1-1 ゴキブリと勉強とプリンセス
体育館の屋根上に立つ、その少女の声はスピーカーを通して学校中にこだました。
聴いてください……
ドキッ☆ゴキブリが参考書の下で死んでた
マイクを握りしめ、滾るような赤の衣装に身を包んだ彼女は『美少女戦士カラープリセンス』、通称カラプリのパッション・レッド。
僕がいる2年4組の教室からでははっきりとは見えないがきっと美少女なのだろう、多分。
カラプリ達に対峙するは、悪のエナジーを注ぎ混まれて巨大化し、まるで本能のままに暴れまわるバスケットボールの怪物だ。
校庭の設備を執拗なまでに破壊している。バスケットボールとして何か思うところがあったのだろう。
さあさあ、丸腰同然のパッション・レッド。だが、クラスメイトの誰もが彼女の勝利を信じて疑わない。
絶対絶命の大ピンチなのに?
いやいや、マイクさえあればパッション・レッドは無敵だ。パッション・レッドの武器は唄なのだから。
彼女の動きの機微はわからないが、スーッという息を吸う音はマイクに吸い込まれて僕の耳に届いた。
♪ドキドキドキドキしちゃってんだ
ゴキゴキゴキブリ死んでたんだ
ララララーニング ラララランニング
部屋を飛び出してママにこういうの
ちょっ ママ!? 部屋の掃除しておいてって言ったよね!?
ゴキブリでたんだけど マジありえない!!
そんなアタシをやや強めに殴ってきっとママは呟く
アンタ私が部屋いじったら文句言うんちゃうの!?
そんなことより勉強せえ ゴキブリなんて言い訳にならへんよ!?
Oh,Yeah~♪
なんとも言えない空気が校舎に漂う。
澄みきった歌声にぶっ壊れた歌詞。そのどちらが作用してか、バスケットボールの怪物は苦しそうにその場で震えている。
「いっ、いいぞー!」「こ、この調子だー!」
カラプリの優勢を確認すると、そこでまた歓声が上がる。唄のおかげでおかしくなった空気をかき消すかのように。
「今よ、ファイン・ブルー!!」
パッション・レッドが叫ぶと同時に、クラスメイト達が一段と沸き立った。
「ええ、任せて!」
体育館の影から飛び出したのはファイン・ブルー。
左手に絵筆を握った彼女の武器は絵だ。
空中に虹色で描かれたハンマーは瞬く間に具現化する。
それを握って──
「うぉりゃあ!!」
ブォア、バスケボォォーー!
怪物の能天気直撃だ。かなりのダメージが入ったようで、ついには動かなくなってしまった。
「とどめよ、ライブリー・グリーン!」
教室の誰かが空を指差し「いた!」と。
神出鬼没のフィニッシャー、ライブリー・グリーン。
神出鬼没すぎてファイン・ブルーが呼びかけても登場しないことがままあるが、今日はしっかり出動していたらしい。
出席率に問題がある分、パワーは他の二人をはるかに圧倒する。
空中でくるりと1回転、そのまま怪物バスケボーにダイナミックかかと落とし。
決まった!
バスケボーから黒い靄のようなものが浮き出てくる。
悪のエナジーがボールの内に滞留できなくなり、溢れだしているのだ。つまり、今日もカラープリンセスの勝利に終わったようである。
校舎中から歓声が沸き上がった。
拍手喝采に包まれて、カラプリの3人は何処かへと姿を消した。
ほとんど同時に、壊れた建物や瓦礫が独りでに修復しはじめる。初めて見たときは衝撃だったが、今となっては見慣れたものだ。慣れって恐ろしい。
そしていつものように奥只見会長が巡回にやってくる。
「2年4組の皆さん、大丈夫でしたか?」
「いつものどおり怪我人は0だよ、まったくカラープリンセス様々だな」
ゴリラ似の担任教師が会長の質問に答えた。
全クラス回っての安否確認。なんでも生徒会長が自ら進んで執り行っているらしい。
成績優秀、スポーツ万能、眉目秀麗。加えて正義感のある完璧超人もいるもんだなあ。ただただ感心するだけだ。
まもなく何事もなかったかのように授業が再開される。さっきまでの大騒ぎがまるで嘘のようだ。
そんな風に、僕達は日々の事件の当事者ではあるけどまるで映画を見ているように遠くに感じていた。
それがまさか……。