【短編版】俺が7年育てた悪役令嬢(義妹)はトニカク可愛い
ウィスタリア侯爵家の長男として生を享けた俺は、物心ついた頃より血の滲むような努力を続け、父が亡くなると同時に侯爵家当主の地位に就いた。
当時はまだ16歳。
成人したばかりで、父のように立派な当主だとはとても言えなかった。
ただ、幼少期より必死に蓄えた知識と、父の残してくれた優秀な文官達の力を借りて、俺はなんとか領地を維持することが出来た。
だが、度重なる災害を始めとした問題の対策に追われ、領地は次第に疲弊していく。そこに手を差し伸べてくれたのが、父と付き合いのあったアッシュフィールド侯爵家の当主だ。
彼は自分の娘との結婚を条件に、我が侯爵家への様々な支援を約束してくれた。あからさまな政略結婚ではあったが、俺にとっては願ってもない申し出だった。
ゆえに、俺はアッシュフィールド侯爵家の令嬢、リネットと婚約を結んだ。
リネットとは知らぬ仲ではないし、アッシュフィールド侯爵家が手を貸してくれるのなら我が侯爵家も安心だ。そう思っていた矢先に新たな問題が発生した。
俺の義妹であるシャルロッテが、リネットに対して許されぬ罪を犯したのだ。
事態を重く見たアッシュフィールド侯爵は、娘と俺の婚約の破棄を宣言した。こちらの身内が危害を加えようとした以上、俺に反論の余地はない。
問題はシャルロッテの扱いだ。
義妹には複雑な生い立ちがあり、生前の父が彼女を気に掛けていた。死の間際にも、シャルロッテを頼むという遺言を俺に託した。
だからこそ、俺は彼女のワガママを出来るだけ許してきた。
だが、それは間違いだった。
シャルロッテを庇えば、俺も同罪だとみなされる。俺は少しでも信頼を取り戻そうと、義妹の罪を徹底的に調べたのだが……彼女の罪はリネットに対する一件だけではなかった。
彼女の犯す罪の大半は未遂だが、それでも大小様々な罪をいくつも重ねていた。
もはや、庇い立てする理由もない。俺は彼女を先代の養女という地位から引きずり下ろし、領地を混乱に陥れた悪女として国に突き出した。
結果――彼女は城下町の広場で火あぶりの刑に処されることとなった。
処刑の日はあいにくの雨だった。
ぼろぼろの服を着せられたシャルロッテが、執行人によって処刑台に固定される。雨で服が身体に張り付き、彼女の整ったプロポーションが浮かび上がった。
刹那の一瞬、処刑を見世物として集まっていた平民達が息を呑んだ。
だが次の瞬間、我に返った観客達は彼女に罵声を浴びせ、同時に石を投げ始める。彼女の顔に、身体に、容赦なく石がぶつけられる。
それでも、彼女は前を向いていた。
ボロ着を纏う死刑囚であるにもかかわらず、彼女は俺の知るどの令嬢よりも高潔で美しく見える。そう想ってしまった自分がとても腹立たしい。
見届け人の一人としてその場にいた俺は、シャルロッテの元へと詰め寄った。
「シャルロッテ、いまのおまえはどのような気分だ?」
「……ノエルお兄様」
シャルロッテはとてもとても幸せそうに、つぼみが花開くように微笑んだ。いままでみたこともないような愛らしい笑顔に、俺は言いようのない苛立ちを覚える。
「おまえに俺を兄と呼ぶ呼ぶ資格はないっ!」
その言葉に、シャルロッテは酷く悲しげな顔をした。
「そう、ですよね……分かっていました。でも、ノエル様がわたくしを見てくださった。それだけで、わたくしは報われた気がするのです」
「……どういう意味だ?」
俺の問いに、シャルロッテはわずかに俯いた。
「孤独……だったのです。あの家では誰も……使用人すらわたくしを見てくれなかった。遠い離れに押し込められて、わたくしはいない者として扱われた」
「……なにを言っている? おまえは、自分の意思で離れに閉じこもっていたのだろう?」
「ノエル様はそう聞いていたのですね」
安心しましたと言いたげな顔。
意味が分からないと言いたいが、脳裏によぎる可能性があった。
シャルロッテは父の養女という身分が与えられていたが、事実は異なる。彼女は父が愛人に産ませた娘で、父はそんなシャルロッテをいつも気遣っていた。
だが、母が愛人の子であるシャルロッテを排除しようとしていてもおかしくはない。
そういえば……俺がシャルロッテの様子を聞かされたのも母からだった。あの頃は疑っても見なかったが、もし母上、そして母上の息が掛かった使用人達が嘘を吐いていたのなら……
「おまえは……本当に離れに閉じ込められていたのか?」
「はい。離れの中でなら自由を与えられていましたから、独自でお勉強はしていました。侯爵家の娘として認めてもらえるように、凄く凄く頑張ったんですよ?」
結局は認めてもらえませんでしたけど……と、彼女は寂しげな顔をする。
「では、なぜ外に出た。なぜ、このような悪事を働いたのだ?」
「お父様が亡くなって、それからは外に出る自由を与えられたのです。でも……結局、わたくしは誰にも、ノエル様にも見てもらえなかった。だから……」
見ているだけで悲しくなるような笑顔。それを見た俺は、彼女が言葉にしなかった動機を理解した。シャルロッテは幼い子供のように、誰かにかまって欲しくて悪事を働いたのだ。
「悪事の大半が未遂に終わっているのはそのためか……」
だが、たとえ未遂であろうと罪は罪。決して許されることではない。なぜ俺に言わなかったのかと問い詰めたい気持ちになる。
……いや、違うな。俺が聞こうとしなかったのだ。
シャルロッテが離れから出てきたのは父が亡くなった後。あの頃の俺は当主となって侯爵家を守るのに必死で、シャルロッテにかまってやる暇などなかった。
父から、シャルロッテを頼むと言われていたのに。
「だが、なぜだ? 自由を得られたのなら、なぜ俺に固執した。おまえなら、よその家に嫁いで、この家のことを忘れることだって出来ただろう」
俺に復讐がしたかったのかと続けて問い掛ければ、シャルロッテはそんなことは絶対にないと首を横に振った。それから、まっすぐに俺を見つめる。
「右も左も分からずウィスタリア侯爵家へ連れてこられたあの日。ノエル様だけが、私を歓迎すると、おまえは俺の妹だ――と、そう言ってくれたからです」
「まさか、たったそれだけの理由で……」
「たったそれだけ、ではありません。わたくしにとってはそれだけ特別なことで、その言葉があったから、わたくしはあの離れでの孤独に耐えられたのです」
「馬鹿かおまえはっ。あれは父に頼まれただけだ!」
あの日は、新しく出来る妹と仲良くしてやってくれと、父から頼まれていた。だからシャルロッテに、今日からおまえは俺の妹だと声を掛けた。
ただそれだけで、そこに彼女を思い遣る気持ちなんてなかった。
なのに、こいつはその言葉だけを支えに孤独を耐え抜いた、だと? 俺はそのような生い立ちの娘に対し、おまえに俺を兄と呼ぶ資格はないと非情な言葉を口にしたのか?
馬鹿な。俺はどれだけこいつを悲しませれば気が済むのだ!
いくつもの後悔を抱くが、すべては遅すぎた。執行人が燃えさかる松明を持って、油に濡れた藁や蒔きが敷かれた台の上に縛り付けられたシャルロッテに近付いていく。
彼女の足下に、執行人の持つ松明が押し付けられた。
だが、降りしきる雨に藁が濡れているためか、すぐには炎が燃え移らない。
「ノエル様。出来の悪いわたくしでごめんなさい。たくさんたくさん迷惑を掛けてごめんなさい。もし、もう一度、やりなおすことが出来たのなら、今度は間違ったりしません」
「違う、間違ったのはおまえではない」
俺の声に彼女は応えない。死を前にした彼女は寂しげに笑って、それから青い瞳から大粒の涙をこぼした。刹那、松明の炎が藁に燃え移り、あっという間に炎が彼女を包み込んだ。
「だから、そのときは、貴方を兄と呼ばせて――」
シャルロッテの言葉は声にならない悲鳴へと代わる。
その悲しみに満ちた絶叫が広場に響き、観客達の無慈悲な歓声が上がる。
俺はその場にくずおれた。
彼女は、もう一度、やりなおすことが出来たのならと口にした。だが、彼女の処刑は執行されてしまった。もはや、そんな日は二度とこない。
燃えさかる炎は俺の後悔だけを残して、すべてを焼き尽くしていく。不意に空に広がる雨雲が割れ、その隙間から光が降り注いだ。
まるで、この処刑を神が祝福しているかのようだと誰かが呟いた。
そんな世界の不条理さに涙する、俺の意識はそこで途切れた。
気が付けば、俺は屋敷にある応接間のソファに座っていた。
……なんだ? 俺はどうしてウィスタリア侯爵家の屋敷にいる? シャルロッテの処刑をおこなうために、王都にいたはずではなかったか?
いや……おかしいのはそれだけじゃない。壁に飾られたあの絵は、領地経営の資金を稼ぐために売り払ったはずだ。それが飾られているということは……夢、だろうな。
「ノエル、もう少し落ち着きなさい」
「申し訳ありません、母上」
答えてから、やはり夢だと確信した。
隣に座っていた母が、記憶にある母よりもかなり若返っている。シャルロッテが悪女として罰せられた原因を知ったから、その頃の夢を見てしまったのだろう。
……待てよ?
過去に、こんな風に俺と母上が応接間に集められたことがあった。あれは忘れもしない7年前。父が愛人の娘を、養女という形で受け入れると俺に告げたあの日だ。
まさか――と、立ち上がる。
その直後に扉がノックされ、メイドが父の来訪を知らせた。まだ元気だった頃の父が姿を見せて、続いて小さな女の子がおっかなびっくり部屋に入ってくる。
サラサラの赤い髪に、吸い込まれそうな青い瞳。
俺より二つ年下で、当時はまだ10歳のシャルロッテだ。
これは夢だろう。
だが、シャルロッテの最後の願いを叶えられるのなら、俺の抱いた後悔を少しでも消すことが出来るのなら、これが夢だってなんだってかまわない。
俺はシャルロッテの前に歩み寄って、目線を合わせるために膝を曲げた。
「俺はノエル・ウィスタリア。今日からキミは俺の妹だ」
「……ノエル、様?」
少し不安げに、青い瞳が俺を見上げてくる。
あぁ……そうだった。あの日も、俺は自分に出来た妹を可愛いと思ったのだ。だけどシャルロッテはそれっきり離れに閉じこもり、俺の前に姿を見せようとはしなかった。
俺は彼女に裏切られたような気になって、彼女の存在を意識から閉め出した。
すべては誤解、だったのにな。
「お兄様でかまわないよ、シャルロッテ」
安心させるように笑いかけ、頭を優しく撫でつける。シャルロッテは目をまん丸に見開いて、それから幸せそうにその瞳を細めた。
「ノエル……お兄様?」
「そうだ。俺がキミの兄だ」
「ノエルお兄様っ!」
嬉しそうにすり寄ってくるシャルロッテが愛らしい。俺はひとしきりシャルロッテの頭を撫でつけてから「シャルロッテ。キミにこの屋敷を案内してあげよう」と申し出た。
「……ノエルお兄様、いいの?」
「ああ、大丈夫だ。父上、母上、色々と話もあるでしょう。そのあいだに私は、この新たな妹に屋敷を案内してまいります」
父は喜ばしそうに承諾する――が、母は苦々しそうな内心を少し滲ませていた。俺達が仲良くなってしまうと、彼女を離れに押し込めるのが難しくなると考えているのだろう。
そうはさせない。
俺にとって、母は尊敬に値する人物だ。夫が愛人の娘を連れてきて思うところがあるのにも理解は出来るが、シャルロッテ自身に罪はない。
俺はシャルロッテを部屋から連れ出して屋敷の中を歩き回り、出来るだけ多くの使用人達に、俺とシャルロッテの仲睦まじい姿を目撃させるようにした。
甲斐甲斐しく妹を世話する兄の姿と、その兄を慕って後ろをついて回る妹の姿。それを多くの使用人に見せることで、シャルロッテが離れに閉じ込められないように牽制する。
結果、今日だけでも、彼女が離れに閉じこもるような環境にないと印象づけられただろう。
その代わり――というとなんだが、シャルロッテが想像以上に俺に懐いてしまった。夕食後、お風呂から上がった彼女が俺の部屋を訪ねてきたのだ。
「ノエルお兄様と一緒に寝たい」――と。
対外的には血の繋がらない養女で、その実は腹違いの義妹。その事実は公然の秘密だが、今日であったばかりの男女ということもある。
当然、彼女の側仕えは困った顔をしていた。
本音を言えば、俺も側仕えの気持ちは良く分かる。
ただ、これは夢だ。
おそらく、俺が眠れば現実に戻されてしまうだろう。であれば、夢の中の最後くらい、シャルロッテの願いを全部叶えてやっても良いではないか――と、彼女を招き入れた。
「おいで、シャルロッテ」
「ありがとう、ノエルお兄様~」
俺の布団に潜り込み、シャルロッテがその身をすり寄せてくる。まるで子犬が親の匂いを確認しているようで非常に愛らしい。
シャルロッテを抱き寄せた俺は、愛らしい彼女が眠るまでずっと背中を撫で続けた。
翌朝、俺は爽快な朝を迎えた。腕の中には幸せそうなシャルロッテが眠っている。眠れば終わると思っていた夢がいまもまだ続いている。その事実に気付いて困惑する。
夢じゃ……なかったのか? それとも、一晩では夢から抜け出せないくらい、俺は現実から強く逃げ出してしまったのだろうか?
そんな風に思い悩んだのが、シャルロッテを我が家に迎え入れた翌日。
――そしていまは、それから一ヶ月が過ぎている。あれから、シャルロッテは毎日のように俺のベッドに潜り込み、毎朝二人一緒の朝を迎えている。
正直、踏み込みすぎたと思わなくもない。ただ、いまはこれが現実だと受け入れているが、最初は夢だと思っていたので、踏み込みすぎたのは不可抗力である。
だがその甲斐あって、仲睦まじい兄妹だと屋敷の使用人達から認識されている。これで、母がシャルロッテを離れに閉じ込めるなんてことは決して起きないだろう。
そう思っていたその日、俺は母から呼び出しを受けた。
訪ねたのは母上の書斎。
俺の母にして、辺境伯の家から嫁いできた父の妻。カトリーナ・ウィスタリアはいつになく真剣な眼差しで俺を迎えた。
「よく来ましたね。……そこに掛けなさい」
母の勧めに従って、俺はテーブル席にあるソファ、下座に腰を掛けた。母は執務机から立ち上がり、テーブルを挟んで向かいのソファに腰掛ける。
それからメイドに二人分の紅茶を用意させ、それを機に人払いをさせた。重要な話があるという合図でもあり、否応もなく嫌な予感が募っていく。
「ノエル、単刀直入に言います。シャルロッテとは距離を取りなさい」
予想通りの、そして予想外にストレートな物言い。迂遠な言い回しを使う貴族らしくなく、なにより母らしくない言葉だった。
「母上。俺は母上のことを尊敬しております。だから理由をお聞かせください。なぜ、そのように酷いことをおっしゃるのですか。彼女は俺の妹です」
「いいえ、彼女は貴方の妹ではありません」
「母上……」
俺は眉を寄せた。
政略結婚で結ばれた相手が、自分を蔑ろにして愛人に子供を産ませた。その事実が面白くないのは理解できるが、事実を事実として受け入れないのは弱い人間のすることだ。
少なくとも、侯爵夫人たる母のやることではない。
そう糾弾すると、母は非常に困った顔をした。
「……ノエル。わたくしの知らないうちに、ずいぶんと大人になったのですね。成長を喜ぶべきか、押し切れないことを嘆くべきか、難しいところです」
「……なにを、おっしゃっているのですか?」
俺の問い掛けに、母は深い、深い溜め息をついた。それから紅茶を口にして一息吐くと、いまから話すことは他言無用だと俺に念を押す。
「よく聞きなさい。夫、ロバート様とシャルロッテのあいだに血の繋がりはありません」
「それは……対外的な話でしょう?」
「いいえ、その対外的な話こそが事実なのです」
母は続けて、シャルロッテの身の上について話してくれた。
シャルロッテの母グレースは、とある子爵家の三女である。
下級貴族の三女ともなれば、良い嫁ぎ先が見つからぬことも珍しくはなく、メイドとしてウィスタリア侯爵家で雇われていたらしい。
そんな彼女が父の愛人になって子を身籠もった。相続的な争いを嫌ったグレースはお暇をもらって実家に帰り、密かに娘を産んで育てた。
だが、実家の財政状況が悪化し、俺の父に事実を打ち明けた、というのが表向きの筋書き。
本当は、グレースには恋人がいたらしい。
ロバートの愛人として支援を得ながら、恋人とのあいだに子供が出来てしまった。その発覚を恐れたグレースが、実家に帰って娘を産んだ――というのが真実だと母は言った。
「……証拠は、あるのですか?」
やりなおす前の世界で、母は俺に虚偽の報告をした。ゆえに、いまの話が真実かどうか見極めなくてはいけないと気を引き締める。
「もちろん、証拠は集めました。ノエルが望むのならば後で見せましょう。ですが問題は、その事実です。決して、それをロバート様に知られてはなりません」
「……なぜですか? 母上にとっては邪魔者を追い出す機会ではありませんか」
母にとって、愛人の娘というだけで憎悪の対象だろう。だが、父と血が繋がっていないのであれば、母が遠慮する必要はどこにもない。
証拠を示して、シャルロッテを追い出せば済む話である。
「……ノエルは誤解しているようですね」
「誤解……ですか? 俺がなにを誤解しているか、お聞かせください」
「わたくしとロバート様は政略結婚です。そこに目的を同じくする者への愛情はあっても、夫婦としての愛があった訳ではありません。だから、愛人を咎めるつもりもありませんでした」
「咎めるつもりはない? では、シャルロッテのことは……」
「無論、受け入れるつもりでいました。最近は病で伏しがちなロバート様が少しだけ元気になられましたし……本音を言えばわたくしも娘が欲しかったのですよ?」
母は茶目っ気のある口調で言い放つ。そこにはわずかながらも笑顔が浮かんでいた。だがすぐに表情を引き締め、唇をきゅっと結んだ。
「ですが――調べてみれば、あの娘はロバート様となんの関わりもない娘だった」
母はそこで言葉を切って、扉の方へと視線を向けた。
「母上、どうかしましたか?」
「いえ、いまなにか、気配がしたような気がしたのですが……気のせいだったようです」
母は息を吐き、それから紅茶を口に付けた。
「とにかく、あの娘がなにを企んでいるかしれません。そうでなくとも、この事実がロバート様に知られてしまったら、きっと大きく気落ちなさるでしょう。だから……」
離れに押し込めるのが一番だと、その続きは聞かずとも想像がついた。
母の考えは理解できる。俺だって、その言葉だけを聞けば母に賛同したかもしれない。だが、死の間際に告げた彼女の言葉が嘘だとは思えない。
シャルロッテ自体には何の思惑もないだろう。
「母上、その愛人のメイドはどうなったのですか?」
「援助と引き換えに、二度とウィスタリア侯爵家に関わらぬという誓約書を書かせました」
「……なるほど。では、シャルロッテのことは俺に任せてくれませんか?」
「貴方にですか? どうするつもりなのです?」
その問いに対する答えは、俺がこの時代に遡った瞬間から持ち合わせている。
「俺が側でシャルロッテを監視しつつ、また兄として責任を持って立派に育て、彼女が成人を迎えるまでに望む相手と婚約を決めて嫁がせます」
家にいるあいだは監視して、彼女が成人と同時に他家に嫁がせる。そうして期限を切り、それまでは決して、父に真実が明るみに出ないようにする――と、母を安心させる。
同時に、俺が兄となることで、前の世界で彼女から奪ってしまった幸せを取り戻させる。
「その上で、俺はウィスタリア侯爵家を立派に継いで見せます。決して、母上や父上を悲しませることはないと、ウィスタリア侯爵家の名に誓って約束いたしましょう」
やりなおす前の世界で、16で当主になった俺はあまりに未熟だった。
だがいまの俺は違う。19まで必死に足掻いて培った知識と、それまでに起きた出来事の記憶を持っている。今度は、ウィスタリア侯爵家を落ちぶれさせたりはしない。
「……本当に、いつの間にそんなにもしっかりしてしまったのですか? 可愛い妹が出来て、デレデレとしているとばかり思っていたのに」
「ははは……手厳しい」
笑って誤魔化したが、あまり強くは否定できない。どうせ夢だと思っていたことが一番の理由だが、なんだかんだいって甘えてくるシャルロッテが可愛くて仕方がないのだ。
「たしかに俺はシャルロッテが可愛くて仕方ありません。ですが、それで判断を見誤ることはないと約束します。だから、どうか俺を信じてください」
「……いいでしょう。貴方の好きなようになさい」
母との話し合いを終えた後、俺はさっそくシャルロッテを部屋に呼び出した。いつもなら飛びついてくる彼女が珍しく、おっかなびっくり部屋に入ってくる。
「シャルロッテ、少し話があるからそこに掛けてくれ」
「……はい。えっと……ノエル、様」
「ん? 急にどうしたんだ?」
いつもなら俺の隣に座るのに、今日は俺の向かいソファに腰掛けた。それだけじゃなく、お兄様呼びが、最初に出会った日のような呼び方に戻っている。
どうしたのだろうと考えていると、シャルロッテが上目遣いで俺を見た。
「あ、えっと……その……ノエル、お兄様?」
「……どうしたんだい? もしかして、なにかイタズラでもしたのか?」
「し、してないよぅ。そうじゃなくて、ノエルお兄様はわたくしのお兄様、だよね?」
ホントにどうしたんだ。……いや、もしかしたら、さっき母が感じたという気配は、シャルロッテのものだったのか? 血が繋がっていないという話を聞かれた可能性がある、か?
「……シャルロッテは、俺が兄なのは嫌か?」
多くは語らず、端的に問い掛ける。
シャルロッテは慌てて、ぶんぶんと首を横に振った。
「わたくしは、ずっとずっと、お兄様と一緒にいたいです」
「そうか。ならこれからもずっと、俺はおまえの兄だ」
俺の言葉に、打てば響くかのように彼女の顔が笑顔に満ちていく。その様子からは、話を聞いていたかどうか読み取れないが、気に掛けておけば大丈夫だろう。
問題は、彼女を立派な淑女に育て、お嫁に出すことである。
「俺の妹ということは、ウィスタリア侯爵家の娘という意味でもある。であれば、上級貴族の娘としての教養を身に付けなくてはいけない。それは、分かるか?」
やりなおす前の世界で、シャルロッテは自由奔放ながらも、それなりの教養を身に付けていた。彼女が言っていたとおり、必死に独学で学んだのだろう。
だが、いまのシャルロッテは明らかに上級貴族としての教養が足りていない。
「お勉強、すれば良いの?」
「ああ。俺と一緒に頑張ろう」
「……お兄様と? じゃあ……頑張る!」
この日から、監視という名目でずっと彼女の側にいて、勉強を学ぶという名目でも彼女の側にいる。俺とシャルロッテの一緒にいる時間が更に増えた。
ただ、それは俺にとっても、決して無駄な時間ではない。
なぜなら、俺もシャルロッテと同様に一般的な教養が足りていない。16で急に父の跡を継ぎ、そこからはひたすら実務に明け暮れていたからだ。
だから俺は、病に伏しがちの父の手伝いをする傍ら、シャルロッテと一緒に、家庭教師から様々な教養を学んでいった。
歴史、地理、数学、美術、科学。そういった座学はもちろん、声楽、ダンス、ヴァイオリン、魔術、武術といった実技にも力を入れた。
やりなおす前の世界では、父の手伝いだけでも精一杯だったが、そっちは既に実務経験があるので十分について行ける。既に一度経験した内容だしな。
という訳で、父の手伝いは完璧にこなし、シャルロッテと学ぶ勉強の方も順調だ。俺は次期当主としての才能を伸ばし、シャルロッテは令嬢としての才能を伸ばした。
そして、シャルロッテがうちに来てからあっという間に三年が経った。
俺が15歳で、シャルロッテは13歳。
――そして、父が亡くなるまであと一年となった。
ただし、やりなおす前の世界と比べて、父の容態はかなり安定している。
父の病は原因が不明で、やりなおす前の世界では、日に日に弱っている父を見ていることしか出来なかった。けれど――父は重度の野菜嫌いなのだ。
もしかしたら――というか、藁にも縋る思いで父の野菜嫌いを改善させようとした。最初は母に相談し、父に野菜を食べるように仕向けた。
けれど父の野菜嫌いは相当で、かたくなに野菜を食べようとしなかった。
野菜嫌いが原因という確証はなにもない。ここまで嫌がるのなら無理強いは逆効果だ。諦めるしかないか――と思ったそのとき、話を聞いたシャルロッテがこう言ったのだ。
「お父様、野菜嫌いで死んじゃうの……?」
それはそれは悲しそうに父を見上げる。慌てた父は必死にそんなことはないと否定するが、だったらお野菜もちゃんと食べてくれる? とシャルロッテは畳み掛けた。
結果――父は野菜もちゃんと食べるようになった。
正直、それだけなら、ただ微笑ましいお話だった。だけど、その日から少しずつ、父上の容態は回復に向かい始め、いまではずいぶんと容態がいい。
父の病は、野菜嫌いが原因だったのだ。
それは母も分かっているのか、ずいぶんとシャルロッテに対する対応が柔らかくなった。やりなおす前の世界と比べて、確実に家の雰囲気が明るくなったと言える。
そうして家の環境を改善する傍ら、俺は次期当主として名を上げた。やりなおす前の世界で起きる出来事を思い出し、それを利用していくつもの結果を出した。
たとえば、昨年はアッシュフィールド侯爵領が凶作に見舞われた。そのことを事前に知っていた俺は、安い時期に食料を少しずつ買い集めて備蓄しておいたのだ。
そして、食料が高騰したタイミングで、利益は出るが、かなり安い値段でアッシュフィールド侯爵家に食料を卸した。利益を得ながらも、侯爵家へ恩を売りつけたのだ。
やりなおす前の世界で必死に培った実務経験があってこその功績だ。俺は一つ一つは控えめに、だけど確実に利益と人脈を生みだしていった。
――結果、俺は将来有望な後継ぎとして、いくつもの見合い話が舞い込んでいる。
でもって、見合い話はシャルロッテの方にも舞い込んでいた。
先日、シャルロッテは俺のエスコートでパーティーに参加した。正式なデビュタントはまだ迎えていないのだが、既にシャルロッテの可愛さが社交界の噂になっているのだ。
さすが俺が手塩に掛けて育てた妹である。
という訳で、俺はシャルロッテと並んで自室のソファに座り、お見合いの姿絵を眺めていたのだが……さきほどからなぜかシャルロッテがご機嫌斜めである。
いまでも時折、俺のベッドに潜り込んでくる。今朝、俺の部屋で目覚めたときのシャルロッテはご機嫌だったはずなのだが……昼になってから急の落差である。
「シャルロッテ、さきほどから不満気だが……気になる相手はいないのか? たしか、パーティーで踊っていた少年がいただろう? 伯爵家の長男だったかな?」
「あれは――っ。あれは……ノエルお兄様が一緒に踊ってきたらどうかというから踊っただけで、わたくしが踊りたかった訳ではありませんっ」
ぷいっと明後日の方を向く。
どうやら、伯爵家の長男様はシャルロッテにとって不足のない相手ではなかったようだ。
「では……シャルロッテはどういった相手が好みなんだ?」
やりなおす前のウィスタリア侯爵家なら、好みで相手を選ぶ余裕なんてなかった。利益優先の政略結婚で、幸せを度外視して考えることしか出来なかった。
だが、いまのウィスタリア侯爵家には相手を選ぶ余裕がある。好きな相手で良いんだぞと問い掛けると、シャルロッテの目がジトォとなった。
「……なんだ?」
「そういうお兄様は、一体どのようなお相手がお好みなのですか? もしかして、いまお持ちの姿絵に描かれているリネット様ですか?」
「む? いや、これはたまたま見ていただけだぞ?」
「お兄様の嘘つき。パーティーでも踊っていたではありませんか! それもリネット様の胸に視線を奪われて……言っておきますが、その姿絵の胸は絶対に盛られていますからね?」
「お、おう?」
彼女がやりなおす前の世界では着ていなかったような、胸元の開いたドレスを身に着けていたことに驚いたのは事実だが、すぐに紳士として視線を外した。
なのにその一瞬に気付くとは、女性が視線に敏感だというのは本当のようだな。シャルロッテも少女から大人の女性へと成長しつつある――という訳か。
……いまだに、俺のベッドには潜り込んでくるけどな。
「それで結局、シャルロッテはどのような相手が好みなのだ? 可能な限り、おまえの好みの相手を選べるように、出来る限り協力するつもりだが……」
「――本当ですか?」
突然、シャルロッテが元気になった。彼女は俺の手から見合いの姿絵を奪ってぽいっと投げると、ソファの上で膝立ちになって詰め寄ってきた。
「……あ、ああ、本当、だけど?」
「じゃあ、じゃあ……優しい人がいいです」
「ふむふむ。まぁ優しさは大事だな。だが、優しいだけの男ではシャルロッテを護れないだろう。他に条件はないのか?」
「もちろんあります。歳は二つ上で、頼りがいがあって、一緒に勉強を頑張ってくれて、わたくしが頑張ったら頭を撫でて褒めてくれたり、わたくしが寂しいときは一緒に寝てくれる人」
ソファの上で四つん這いになって、なにかを訴えるように上目遣いで見上げてくる。
というか、条件が思いっきり限定的だな。どう考えても俺のことだが……俺のような婚約者が欲しいという意味だろうか? それとも……
「わたくしは、大きくなったらお兄様と結婚したいです」
ストレートに来た。俺の育てた義妹が可愛すぎる!
いやいやいや、落ち着け俺。シャルロッテはとても可愛い。とにかく可愛い。だが、近親婚はこの国で認められていない。ゆえに結婚は出来ない。
「シャ、シャルロッテ、兄と妹は結婚できないんだぞ?」
「でも、わたくしとお兄様は、血が繋がってませんよね?」
「おぉう……」
やっぱり、この子、あの日の母との会話を聞いてたのか!
「血の繋がらない兄妹なら、結婚だって出来るはずです」
「いや、まあ……たしかに」
いや、たしかに、ではなくて!
対外的には養女――だが、この屋敷の中では腹違いの妹であるというのが公然の秘密。それすらも嘘で、本当は血が繋がっていないのだが、それは明かしてはならない秘密だ。
その秘密を父に知られないようにすると母に誓った。ゆえに、この秘密を父に知られるようなことがあってはならない。隠し通さなければいけない真実だ。
……いや、待てよ。
父上はあと一年でお亡くなりになる。
その後であれば、シャルロッテが本当は血の繋がっていない妹だと明かしても問題は……そういえば、いまの父は回復に向かっているんだった!
誰だ、俺の父を救ったのは――って俺だよ!
いや、よそう。
さすがにその考えは不謹慎だ。
というか、俺は父を尊敬しているし、長生きして欲しいと思っている。
母のことだって同じだ。
やりなおす前の世界での母の所業を知ったときは警戒したが、それが自分のためではなく父のためだと知って思い直した。母が誠実な人間であることは、やりなおす前の世界で父が亡くなった後、シャルロッテが自由になったことで証明されている。
そもそも、やりなおす前の世界でシャルロッテから聞いた願いは、俺を兄と呼ぶことだ。決して俺と結婚することではなかった。
そう考えれば、父や母を優先して、シャルロッテは嫁に出すのが正解だ。
「シャルロッテ、よく聞いてくれ」
「お兄様、わたくしとずっとずっと一緒にいてくれるって、言ってくれましたよね?」
「え、いや、たしかに……そう言ったけど」
あれは兄としてである。
しかも、シャルロッテが他家に嫁ぐまでのつもりだった。
「お兄様は、わたくしのことがお嫌いですか?」
「まさか! そんなことは……ないぞ?」
悲しげな顔をされて、思わず否定してしまう。
とたん、彼女は幸せそうに微笑んだ。
「わたくしはお兄様が大好きです。だから、わたくしと結婚してください!」
「――がふっ」
こ、この子、可愛すぎる。
うちに来た頃は、ただ無邪気で可愛いだけの女の子だった。だけど俺と一緒に貴族としての立ち居振る舞いを磨き、様々な教養を身に付けた。
いまのシャルロッテは、その仕草の一つ一つまでもが可愛い。
だから、あえてもう一度言おう。
――俺の育てた義妹が可愛すぎる!
こんなに可愛いシャルロッテに求婚されて、断れるヤツがいるか? いや、いない。というか、シャルロッテを悲しませるヤツがいたら俺がぶっ飛ばそう。
まぁ、そのシャルロッテを悲しませようとしているのは俺なんだけどな!
……マジでどうしよう。どうしてこうなった?
お読みいただきありがとうございます。
いかがだったでしょう? 今作は短編として書きましたが、長編候補の一つともなっています。明日も同時刻に短編を上げる予定で、両方長編化する可能性もあれば両方しない可能性もあります。
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