表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/7

招かれざる客





「………ん、ふ…ぅ……っ」


怯えさせぬよう、ゆっくりと舌を絡ませる。

少し苦しげに息をつく唇を、空気を吸い込める余裕を与えてやりつつ角度を変えてまた塞いだ。

以前なら反射的に押し戻そうとしていた手は、抗う代わりにラフィエルの胸元を握りしめている。


(……やっと、少しは慣れてきたようだな…)


薄く目を開けながら、辺りの様子を窺う。

まだ何も壊れていない。力が暴走する気配も感じられない。

――――今のところは。


毎日のように続けられた訓練がようやく実を結び、最近のエイレーネはめったに物を壊すことはなくなっていた。

そう、このように深いキスをしても、である。


重ねた唇も絡め取った舌も熱く柔らかい。

軽く吸えば、零れる透明な雫の甘さと相俟って、この上なく甘やかな感触を味わうことができる。

切なげに顰められた眉宇、口づけにおずおずと応えてくるぎこちない動き、潤んだ碧の瞳は、彼の欲情をそそるに充分だった。


驚きに奇声を上げて暴れたり、デリカシー皆無の台詞を連発していた頃に比べると、格段の進歩である。


(もうそろそろ、次の段階に進んでもいいか…)


抱いていた手を片方解いて、項から胸元へと撫でるように滑らせる。

しっとりと滑らかな肌の感触が心地よい。

男の手に素肌を触れられる感覚に反応してか、びくりと細い身体が揺れた。


キスを続けたまま、その反応に気をよくしたラフィエルが更にその奥へと愛撫の手を進めようとした時。


こつこつとノックの音がした。



「ラフィエル様、お客様がお見えです」


扉の向こうから、来客を告げる声が耳に入る。

いい所で、と舌打ちしながら、ラフィエルは渋々とエイレーネを抱きしめていた腕を解いた。


「――――すぐに戻るから、待ってろ」


まだぼんやりしている彼女の髪をくしゃりと撫でてから、立ち上がる。

後ろ髪を引かれるような思いで、彼は部屋を後にした。


だから、ラフィエルは知らなかったのだ。

――――深いキスの余韻からようやく我に返ったエイレーネが、僅かに顔を赤らめたのを。








「……ラフィエル様!」


応接室に足を踏み入れた彼を、女の弾んだ声が出迎えた。

声の主は座っていたソファから立ち上がり、嬉しげな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。



「……リリトか。何しに来た」

「まあ、つれない方ね。ここの所、ずっと夜会でもお目にかかれないし、訪ねてきても下さらないから……。だったら、こちらから押しかけるより他に、あなたとお会いする術はありませんでしょう?」


ラフィエルの冷淡な返事をやんわりと責めながら、リリトと呼ばれた女性は婉然と微笑んでみせた。

細められた水色の瞳には、媚びる一歩手前の艶かしさが揺らめいて。

メタリックブルーの輝きを帯びた黒髪を綺麗に結い上げ、白絹のような肌としなやかな身体を引き立たせる黒のドレスを纏っている。

胸元の大きく開いた大胆なドレスは、己の魅力を十二分に承知した上での装いだった。

ラフィエルにしなだれかかるその仕草は優雅でありながら、男を誘う匂いを漂わせている。



「悪いな。忙しくて、そんな暇はなかったんだよ」


絡みつく手を鬱陶しそうに振り払いながら、彼は形ばかりの謝罪を口にした。


リリトは、エイレーネと出会う1ヶ月前くらいから付き合い出した女性だった。

公爵という地位だけでなく、その容貌や戦士として鍛え上げられた体躯のおかげで、彼には黙っていても女性の方から寄って来る。

したがって、付き合う女性に不自由したことはないし、しかも、その相手はことごとく折り紙つきの美女ばかり。

おまけに、来る者拒まず去る者追わずという性格のラフィエルは、しょっちゅう付き合う女性を取り替えることでも有名だった。

一夜限りの情交の相手などを含めると、その数はとんでもない数になるだろう。



しかし、エイレーネを連れてきてからというもの、ラフィエルはそちらにかかりきりでとても他の女のことにまで目を向ける余裕などなかった。

今の彼にとって、あれほどに手間をかけてやっとエイレーネを我が物にできるという時に邪魔をしてくれたこの女は、もう一顧だにする価値もない存在だ。



「もう……私がどんなに寂しい思いをしていたか、あなたにはお分かりにはならないのね。冷たい人……」


振り払われてなおも、リリトは彼の首に腕を回して。

甘い声音で囁いた。


「あなたが城に閉じこもりきりだと聞いたから……誰か新しい女でも見つけて、そちらに夢中になっておられるのかと……気が気ではなかったわ」

「……そうだと言ったら、どうする?」


いい加減相手をするのも面倒になってきたラフィエルは、彼女の危惧を肯定する台詞で返した。

すると、彼女の眦がきりりとつり上がり――――そのまま怒りに任せて殴られるかと思った彼は。



「……だったら、また私に振り向かせてみせるだけですわ」


妖しく挑発的な笑みを浮かべたリリトの顔を間近に見る羽目になった。

首に絡められた手を振り解く前に、強く引き寄せられて。

唇を塞がれる。


不意打ちのキスに眉を顰めた彼が、彼女を引き剥がそうとした瞬間。




バタッ、ガタン!


いきなり大きな物音がして、驚いた二人の唇が離れる。

慌ててその音の方向を振り向いたラフィエルの目に映ったのは――――


「レーネ…っ!?」


重厚な扉の向こうに佇んでいる金髪の天使。

大きく見開かれた翡翠の瞳は、驚愕と隠しきれぬ衝撃に揺れて。

そして、抱き合っている(ように見える)二人を認識した途端、その双眸は激しい怒りの色を湛えた。



「ラフィエル様のバカ――――っっ!!」


次の瞬間、口を開きかけた彼を遮るように、少女の絶叫が叩きつけられる。

それと同時に、けたたましい音を立てて、辺りに置いてある花瓶や置物が次々と破裂していく。



「きゃっ、なに……っ?」

「レーネ、待て…っ!」


驚くリリトに構わず、ラフィエルはエイレーネを呼び止めようとしたが。

くるりと踵を返すやいなや、少女はその場から駆け出していく。


駆け去る前に垣間見せた、くしゃりと顔を歪めた彼女の表情が何故かひどく胸に堪えた。

その理由を考える余裕もなく、彼はエイレーネの後を追おうとして。

リリトのしなやかな腕に引き止められる。


「あなた、まさかあんな子供を……?」


あの少女に対し今まで自分には見せたこともない顔をした男に、彼女は信じたくない疑念を確かめずにはいられなかったようである。


「もう、お前とは終わりだ。二度と俺の前に顔を見せるな」


この上なく冷ややかな声音で言い捨てると、ラフィエルは今度こそにべもなくその腕を振り払う。

そして、力を暴走させるノーコン天使を止めるべく走り出したのだった。






「レーネっ、待てっ!」


ひたすら逃げ続ける天使を追うその間にも、制御しきれない力の余波が建物のあちこちを破壊していく。

それが目印となって、ラフィエルはたやすく彼女の後を追うことができた。


みるみるうちに、エイレーネと彼の間の距離が縮まっていく。


目指す天使の背中が、もう少しで手が届く距離にまで近づいた時。


不意に、ばさりとその背から純白の翼が出現して。

力強く羽ばたきながら、その翼は少女の身体を空中へと運んでいく。

白い羽根を持つ天使は宙へと舞い上がり、辛くも彼の手を逃れた。



しかし、それを追うラフィエルは悪魔で。

彼もまた翼を持つ者だった。

飛翔して逃げる天使を捕らえんと、彼も漆黒の翼を広げて飛び立つ。


当然ながら、成人して久しい大悪魔の飛翔能力は、まだ少女である天使のそれを大きく上回っている。

あっという間に追いついて、彼はその白い翼ごとエイレーネを腕の中に捕らえてしまう。


「待てと言ってるだろう!」

「……っやだっ、離してっ!!」  


じたばたと暴れまくる天使をきつく抱き竦めたまま、彼は地上に降り立った。

少女が激しくもがく度に、白い羽がはらはらと雪のように舞い散る。

それでも、ラフィエルは彼女を抱きしめる力を緩めない。

やがて、力ではどうしても敵わないとわかったのか、エイレーネは少しだけおとなしくなった。


その間も、暴走する力のもたらす破壊音がまだ背後で鳴り響いていた。



ようやく話ができるとばかりにこちらを向かせ、ラフィエルが口を開く。


「レーネ、話を聞け。あの女とは別に何でもない……」 

「ラフィエル様のバカっっ!! 離してよっ、あなたなんかに触られたくない! 私じゃない人にもあんなコトするラフィエル様なんか…っ」


言いかけた言葉は、彼女の怒鳴り声に遮られる。

これではまるで、浮気現場を見つかった夫と、責める妻みたいな構図ではないか。

などと思いながらも、思わず弁解の言葉を口にしてしまう自分が情けない。


「あれは俺からした訳じゃない! 向こうが勝手に…」

「だったら、ラフィエル様はあの人のものってことなの!?」

「ばっ、何でそうなる!? 違うに決まってるだろう!!!」


(あああ、キスの意味をちゃんと教えておかなかったツケがこんな所に……!!)


などと、今頃後悔してももう遅い。

しかし、内心で頭を抱えていた彼は思わぬ言葉を耳にする。


「じゃあ…あの人も、ラフィエル様のものってこと…!? ……私だけが、ラフィエル様のものって訳じゃないのね…」


本来なら、相手の気持ちなどお構いなしに残酷な事実をあっさり言ってやるのに躊躇わないラフィエルだったが。

ついさっきまでとは打って変わって震えるエイレーネの声が、彼の胸を突き刺した。

そして、そこで初めて気づいたのだ。



「レーネ、お前……」


これでは、まるで。

そう、この怒りよう、そして彼に投げつけられた言葉の数々が示していたのは。

まぎれもない、独占欲。

しかも、それは――――睨みつけてくる潤んだ瞳を見れば―――恋する者の切なさを色濃くにじませているのは一目瞭然だった。


ラフィエルの蒼い瞳に驚愕の色が浮かぶ。


中身はまだまだ子供だとばかり思っていたのに、いつのまに彼女はこんなに成長していたのだろう。

そして、その一途な激しさは他でもないこの自分に向けられているのだ。



それに気づいた途端、ラフィエルは彼女を強く抱き寄せて。


「…っら……ふぃ……っ!」


驚きに見開かれた翡翠の瞳を瞼の奥に残したまま、激しく唇を奪っていた。


こんなことをしたら、ますますノーコン天使の力が暴走して城が壊れるかもしれないとか。

そういった懸念など全て頭から吹っ飛んでいた。



――――ただ、エイレーネが愛しい。その全てが欲しい。自分のものにしたい。


そんな想いと今までにない強い欲望が彼を支配していた。


「ふ……んん……っぅ……っ」


深く合わせた少女の唇から苦しげな呻きが洩れる。

僅かな抵抗さえ許さぬように、ラフィエルは細い身体をきつく抱きしめて。

吐息も何もかも奪い尽くすように、柔らかな唇を思う様味わう。

小さな舌を絡め取り、強く吸い上げては零れる甘い唾液ごと貪った。

震える唇、掻き抱くしなやかな身体、背中で揺れる白い翼、手に触れる艶やかな黄金色の髪、エイレーネを形作る全てが狂おしいほどに愛しい。


口づけに込められた思いの丈が伝わったのだろうか。


「…………!」


ただ震えるばかりだった彼女の身体から強張りが溶けて。

やがて、だらりと垂れていた手が、ラフィエルの背に回された。

愛撫を受け取るだけだった唇が、舌が、ぎこちなくではあるが彼に応え始める。


それを知って、身体の芯から湧き上がる熱。


ラフィエルの中に、今までどんな女を相手にした時にも感じたことのない欲望が燃え上がった。


交わされる口づけはより深く、熱の篭もった激しいものになっていく。

そうやって夢中になってお互いを求め合う二人は、気づいていなかった。



――――いつのまにか、周囲で物が壊される音が消えていたことに。




そして、口づけだけでは足りなくなったラフィエルが直接彼女の肌に触れようとしたその時。


「ラフィエル様、大変ですっっ!! たった今、魔王様から緊急のお使者がいらっしゃって……!」


乱れた足音と共に、執事が血相変えてやってきたのだった。



「………一体、何だというんだ!」


またしても邪魔が入ってしまい、彼は怒りも露に青い顔の執事を睨みつけた。


主人のこの上なく不機嫌な顔にやっと気づき、執事の顔から更に血の気が引く。

が、コトは魔王からの呼び出しという重大事であるからして、怯えつつも使者の用向きを伝えるべく口を開いた。


「もっ申し訳ありません! 魔王様からのご命令でございます………直ちに登城せよ、と……その、ラフィエル様の所にいる天使も必ず連れてくるように、との仰せで……」

「……なんだと!?」


ラフィエルの顔色が変わった。


一体どうしてエイレーネがここにいることがバレたのか。



確かに、千里眼の能力を持つ魔王ならば、ラフィエルの居城の中を覗くことは可能だった。

だが、臣下との信頼関係を損なわぬために、その能力は余程の非常時にしか使われることはない。

それをあえて使い、彼女の居場所を突きとめたのだとしたら……。


考えたくない可能性が脳裏をよぎる。

それでも、己の想いに気づいてしまった今、既に心は決まっていた。


「…ラフィエル様……」


不安げに見上げてくるエイレーネに、彼は安心させるように微笑み、そっとその肩を抱き寄せた。


それから、振り向いた彼はいつもの冷静な表情に戻っていた。



「――――すぐに出立する。支度をしろ」





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ