋に入ってきたのは背が高い男の人だった。
耳は異様にピンと尖っている。
おそらくエルフ族だろう。
男はぎょろりとした目でリクトを見下ろし、心を揺さぶるように、リクトの逃げ場を無くすかのように部屋の中をゆっくりと歩き回り、そしてようやく椅子に腰かけた。
大きく高い鼻筋、これでもかと開いた大きな丸い目──
まるで、フクロウのような顔をした長身の男はリクトを睨んだまま口を開く。
すると、彼の呼びかけに応えるようにして、再び鉄扉が開くと、今度は一匹の《小鬼》が部屋に入ってきた。
《小鬼》は机のそばにやってくると、頭の位置にあった机の上に両手を伸ばし、ガラスの小瓶を置いた。
……小瓶の中には、小さな女の子が閉じ込められていた。
緑色のパッツン前髪。
後ろの長い髪は左右に分け編んで肩のあたりに垂らし、白のワンピースを着た彼女の背中には、二対の青と黒が混ざった蝶のような羽が生えている。
その姿はまさしくファンタジー世界では定番の存在──《妖精》だ。
小瓶の中の《妖精》はうつろな目と無気力な表情で、小瓶の底にペタンと萎れた花のように倒れていた。
その様子を見たフクロウ顔の男はまばたきもしないまま、顎で《小鬼》に指示を送る。
フクロウ男の指示に《小鬼》はあわてて机の上に両手を伸ばし、小瓶を激しく振った。
「Qstavay vystro! Zhuk-pero!」
部屋に響く《小鬼》の汚い声。
小瓶の中の《妖精》はあわてて蝶の羽を羽ばたかせて飛び起きた。
《小鬼》は小瓶の中の妖精に何かを命じたのち、小瓶のコルクをポンッと開けた。
《妖精》は小瓶の中から抜け出ると、フラフラと力なく蝶のような羽を羽ばたかせて宙を舞った。
《妖精》が羽ばたくたび、金粉が後方に軌跡を作り、やがて消える。
リクトは《妖精》が頭上を旋回しながら舞い落ちる金粉を鼻から吸い込んでしまい、鼻奥がツンとしてピリッとした痛みが走る。
激しく咳き込むリクトをよそに、《妖精》はしばらく宙を旋回したのち、机の上に着地して羽を休めた。
──フクロウ顔の男は静かに口を開く。
「……私の言葉が分かるか? どうだ?」
今度はハッキリと相手の言葉がわかった。
リクトは思わず頷いた。
「言葉で答えろ」
「わ、分かります」
……この世界にも翻訳機みたいなものがあるのか、便利だな、と間抜けな感想を抱いていると、男は単刀直入で質問を投げた。
「きみは、《魔物使い》か?」




