1-5 読者と階段とビーカー
弁当の片付けもそこそこに教室を出ると、御母衣さんは廊下を曲がろうとするところだった。
姿を見失っても仕方ないほどの時間が経っていたが、彼女が本を読みながらゆっくりと歩いてくれているおかげだ。
「別の階にいくつもりですかな?」
「うーん、どうだろう」
彼女が歩く先には階段と南棟への渡り廊下がある。
南棟は理科室や美術室といった授業教室が集まっているため人は少なく、読書をするにはうってつけだろう。
一方で、別の階は別の学年のテリトリーだ。僕達2年生は2階、3年生は3階、1年生は1階。
当然ながら別の階には行きにくいため、渡り廊下へ向かった可能性の方が高いだろう。
そんな予想は簡単に裏切られた。
御母衣さんは迷うことなく階段を上っていく。
いや、自分の行く先が見えていないのかもしれない。
「うわっ、3年生の階に行ってるね。どうする、小田原くん」
「もちろん行きますぞ」
即答。
彼の足取りは御母衣さんに気がつかれないように、それでいて臆することがない。
僕は彼に追従するように進む。
情けないようだけど、これでもドキドキして新鮮な感覚だ。
目の前の御母衣さんは3年生の群れの中を恐れることなく通り抜けてゆく。
もちろん僕らもその後を付かず離れずで追う。
「あぁ、先輩達の目が気になる……」
「大丈夫ですぞ。むしろ注目されてるのは歩き読書で対向人を避けることない傍若無人の極み、御母衣氏なりよ」
その後をあからさまに尾行する僕たちも僕たちだろう。どこへ行くのか知らないけど、早く到着してください。
「あれ」
「結局、南校舎に向かってますな」
わざわざ3年生の教室前を通過したにも関わらず、渡り廊下から南校舎に向かう。
読書ついでに先輩方を挑発する結果となった。僕が胃に負担をかけたのは完全に無駄だった。
挙げ句には階段を降りて、二階、一階へ。目的地があまりにも読めない。
しかし、一階に降りて角を曲がると彼女の姿が消えた。
「おやおや!? 御母衣氏がいませんぞ?」
たった4、5メートル前にいたはずなんだけど。横の第一講義室に入ったのかと思って扉を開けようとしてみるも、鍵がかかっていて開かない。
「あっれ、向こうの教室かなあ」
「ワルモノーの反応リリ☆」
「なるほどなるほど、ワルモノーね……ワルモノー?」
振り向くと柔らかいものが顔にあたった。ふわふわふかふか、いい柔軟剤使ってるなぁ……ってリリィ!?
「さあ、ハンサム騎士の出撃の……グヘェ!!」
リリィの首根っこ掴んでダッシュ、たまたま開いていた理科室に駆け込んだ。
部屋の鍵を閉めて改めて確認するが、やはりリリィだ。
「なんでここに!?」
「ワルモノーが現れたリリ☆ さあ、三太のハンサム騎士としてのデビューだリリ☆」
「えええ、心の準備が……」
「いまからするリリ☆」
リリィがブラック企業染みた発言をするとほとんど同時に、建物がミシッときしめく音が聞こえた。
ゴォォオオオ!!!
少し遅れて重く低く痺れるような音。思わず両手で耳をふさいでしまう。怪物が出現するときにいつも聞こえてくる音だ。
リリィが目の前で何か言おうとしていることに気がつく。
「ワルモノーの咆哮リリ☆ どうやら野球のグローブに宿ったらしいリリ☆」
カーテンを開けて窓の外を見ると、野球部の部室があった校庭の隅あたりに巨大な陰。部室はこっぱみじんだが、カラプリが勝てばもとに戻るので問題はない。
前はバスケットボールだったし、スポーツ用品が怪物化するケースは多い気がするなあ。
「そろそろ、カラプリ達が出動するころリリ☆」
つまりは僕の出番も近づいているということである。そんなことを考えて、体に緊張が走る。
「……またルル?」
不意に誰かの声が耳に入る。
小田原くんかと思って息を潜めて耳を立てた。しかし、その声はあの妙に高い男声ではなく子供のもののようだった。
声のする方に寄っていくと、扉を一枚隔てた向こうの理科準備室に人がいるようだ。
「今日ばかりは貴女がいないと厳しいナノ」
一人ではないようで、別の誰かが返事している声が聞こえる。
ふとリリィの方を見ると、ばっちり目があった。
「ライヴリー・グリーンが近くにいるみたいリリ☆」
「えっ」
どうしてライヴリー・グリーンが学校に?
そんな疑問が頭に沸き起こると同時にある一つの可能性に思い至った。
僕は音を建てないよう、静かに扉を開けた。開けた先には人影は見えなかったが声がより鮮明に聞こえるようになった。
「せめて学校に来たときは学校での戦闘に参加してほしいルル。ライヴリー・グリーンがいないと他の二人が困るルル」
「やだ」
「やだって……もうちょっと気の利いた返事がありそうルル」
どうやら僕の寛は当たっているようだ。せめて学校に来たときは……そこには日頃あまり学校に来ていないかのようなニュアンスがあった。
「さあ葉菜ちゃんファイトよルル!」
葉菜……御母衣さんだ。まさか、彼女がライヴリー・グリーンだなんて。
僕は顔を確認しようと半身を出した。
すると腕がなにかに触れて、カランと音が鳴った。はいはい、そうなると思ったよ。当然、御母衣さんとバッチリ目があってしまった。不幸中の幸いはビーカーが地面に落ちなかったことだった。




