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最終章 確かな思い

昼頃、達也の家に3人は集まっていた。

リビングの中心に佇むテーブルを囲むように3人は座っている。

神楽新一は、頭を掻きながら。

「ていうか、達也が秘密基地を作りたいって願ったんだったら、お前は出会う前から俺達を振り回してたって事か」

その言葉に、夏目達也は頷いた。

「あぁ出会う前から俺のカリスマ性が炸裂しちゃってたな、てへ」

「てへじゃねぇ……」

と、そんな達也とと新一のやり取りなど気にせずに天原悠季は、前髪をいじりながら

「ていうか、どうやって葉月を救うの? 何か方法とかがあるの達也?」

「いや、ない」

「はぁ?どうすんのじゃあ」

「そんなの決まってるだろうが」

達也は誇らしげに。

「俺たちの十八番、召喚するんだよ」

「召喚って……あの時の……?」

悠季は葉月と再会したあの日を思い出す。

「あぁ無駄に賢く攻めるよりこっちの方が俺ららしいだろ?」

「まぁそうだけど、でもあの時と今は状況が違うと思う」

と、その悠季の言葉に達也は立ち上がり、部屋の角にあるタンスをあさりだす。

「いや、まぁそうなんだけどさ、俺ももうそんなに悠長に考える時間が無いのよね」

「どういう事?」

「明日の夕方発の飛行機でお家に帰らなくちゃいけないので、少なくとも空港に向かうことを考えたら昼からここを出発しなきゃ」

「え……、あっそうなんだ……」

短い沈黙が辺りに漂った。

達也はからかうような声音で言う。

「なに? 俺が帰っちゃうから、もしかして悠季ちゃん寂しい感じ?」

「うん、寂しい……」

「へ……?」

達也は悠季の予期せぬ言葉に、つい間の抜けた様な声を発してしまう。

「寂しいよね、新一」

悠季は新一の方を振り向く。

「あぁ、寂しいな。てかそういう事はもっと早く言えよ」

達也は二人がこんな反応をするなんて、予想もしていなかったため素直に、

「ごめん……」

なんて、言ってしまった。

「まぁ、せっかくだ。別れの時は悠季と二人で見送ってやるよ、なぁ悠季?」

新一は朝の日差しのような穏やかな表情で呟いた。

「うん、見送るよ達也」

悠季も同様な声色で言ってくる中、達也はなんだか無性に恥ずかしくなってきてしまう。

気持ちを紛らわすかの様に、焦ってタンスの中を徒にさばくる。

「あったっ」

その言葉と同時に達也は一枚の紙を取り出した。

悠季と新一はその紙を覗く。

その紙には絵が描いてあった。いや絵などとはとても言えない、子どもが書いたラクガキの様なもの。

紙の中心に大きい樹が描いてあり、手をつなぎ輪になった三人の子どもがその木を囲んでいるなんだかシュールな絵。

「達也……お前……」

新一は緊張した面持ちで、

「絵ヘタだな……」

と、急に冷めた目で達也を見つめた。

それに達也は、

「いや……、それ多分描いたの俺じゃないし、仮に俺だとしてもヘタとかヘタじゃないとかの概念の話じゃないだろ……。ていうかお前いつからそんなベタなボケをかます様になったよ……」

悠季はそんな2人を横目に。

「あんたら漫才は良いから、これがなんなの達也?」

「あぁ見てくれこの絵に描いてある子どもを」

すると悠季と新一は驚いた。

「これって私?」

「おれだ……」

達也は頷く。

「あぁそうだ、これは俺たちだ。で、昔の俺たちを知っている唯一の人物」

悠季は呟いた。

「葉月……」

「そうだ、これは葉月が描いたのもだと思う。最初は俺が描いたものだと思い込んでいたんだけど、でも俺は昔のお前らの顔なんて知らないしさ」

改めて達也は葉月が残したその絵を見つめる。

紙の中心に大きい樹が描いてあり、手をつなぎ輪になった三人の子どもがその木を囲んでいるなんだかシュールな絵。

この絵がなんの意味を表しているのか達也には分からない、だけど。

「なぁこの絵に描いてあるのと同じようにさ、コスモスを囲んでみんなで葉月を召喚しようぜ」

これしかない、とそう思い達也は微笑む。

その言葉に新一は頭を掻きながら。

「っていうか、もうそれしかなくね? 葉月がその絵で何を伝えたかったのかなんてわからないけど、でもその絵は確実に俺たちだしな」

うんうん、と悠季も頷き。

「もうそれしかないよね。葉月はこうなる事を分かっていて、この絵に思いを託したのかもしれないし……あっ、でもこの絵だとみんなで手を繋がなきゃいけないじゃん、うわ……いやだ……きもい、達也軍手してよ」

その言葉に、達也は冷めた目で勇気を見つめる。

「お前さ……せめて手袋って言えよ……なんだよ軍手って、てかそういう事言われると切ない気持ちになるからやめて」

などと言い合っているそんな二人のやり取りを見て新一は思わず笑ってしまう。

大切な人が消えてしまったのに、こんな冗談を言い合っている二人を見て、何よりこの冗談を見て改めて記憶を取り戻して良かったなんて思ってしまっている自分がいることに。

「ふっフハハハ……」

おかしな幸せを感じてる自分に。

「なぁ達也、俺やっぱりお前がいなくちゃ無理だわ」

つい新一はそんなことを行ってしまった。

少し前の自分なら絶対言わないだろうなぁなんて思いながら。

すると、達也は一瞬あっけらかんとした表情になった。

「えっ……ちょ何いきなり? なぁ悠季こいつ怖くね?」

悠季は頷く。

「うん怖いし、なんかキャラが変わってキモい」

などと言い、二人は新一に冷めた目を向ける。

「お前らホント……」

と、呟いた新一を達也は見つめ。

「てかさぁ、お前間違ってるから俺だけじゃないだろ?」

彼の言葉に新一は言う

「あぁそうだな。悠季も、そして葉月もな」

その言葉に達也は一瞬だけ微笑んだ。

「俺の考えではまだ葉月を助けられると思ってるんだ、もう助けられなかったら俺らの記憶も思い出せなかったと思うし」

その言葉に悠季は彼を見つめた。

「葉月はまだそんなに遠くに行ってないってこと?」

「あぁ、その可能性があると思う。だって現に俺らが記憶を取り戻して集まってるじゃん」

それは本来なら出会わないはず運命。

葉月がいたからこそ、生まれた出会い。

彼は続ける。

「推測でしかないけど、本当に葉月の存在がなくなったのなら、俺達の記憶は絶対に戻ってない。だけどこうして思い出せた以上葉月はまだギリギリの所で存在してるんだと思う」

と、真摯に呟く彼の横顔を悠季は覗いた。

「達也って優しいね」

「だろ? 自分で自分に惚れそうになる時あるからね」

「えっ? 自分で自分に? キモッ……」

「いや、冗談だよ」

彼は続ける。

「お前らも感じただろ。あのガラス細工の葉月の思いをさ、あれが葉月の叫びなんだよ」

とても暖かくて、どこか儚げで寂しい思い。

達也は窓際に置いてあるガラス細工に目をやった。

「葉月寂しがってるよね、私達と離れ離れになって」

同じく悠季もガラス細工に目をやった。

新一が言う。

「待っとけよ葉月。必ず助けてやるからな」

その言葉に達也は、よしっと一言呟き立ち上がった。

「夕方にCOSMOSの前に集合なっ!」




赤く眩しい西日が差し込む中、COSMOSの前に達也達は集っていた。

高台の中心に凛々しくそびえ立つ樹、枝分かれした幹の上に組んだ小屋。

雑草が生い茂る中、佇む手作りのベンチとブランコ。

そしてお世辞にも綺麗とは呼べない字で書かれた、COSMOSの看板。

葉月が消えたあの日と何一つ変わることのない風景がそこにはあった。

彼女自身が存在しない一点の事実だけを除いて。

達也は静かに口を開いた。

「なんか、すげぇ久しぶりに来た気がするな」

などと呟く彼に、悠季はベンチに腰を下ろしながら。

「確かにそうかも完成させた日以来だよね、みんなでこうやって集まったのってさ」

彼女は高台から見える、海の向こう側に佇む夕日を儚げに見つめていた。夕日に映える彼女の表情は不思議と絵になった。

そんな彼女の表情につられてか新一も夕日を静かに見つめる。

「まさか、こんなふうになっちまうなんて思わなかったよな」

そう、あの日を堺に一人の少女が消えた。優しく微笑みながら、痛々しくも精一杯の笑顔で。

各々の記憶とともに世界から消えていった。

達也は夕日に映えるコスモスを見つめる。

「あぁ本当にそうだよな、ムカつくわ。何勝手に消えてんのって感じ。なんで全て一人で抱え込んでんのって感じ」

彼はコスモスの樹を何度も足蹴にする。

「マジで考えれば考えるほどムカつくわ。カッコつけ過ぎだから」

更に続ける。

「なぁ葉月……お前は全て望み通りに行ったとか思ってるかもしれないけどさ、一つだけ致命的なミスしてるから」

と、呟き彼はコスモスの樹に立てかけてある、葉月が作った看板を踏みつける。

「運悪くお前はこの性格の悪い俺と約束を結んじゃったからな」

達也は微笑んだ。

「始めるか悠季、新一」

その言葉に二人は頷きコスモスの樹を囲む。互いが互いに手を繋ぎコスモスの樹を中心に一つの輪が作られた。

互いの視線が交錯し、なぜだか共に頷く。

達也は両手を強く握る。

すると同じようにまた強く両手握り返された。

そして達也は言う。

「我が名は、夏目達也、我が呼び声に答えよ、葉月」

と、彼のその言葉にコスモスの樹が激しく揺れる。

刹那。

強力な光に視界が眩む。

耳障りな甲高い音が耳に響く。

「ぐっ……」

飛びそうになる意識を、夏目達也は必死につなぎとめる。両手をもう一度強く握る。

すると、次第に耳障りな音が小さくなっていく、光が収まっていく。

視界が晴れるとそこには。

「えっ?」

変わらずに佇むコスモスの樹。

「…………」

達也は周りを見渡す。

草は伸びたい放題で、その空間の中心にそれほど大きくはない木が佇んでいて、そうまるでここだけ時間が止まっているかと錯覚してしまうような、そんな不思議な場所で。

一見そこは彼らの慣れ親しんでいる高台そのものだった。

だが。

「俺らが作った秘密基地がない」

そう、彼らが作った秘密基地が一切存在していない。

悠季と新一も視界が晴れたのか口を開く。

「なにこれ……? どういう事?」

「おい達也、なんだよこれ?」

「分からない、どうなってんだろ……」

と、達也は呟き高台の周りを見渡す。

悠季は呆れ顔で。

「もしかして、失敗したのかなぁ? 新一がなんか余分な事考えたんじゃないの?」

「考えてねぇよ。お前のほうこそ、潔癖な性格で手を握った時になんか雑念よぎったんじゃねぇの?」

「なっ……そんなこと思ってないから、心外なんだけど、てか……」

などと言い合っているそんな瞬間。

ガササッ、と木が擦れる音。

その時。

「いてて……」

一人の少年が高台に現れた。

年の頃は幼稚園ほどだろうか。

髪は黒く、子どもながらの直毛な髪質が印象的な少年。

「あれ? 今日は来ていないのかな?」

少年は呟き、周りをキョロキョロと見渡している。

どうやら少年には目の前にいる達也たちは見えていないようだ。

達也はおもむろに少年を見つめる。

「そういう事かよ……」

達也は瞬時に理解した。

この状況を、この少年の存在を。

「だとしたら……」

達也はコスモスの樹の枝分かれした幹の先に視線を送る。

すると、その幹の上に少女が現れた。

腰までかかる長い髪に丸みを帯びた凛々しく光る目。華奢な体の少女。

幹に腰を下ろし、足をぶらぶらと揺らしながら少年を見下ろしている。

そんな様子に達也は思わず笑ってしまう。

「はは……」

木の上の少女を見た悠季と新一も瞬時に状況を理解した。

そして悠季は呟いた。

「12年前の達也と葉月……?」

そう、これはこの場所に刻まれた記録。

達也と葉月の脳の深くに眠っていた記憶。

幼き頃の達也と葉月。

すると、樹の上に佇む幼き葉月の存在に幼少の頃の達也は気がついた。

「うわ、いたんだ」

葉月は無邪気な笑みを浮かべ。

「ここに来て毎日何をしてるの?」

「別に何もしてないけど……」

「じゃあなんでここに来るの……って、あっ分かった! もしかして君は友達がいないんでしょ」

「いっ……いるよ、友達くらい……君の方こそ僕がここに来ると絶対にいるじゃんか……」

などど、言い合う幼き二人に思わず悠季は笑ってしまう。

「達也、可愛いじゃん」

「いや、恥ずかしいからそこはいじるなって」

新一も続いて。

「いやーお前もピュアな時期があったんだなー」

「マジで超恥ずいんですけど……」

などと、こちらも言い合っていると、幼少の頃の達也が葉月に。

「僕が、君の初めての友達になってあげる」

「ほんとっ!?」

葉月は満面な笑みで答える。

そんな光景を達也は見て。

「…………」

彼は改めて思い出した。

12年前のこの日の事を思い出した。

「この日だ……この日に俺は葉月と約束を交わしたんだ」

悠季は目を大きく見開く。

「えっ……ほんとに?」

達也は頷く。

「じゃあ、この日から全ては始まったんだ」

そう、この日この約束によって葉月と悠季達は巡り会えた。

悠季が幼き頃の葉月を見つめていたら、彼女は唐突に胸を張った。

「じゃあ、私の初めての友達になった君には、お姉さんが特別なプレゼントをあげよう」

すると、幼き頃の達也は。

「何をくれるの?」

「聞いて驚くなよ……なんと君の願いを一つ叶えてあげるのです、えっへん!」

自慢気に言った。

そんな葉月と幼き頃の自分を見つめながら、

「…………」

達也はどうすればいいかと迷っていた。

何が狙いなんだろうかと。

悠季達にこの日の事を見せたかったのだろうか。

それとも自分にこの日の事を思い出して欲しかったのだろうか。

「コスモスは俺に何を……?」

と考えていると、目の前で幼き頃の葉月が幼少の頃の達也の頭をこついた。

「いいから、お姉さんに言ってみなさい、その願い叶えてあげるから」

幼き頃の葉月がそう言った。

「…………」

その願い叶えてあげるから、なぜか達也の頭の中でその言葉が深く反問した。

「…………」

その時、彼は理解した。

コスモスが己に何を託したかを。

すると幼少の頃の達也は葉月の問いに答えるように呟く。

「僕の願いは──」

「俺の願いはっ!」

瞬間。

達也が間髪いれず割って入り心の底から確かな思いを言い放った。

「葉月、お前を救いたい!」

目の前にいる十二年前の自分とは異なる願いそして思い。この悲しい筋書きを変えたいと願う彼の確かな思い。

「えっ……」

すると達也達の存在など見えていないはずの、幼き頃の葉月が達也の目を覗いた。

──刹那だった。

突如として、激しく唸り揚げるコスモスの樹。

突如として、枯れた葉の様に色褪せる高台の景色。

「っ……!」

とてつもない地響きに思わず達也はバランスを崩してしまう。

「ちょっと、どういう事……」

悠季はただ立ち尽くしている。

辺りに響き渡る、耳鳴りの様な高周波。

「うっ……!」

達也の視界に先ほどの輪になった時と同じ様な強烈な光が襲い掛かる。

視覚も聴覚もろくに働かない中で闇雲に彼は叫ぶ。

「葉月っ! どこにいるんだ葉月っ!」

喉がちぎれる程に声を上げる。

すると、段々と視界が澄み渡ってくるのを感じる。

少しずつ、耳鳴りも遠くなってきた。

「ここは?」

先程までと一変した世界に、達也は目を見開く。

暗い暗い闇が永遠と続いていると思わせるような虚無の空間。

瞳孔がまだ開いていないのか、殊更にこの世界が暗い事しかわからない。

「悠季、新一?」

達也は呼びかける。

「おぉ、いるぞ」

「私も大丈夫」

どうやら二人共無事のようだ。

その時だった。

「そこに誰かいるの?」

か細く弱々しい女の声。

達也の耳にその声が聞こえる。

もう一度聞こえた。

「ねぇ誰かいるの?」

「…………」

それだけで十分だった。

達也は笑い出しそうになる自分を必死で抑えつつ声のする方に歩んでいく。

悠季達にその声は聞こえてないのか付いてくる気配はない。

一歩一歩近づくたび女の声が大きくなる。

「いるんだったら返事してよ」

「……」

達也はその目で確認する。

薄暗い世界に背中を丸めしゃがみ込み、うつむいている存在を。

全てを諦めているかの如く、世界を拒絶するかの如くうつむいている存在を。

足音を消しゆっくりと近づき、そして。

「よぉ、ご無沙汰だな」

「えっ?」

その存在はゆっくりと顔を上げた。

「久しぶりだな葉月。元気にしてたか?」

「うそ……どうして……?」

葉月はただただ、彼を見つめている。

時が止まってしまったかと思わせるほどまっすぐに。

「驚いたか? お前があまりにも身勝手で俺のプライドをグチャグチャに踏みにじってくれたから、ムカついて一発カマしてやろうと来ちゃった」

「どうやって……?」

「持ち前の性格の悪さで」

と言った彼の台詞に葉月は思わず笑ってしまう。そして彼女は自分の意志で立ち上がり。

「フフ……確かに、達也死ぬほど性格悪いもんね」

「いや、言っとくけど葉月も相当だからね」

「私は優しいお姉さんだもん、ほらヨシヨシしてあげる」

そう言って彼女は達也の頭を撫でる。

「あっ……」

だがその手は虚しく達也の頭をすり抜けてしまう。

「やっぱり無理かぁ、久しぶりに会えたからヨシヨシしたかったのに……」

「さすがに触れるのは無理なのか、くそっ一発殴ってうさ晴らしをしたかったのに」

「えーっ酷いよ達也、こんな哀れで可哀想な葉月ちゃんを殴るなんて鬼畜って……あれ?」

突然と達也の体が淡く光り始めた。

「これって……まさか」

達也の言葉に葉月は自嘲気味に微笑む。

すると、その達也の体から放たれる光に気づいたのか少し離れたところから、

「達也いたっ!」

悠季の声がこだまする。

「うそ、悠季達もいるの?」

葉月は嬉しそうに達也を見つめる。

「あぁ、当たり前だろ。ちゃんと4人でCOSMOSを作ったんだから」

cosmosそれは4人で作った友情の証、約束の証。

「そうだったんだ……COSMOSが……」

彼女はそう呟き、何か気づくことがあったのか、遠くを見つめた。

たんたんと、この虚無の空間にはそぐわない軽快な足音を辺りに響かせながら、悠季は達也のそばに駆け寄って来る。

その後ろにはもちろん新一の姿があった。

二人共、達也と同じ様に体が淡く光っている。

「う……嘘……」

彼女達も葉月の存在に気がついた。

悠季は口元に手を当て葉月の存在を確かめている様に見つめている。

「おい……達也……」

新一も珍しく驚きを隠せない。

そんな二人に葉月は優しく微笑みかける。

「久しぶりだね二人とも、元気にしてた?」

と、その言葉は先程の達也が言った言葉そのものだった。

悠季は既に目に涙を浮かべている。淡く輝く小さな体と今にも滴り落ちそうな涙、あまりにも儚いその姿に葉月はとっさに頷き両手を広げた。

「もう……葉月」

悠季は弱々しく呟き彼女の胸に飛び込む。

だが、

「え……」

虚空を掴むだけで、二人は抱き合うことは出来ない。

葉月は申し訳なさそうに俯いた。

「ごめんね、悠季。この空間はあっちの世界に存在してる人……ううん、生きてる人が本来、来れる世界じゃないんだよ」

そう、ここは狭間の世界。存在しない者がたどり着く虚無の空間。

葉月は会って早々に言うべきことでは無いと思ったのだが、そんな悠長な時間がないことを気づいていた。

「そんな……」

と呟く悠季をよそに葉月はさらに続ける。

「多分みんなは私を救おうと思ってきてくれたんだよね、その気持は嬉しい。だけどね、もう私がそっちの世界に戻ることは絶対にできない」

「…………」

悠季は泣きそうになる気持ちを必死で堪える。

何度も唇を噛み締め耐えようとするが、絶え間なく涙が溢れてしまう。

多分、私なんかがどうにかすることなんて到底出来ないような問題なんだろう、助けるなんて事の前に触れることすら出来やしない。

そう、思うと涙が出てきてしまう。このどうすることも出来ない現実を受け入れることが出来なくて、自分の無力さを苛む。

葉月は悠季の姿を見て胸が締め付けられるような気持ちになるが話す事をやめない。

「今、みんなの体が光っているのも、あっちの世界の人間だから。もうすぐ光になってあっちの世界に還されるんだ」

彼女は両手を前に広げ自嘲気味に微笑む。

「ほら見て私の体。全く輝いてないでしょ? 私がこの世界の存在になった証。逆に私が仮にあっちの世界に戻っても今のみんなみたいになるけどね」

その言葉は明確な拒絶だった。彼女の優しさから生まれた拒絶。

悠季にも彼女の優しさは理解できた。無理をしている葉月の様子を感じ取っている。

「葉月はそれで良いの?」

少し枯れた声色で悠季は問う。

「平気だよ。だってみんなで一緒になってCOSMOSを作ることができたし、何よりみんなが私の存在を忘れないでいてくれたんだもん、それだけで私は幸せ」

彼女は伏し目がちにそう呟く。

「葉月……」

無常にも悠季の体から発せられる光は更に強くなり体が段々と薄く透明になっていく。

途端、悠季は焦る。

自分はもう元の世界に還されるんだと感覚的に理解できた。

「私、葉月に会えて良かった、葉月と一緒にコスモスを作ることができて良かった。これからもずっと忘れないよ絶対」

もう、目が赤く腫れあがるほどの涙を浮かべながらに彼女は言う。

葉月は悠季の言葉に微笑み頷く。悠季が自分の思いを汲んで今の言葉を言っていることを理解できていた。

葉月の微笑みに合わせ悠季も微笑む。

「本当はわがまま言いたいよ。葉月がいないと嫌だって思いっ切り叫びたいよ……。でも我慢する、そんなことしても葉月を悲しませるだけだもん。」

どうあがいたって現状を変えることが出来ないのだろう。それにもう時間がない。葉月に一方的に自分の気持をぶつけても困らせてしまうだけ、そう思い悠季は精一杯の笑顔で葉月を見つめる。

そんな、無垢な微笑みを達也は、

「…………」

黙って見つめていた。

自らの体の光が増々強まっていき、この圧倒的な世界の理を感じ、自分たちの決意の価値がどれほど矮小なものかを思い知った。

また、悠季も葉月が消えたあの日の自分と同じ様にこの狂しいほどな現実に勝てず受け入れてしまっているんだなと思う。

「……そんなのじゃ何も変わらないんだ……」

静かに誰にも聞こえないほどの声で達也は呟く。

と、その時悠季の体が光に包まれ、

「葉月、ありがとう……大好きだよ」

悠季は消えた。

元の世界に還った。

葉月は虚ろ気な表情で俯いていた。

新一は叫ぶ。

「悠季ーーーーっ!」

そんな新一に達也は諭す。

「あっちに還っただけだ心配すんな、それより今しか出来ないことがあるだろ」

「でもよ……」

「今、葉月に思いを伝えとかなきゃ後悔するぞ」

新一は葉月につぶやきはじめた。

「悠季の事は心配しないでくれ葉月」

葉月は虚ろ気な表情から一転、新一と正対した。

「うん、頼むよ新一、悠季は優しいから絶対我慢してる。新一がそばに居てあげて」

「あぁ俺は悠季を守る、いつでもあいつの支えになってやる」

「さすが新一、かっこいいねっ!」

「茶化すなよ、それより葉月お前はどうするんだよ」

どうする、と言う新一の言葉に葉月は一瞬だが間が空いた。

「私の事は良いんだよ。私はもう死んだに等しい存在だもん、後はここで静かに消えてくサダメ」

達也はそんな葉月を見て奥歯を噛み締めた。

どうあがいたってもう、彼女を助けることは出来ない自分にやり場のない怒りを感じる。

新一もこの無常な運命を理解したのか、

「俺、葉月と出会えて良かった、ありがとう」

新一も悠季と同じような精一杯の微笑みを葉月に向け最後にその言葉を残し、光となった。

「新一も行っちゃったね達也」

葉月は達也に背を向けながら、呟く。

達也は何も答えない。

「新一も悠季も優しいよ、私には勿体無いくらいにね……」

彼女は達也の方を振り向き少し首をかしげながら、

「ほら、二人共行ったよ、跡を追わなくていいの?」

対して達也は葉月をあしらうように。

「神様がお前はもうちょっとだけ居させてやるだって」

「神様なんて信じてるの?」

「自分の都合のいい時だけね、逃げ道としては神なんて概念は最適だろ?」

彼女は眉一つ動かさずに達也の足元を覗きこんだ。

「もう、あっちに還りなよ達也、ここに来ても何も変わらない」

達也も葉月も理解した世界の圧倒的な理、輪廻。

その現実に降伏するかの様に、葉月は腰を下ろし、久遠に続いていると思わせる闇を見上げた。

「どのみち、俺の意思に関わらず還るから」

「もういいよ……。私の事は」

「ははっ、世界に拒絶された挙句、俺をも拒絶するってか?」

葉月は何も答えない。

瞬間、達也は彼女の顔を目掛け足で押し出す様に、蹴る。

だが、その足は彼女をすり抜けた。

葉月は驚いたのか深く目をつむっている。

「もういい加減大人しくなれよ、素直に俺の事が好きだって言えばいいだろ、離れたくないって言えばいいだろ」

「…………」

彼女は深く呼吸した。

「好きに決まってるじゃん。達也の事、大好きだよ。達也だって私の気持ちに気づいてるくせに。私が拒絶するのもわかってるでしょ?」

達也は答えない。

「分かってるなら、もう優しくしないでよ……」

小さく丸くなっている葉月の背中、華奢な彼女の体が一層達也には小さく感じられた。

「俺の優しさが苦しいんだよな」

葉月は頷く。

「そうか……」

すると、達也の体が白く輝きだした。

もうお別れなんだな、と達也は思う。

葉月も気がついたのか、振り返りどこか虚ろに、遠くを望むような目つきで達也を見ていた。

達也はにこやかに微笑み、

「俺はもう、お前のことなんて忘れるし、あのコスモスを作った事なんてきっとさぞ下らない事をしたんだろうと思うんだろうな」

「え?」

葉月が呟く、しかし達也は止まらない。

「てか、本当にお前の人生ってなんの意味があったんだろうな、俺の願い事に存在価値を見出して、叶えたらあっけなく世界に消される、ハハなんだよそれ滑稽。見てみろよ俺の体を、ほら光ってるだろ? 生きてるんだよ俺は、お前と違ってあっちの世界で確かに存在してるんだよ」

「……」

「あとさっき神様なんて信じてるの? って言ったよな。違うから、正にお前の為に神って概念は存在してんだよ。お前みたいな弱く不確かな存在は精々神にすがれよ。逃げちまえよこの現実からその方がお似合いだぜ」

「……」

「ほら、これが俺の本心だ、幻滅したろ? こんな性根の腐った奴の願いなんて叶えてしまって哀れだな、永遠とこの世界で孤独に引き篭もってろや」

「…………」

「俺は、あっちの世界でしっかりと生きていく。新一や悠季と俺は違う。お前の存在なんて、あの秘密基地なんて、なんの確かな価値もない」

消える寸前に達也は。

「じゃあな」

と、一言呟き光となり消えた。元の世界に還った。

あっけない無機質な別れ。

葉月はもう今はない、達也の面影を見つめるように。

「意味ないよ……。そんな事言って嫌いになれるわけ無いじゃんか、優しくしないでって言ったのに……」





目が覚めて、最初に視界に映しだされたのは、満天の星空だった。

「達也っ! 大丈夫か?」

夏目達也は朦朧とする意識の中、男の声を聞く。

どこかで聞いたことのある声。小微ガラの悪い声色。

彼は思い出した。

「おぅ、大丈夫だ新一……バッチグー」

小粋に親指を立てた。

「え、なにそれキモ……おやじみたい……」

近くで耳通りの良い女の声が聞こえた。

達也は、ほくそ笑みながら。

「いや、あえてだから悠季、一周回っておやじ臭い事言ってんだよ俺は。そこ勘違いすんな」

と、呟いて彼は体を起こし、立ち上がる。

辺りの様子は変わっては居ない。

高台の中心に凛々しくそびえ立つ樹、枝分かれした幹の上に組んだ小屋。

雑草が生い茂る中、佇む手作りのベンチとブランコ。

そしてお世辞にも綺麗とは呼べない字で書かれた、COSMOSの看板。

そう、まるでここだけ時の流れが止まってしまっているかのような、そんな空間。

「ねぇ、これで良かったのかな……」

薄い月明かりしか無い、なんだか物悲しい視界の中、悠季の凛とした声が響いた。

暗く、悠季の表情を思うように覗くことが出来ない中、達也は言った。

「悠季はどう思ってるの?」

「葉月にありがとうって言えた、大好きって言えた、ちゃんと自分の思いを伝えれたと思う」

「なら、満足じゃないか」

「でもさ、これって結局何にも変わってない……」

と、何やら喉に詰まる物があるかのように悠季は弱々しく呟いた。

達也は、うん、と一言放ち。

「確かに何にも変わってない。でもあの時の葉月を見て思ったことがあるんだ」

悠季も新一も静寂の中、達也に耳を傾ける。

「俺達は葉月を助ける事、こちらの世界に蘇らせる事が葉月の為になるってそう思って行動したけどさ、でもあいつのあの時の姿を見て一概にそれが正しい選択とは思えなくなった」

彼は続ける。

「葉月は葉月自身が考えて今のこの選択をしたんだと思うんだ。多分あいつの事だ、自分が消えてしまう事に誰よりも早く気がついてたに違いないしさ」

悠季は少しの間、うつむき達也に問いかける。

「葉月の幸せに私、貢献できたかな」

「あぁ、俺達がこの運命を受け入れ変わらずに前に進み続ける事。それを葉月は一番望んでると思う。悠季も別れの時葉月の運命を受け入れてたじゃないか、それは葉月が一番望んでた事だと思う」

「本当に?」

「あぁ二人が消えた後、葉月は本当に幸せな表情を浮かべてたんだ、みんなに出会えて良かったって、もう孤独じゃない心配しないでってさ」

「そっか……」

悠季は頷きながらそうこぼした。

達也は屈託のない声で、

「だからもう辛気臭くヘコんでないで、各々の人生を歩んでいこう」

悠季は優しく微笑み頷いた。

夜風が高台を通る、短い夏の終わりを告げるような、少しだけ冷たい風が頬に当たる。

悠季は乱れた髪を整えながら、

「あぁー夏が終わっちゃうなぁ、私さぁ夏ってあんまり好きじゃないんだよね。だってさ、お祭りにしても、花火にしてもそうだけど夏の思い出ってどこか切なくて、味気ないだもん。気の抜けたサイダーみたい」

彼女は両手を力いっぱい星空にかざす。届きそうもない星をその手でつかもうとするように。

「忘れたくないなぁ、今日という日を。今みんなで見上げてるこの狭い夜空を、ずっとずっとしっかりと覚えていたい」

小さなつま先を伸ばし、彼女は先程より少しだけ星空に近づく。

「でも、夏って季節が勝手に全てを切なくするんだ。刹那の今を夏が色あせた記憶に変える。だから私はあんまり夏が好きじゃない。かと言って別に嫌いでも無いんだけどさ、達也も今日の昼には帰っちゃうんでしょ?」

達也はあぁと頷いた。悠季は少しだけ笑いながら、

「みんな……みんないなくなっていくんだ。この夏と一緒に、切なさだけを置いてってさ。達也も葉月も似たもの同士だよ、私と新一はいつも残されるばっか」

と、そして彼女は少し期待を込めたような高い声で。

「もしかして、また帰ってくる?」

「いや、もう来ること無いんじゃない?」

「ですよねぇ、絶対君はそう言うと思った」

「じゃあ、なんで聞いたのよ?」

「別に良いじゃん。じゃあさメアド交換しようよ」

達也は間髪をいれずに、

「いや、やめとこうぜ」

釘を刺すような口振り。すると悠季はまたもや笑った。

「ハハ、やっぱりそう言うと思った。達也分り易すぎ。良いよ、でも明日の昼、バス停での見送りだけはさせてね。これだけは譲れない」

「あぁ、良いぜ来てくれ。悠季と、もちろん新一お前もな」

新一はいつもと変わらない声音で

「おう、」

と、一言呟いた。

「じゃあ行くか」

達也の言葉に悠季は頷く。

コスモスに背を向け、3人で揃って高台から去る。

少し歩いた所で、悠季は不意に足を止めた。

「ねぇ、達也」

「うん?」

悠季は後ろを振り返り、まっすぐとコスモスを見つめながらに。

「これからの長い人生で一体あといくつ失いたくないって思える関係を築けるのかな……?」

悠季の言葉に達也もコスモスを共に見つめる。

「どうなんだろうな……」

「私はそんなに無い気がするんだ、もしかしたらもう一生無いのかもって思う位、それくらい今この時って大切なんじゃないかって」

彼女は達也の方を振り向き。

「達也がどう思おうが勝手だけど、私は大切にするよ今までの事を、今日この日の事を、ずっとずっと覚えてる」

凛とした声音で彼女は更に続ける。

「だからさ、出来れば達也も私と同じ様にこの記憶を大切にして欲しい……」

彼女の大きな瞳が達也をまっすぐと捉えて離さない。達也も彼女を見つめ一度頷き、

「あぁ、もちろん大切にするさ」

悠季は安心したのか途端に無邪気な笑みを浮かべ、

「まぁ強制はしないけどねっ」

などと、こぼし改めてコスモスに背を向け一人歩き出した。

「…………」

達也はその小さな背中を見つめる。

そして、決心した。

「最後の賭けをしようか、コスモス」





鮮やかな晴れ間だった。積雲がチラリチラリ見えるがそれでも十分な程に快晴と言える様なそんな空。

変わらない日常を象徴する、太陽はもう少しで真上に位置しようとしているなか、夏目達也は自らの部屋の窓から外を見つめていた。

「いい天気だなぁ」

一言こぼした。

一瞬、皮肉にもお別れにぴったりの日和だな、などと思ってしまった自分を抑え、ここ数日間利用した自分の部屋を見渡し、もう忘れてる物はないかともう一度確認をする。

「忘れ物は無いな、よし」

と、言い彼は窓際の縁に置いてある、コスモスのガラス細工を手に取った。

「…………」

心の奥深くに葉月の思いが流れ込む。途端に胸が張り詰めるような感覚を呼び覚ます。

「はー、これに触るといっつも苦しくなるわ」

彼はすぐさま、荷造りを終えた旅行バッグの中にガラス細工を入れ、バッグを担ぎ上げ一階に下る。

すると、降りた所に、

「忘れ物はないかい?」

「大丈夫だよ、ばあちゃん」

「またいつでも帰ってきなさい」

「うん、また来るよ」

達也はそう言葉を発し、玄関で靴を履きもう一度振り返って、

「ありがとね、ばあちゃん」

と呟き、家を後にする。

もうここに来ることはないんだろうな、と思いながら。

そして彼は歩いて行く。

まっすぐと歩いて行く。

風が涼しい、もう夏も終わりだな、などと思いながら。

「着いちゃったなぁ」

眼前に広がる見慣れた景色。

草は伸びたい放題で、その空間の中心にそれほど大きくはない木が佇んでいて、そうまるでここだけ時間が止まっているかと錯覚してしまうような、そんな不思議な場所。

色褪せずに佇むコスモス。

「着いちゃったなぁ、コスモス」

彼はわざとらしくもう一度呟いた。

担いでいた旅行バッグを地べたに置き、中から葉月が残していったコスモスの樹を模したガラス細工を取りだした。

「俺は俺の人生を好き勝手に歩んでいく。誰にも縛られずに」

彼はガラス細工を高く掲げもう真上に位置しようかとする太陽にかざす。

七色に光り無数に散らばるプリズム。

「だけどさ、どうやら俺の大事な意地をそっちに置き忘れてる気がするんよねぇ」

更に続ける。

「こんな、悪辣で残酷な世界で生きていく為に必要で、大事な俺の譲れない意地を誰かさんに預けっぱなしな気がするんよねぇ、なぁ葉月」

瞬間。

彼はガラス細工をコスモスの樹に投げつけた。

静かな高台に似つかぬ劈く音を立て、ガラス細工はあっけなく割れてしまった。

「悪いけど、最後の悪あがきだ」

割れたガラス細工の中から、細長く鋭利になっている欠片を拾い、そして。

「つっ……!」

自らの腹部に一発、勢いに任せて突き刺した。

達也は激しい痛みの中でもう一度、虚無の世界で葉月が言った言葉を思い出す。

『生きてる人が本来来れる世界じゃない』

彼はその言葉を逆手に取り、もう一度だけあの虚無の世界に向かおうとする。

あちらの世界に置いてきた自分自身の意地のため。

己の命をギリギリまで遠ざければ導かれるはずと願いながら。

「まだか……」

躊躇があった為か腹の傷は深くはない様だ。

彼は再び右手にガラス片を強く握り。

「いっ……!」

左手首一帯を力任せに割く。

続けて勢いに任せ、両足の付け根あたりも何度も何度も突き刺す。

あまりの痛みに、彼はコスモスの樹にもたれかかるように倒れてしまった。

「…………」

体の熱さに意識が揺らぐ中、彼は自分を落ち着かせるようにゆっくりと呼吸を整え、思いに耽った。

血が滴る現実から逃げるように上を見上げ、木漏れ日が視界を奪う中、心なしか笑う。

自分がつくづく臆病で弱い人間だなと。

体に伝わる生温かい感覚が、確実に増していく。

だか、怖くて見ることがとてもじゃないが出来ない。

いっそもう一発どこか割いてやろうかとも思うが、それすらももう怖くなってしまい、握っていたガラス片を適当に投げ捨てた。

ゆっくりと、確実に死に近づく。

「情けないよなぁ、馬鹿な俺はこんな選択しかできない。結局俺が一番弱い人間なのかもな……」

木漏れ日が眩しいと思い、陽を手で隔てる。

手から滴る血がそっと頬を伝った。

「悠季や新一が前に進もうと決心してんのにさ……」

段々と、耳が遠くなり、自分の鼓動だけが大きくなっていくのを感じる。

「だけど……」

彼は、地べたに生い茂る雑草を握り締める。

「俺は俺の人生だ。あの二人の様に強くなんて生きれない。このまま惰性で過去の思い出を引きずって……屍みたいに残りの人生を歩むのなら……」

喉の奥から血の臭いを感じ途端に彼は咳き込む。

「喜んでこのくだらない生を捧げてやるよ」

血で汚れた口元を拭い。

「さぁ、コスモス。俺を導いてくれないか……?」

徐々に狭まっていく青ざめた視界に、彼は弱々しく呟いた。

刹那だった。

高台に一陣の風が吹く、コスモスの樹の葉が擦れ合い激しい音が鳴る。止まない雨の様にとどまることを知らず辺りに鳴り響く。

だが、その音は達也には聞こえなかった。

そして彼が意識を失うと同時に、そばにあった無残に崩れ果てたガラス細工から、強烈な光が放たれ周囲を包んだ。




初めに感じたのは、冷たくどこか物哀しい黒い空だった。

夏目達也はこの、なんだか寂しそうな黒い空を漠然と見つめ、思い出したかの様に呟いた。

「昨日見た、夜空に似てるな……」

夏の終わりを告げる様な、ただ虚しく世界に忘れ去られていく様な、儚い空。

彼は体を起こす。

先程までの体の痛みは嘘のように、無くなっていた。

気になって体を見渡すと、

「っ……」

Tシャツとズボンには大量の血が滲んでいた。

しかもよく見ると留まる事を知らずに淡々と染みが広がっていっている。

「一応、あっちの俺ともリンクしてるってわけね……」

彼は前に歩き出す。

明らかに前回この空間に来た時とは五感の感覚が違うことに彼は気がついた。

前回より、耳や目や鼻の感覚がはっきりと感じることができる、まるで幻の中に存在していたかのような前の感覚とは違う。

確かにここに存在してると、思える様な感覚だった。

僅かな風が右の頬に当たる。

「…………」

僅かだが懐かしい匂いを達也は感じ、その風の吹く方へ向かう。

幼き頃に嗅いだ匂い。また、ついこの間まで当たり前の様に感じていた匂い。

彼は歩いて行く。

「ふふっ……」

体を丸めしゃがみ込んでいる少女の背中。

その哀愁漂う姿に達也はにやけてしまう。

彼は呼吸を止め、足音を消して彼女に近づく。

そして彼は小さく頼むと呟き、少女の背中をめがけて勢い良く右足押し出した。

「痛っ!」

少女はか細い声をこぼした。

やっと、触れることが出来た。達也はその事実に思わず顔がほころんでしまう。

すると、すぐさま少女は後ろに振り向き。

「うそ……」

唖然として達也を見上げている。

達也は、しゃがみこんで、

「よぉ、泣き虫葉月ちゃん。元気だった?」

「なんで……?」

彼女は信じられないのか、まるで焦点の定まっていない目で虚空を見つめている。

「泣き虫葉月ちゃんがしょげてると思って心配だった」

「信じられない……」

「いや、信じるもなにもここに俺いるじゃん」

「これは幻覚なの……?」

と、この彼女のリアクションに達也は心底うんざりする。

「もぉー面倒だなぁ」

などと呟きながら。

彼女を強く抱きしめた。

自分の存在を証明するかの如く。

葉月の存在を肯定するかの如く。

強く強く葉月を抱きしめた。

「これで、分かった?」

耳元で呟く。

葉月は答えない。

だが、ゆっくりと彼女の両手も達也を包んだ。

「触れる……。私触れてるんだね達也に……」

「あぁそうだ。俺の生まれ持ったバイタリティーとカリスマ性に感謝しろよな」

達也はそう呟き、葉月を離した。

「もぉ、言ってる意味がわかんないよ、って……」

葉月は達也の服に指を指した。

「どうしたのその血……? てか傷だらけじゃん……」

達也は何も答えず葉月を見つめている。

葉月はすぐさま今の状況に気がついた。

「なんでこんな事までして私に……。死んじゃうよ……分かってるの?」

葉月の泣きそうな問いに達也は表情一つ変えずに言う。

「分かってるよ。そんな事は腐るほど理解してるわ」

「じゃあどうして……?」

「何もかもが分からないから、俺の頭が悪すぎてさ」

「…………」

「何もかもが分からなくて、あがいてもどうすることも出来なくて、だけどこの腐ったシナリオ通りに事が収まるのだけは許せなかった」

「だからって……」

「で、思いついたのがこれ。もう何にも思いつかなかったもん。感情の赴くまま、ヒステリック番狂わせみたいな」

なんて彼は呟き、自分で言った事が面白かったのか口が綻ぶ。

血だらけの服で笑う達也を見て葉月は口を開こうとするが、達也はそれを遮って、

「だけどさ、こうやって葉月に今会えて気付けたわ」

「えっ……?」

「自分の中で見つけた幸せっての、幸福感」

なんて言う彼の言葉に葉月は、

「何言ってるの達也……? もう、全然理解できないよ……」

もう現状に対して泣き疲れているのか、弱々しく語末が消えるように呟いた。

達也はそんな葉月を気にする様子もなく、

「なぁ葉月……」

と、口を開き彼は話し始めた。

「人生ってさ、生きる事なんてチープで凄く滑稽で大半は苦しい事ばかりだし、こんな風に、理不尽に世界が運命が苦痛を俺らに課してくるけど、それでも俺はかく在る今を生きている」

葉月は口を開けて達也の顔を見つめていた、達也は更に続ける。

「嫌ったらしいレールの上を歩かされてさ、そのレールからはみ出る事も止まる事も許されない、こんな糞ったれな運命に俺は皮肉を込めてこう言ってやるんだ」

彼は微笑みながら、

「幸せだったとな。不甲斐ない人生で、ダセェ経験を沢山して、自分の存在価値を見いだせなくなるようなカッコ悪い生き方でも、最後はこの運命にせめてもの抵抗として、世界をあざけわらいながら、言ってやる『幸せだったって、確かに意味のある人生だったって』お前に再会して今この気持ちを確信できた」

と、自信満々に言い放った。あまりにも満足気に葉月を見ていたからか、なんだか彼女も笑ってしまう。

「もー、意味分かんないよ達也。だけど……そっか、達也が自分で決めた事だもんね」

「あぁ俺の必殺、今世紀最大の大どんでん返しがこれよ。生きるとか死ぬとかなんて事は殊更な問題では無いのよもう、ただこの運命に屈した結末にはなりたくないっていう安っぽい意地だけ」

「その意地ってのが命より大事なんだ」

「あぁ、意外に根っこの部分でのプライドは高いのよ俺」

そんな達也の台詞に葉月は一言、知ってた、なんて呟き頷く。彼のシャツにジワリジワリと確実に広がっていく血の染みを見て、やっぱり少し胸が苦しくなるのを感じた。

「あっ、そうそう。私もそう言えば話してない事があった」

達也はへ? と間抜けな声を出す。

「由来、由来だよ。あの基地をコスモスって名付けたさ」

「あぁ、確かに聞いてなかったね、教えてよ」

「それはね、花言葉なんだよ。花言葉」

少し困った様子で達也は、

「いや、そう言われても知らんわ。コスモスの花言葉なんて聞いたことねえよ」

葉月は優しく達也を見つめる。そして片手で自分の胸に触れ、もう片方の手を達也の胸に当て。

「コスモスの花言葉、それは『真心』だよ。あの基地はみんなの真心が詰まってできてるからね」

彼女は目を潤ませて更に続ける。

「新一に達也に悠季、それに私。みんなどこか不器用でわがままだけど、でも確かに感じられる一人一人の真心」

彼女はいきなりクスっと口元を緩め、彼の胸から手を離した。

「今思い返すと、なんでみんなあんなに素直になれなかったんだろうね」

「てか、それ葉月の事だから。お前が一番素直になってねぇよっ」

達也はとっさにツッコミを入れるかの様に言う。

「えっ、そう? もう私素直だよ。大好き達也、ずっと一緒にいたい。ほらこんな事も、簡単に言えちゃうし」

と、そんな事を葉月は恥ずかしがらずに言ってきたので、達也は目を逸らしてしまう。

「あっ! 恥ずかしがってるし」

「恥ずかしがってねぇから」

「大好きだよ達也」

「あたしも好きだよ葉月。プぅ」

「ほら、恥ずかしがってる。達也いっつも何か誤魔化す時は変なボケ方するもん」

そんな葉月の鋭い指摘に達也は笑った。

「やめてよ、俺を分析すんなって」

そして彼はおもむろに真っ暗なこの空間の空を見上げた。

「そうか……真心かぁ。そんな意味が込められてたんだな」

「うん、そうだよ。不確かな私たちが紡いだ、確かな真心。そんな思いを込めて私はあの秘密基地にコスモスって名付けたんだ」

そう言って微笑み、彼女は再び達也の胸に手を当て、

「大好き達也、一番好き」

「あぁ、俺も大好きだよ」

「えへへっ……。それだけ聞けたら満足だ。よしっ! 私も最後、運命に抗うよ達也」

「え…?」

その瞬間だった。

その瞬間、達也の胸に触れていた彼女の手から白く眩しい光が生まれた。

そして、達也の体の傷からも同様の光が放たれる。

「おい、なんだよこれ……」

今眼の前で起こっている事が理解できない。

「傷が……癒えてる……」

達也は自分の体を恐る恐る見回した。そして何かに気がついたかのように、

「葉月っ……お前……」

「ほら、じっとしてて……動かないの」

彼女はまるで母親の様な目で、

「良かった。もう、今の私にはあっちの世界にいた時みたいな力は無いけど、私の存在を依り代にすればやっぱり使えた」

「…………」

葉月の体が透明に近づいていく。

そう彼女は、存在を、命を犠牲にして力を使っているんだなと達也は思った。

「達也が、この世界に来た理由が分かったよ。私に最後の一回だけ、選択する自由をコスモスは与えてくれたんだね」

彼女は彼の胸に手を当て、更に続ける。

「ここで、ずっと一緒に達也といるか、それとも運命に抗って達也を蘇生させ私が消えるか」

「…………」

彼女の言葉を案外冷静に理解できて動じない自分に、きっと心の何処かでこうなる事が予想出来ていたんだろうな、と達也は思った。

葉月が胸に触れている手を上から握り、

「葉月はそれでいいのか?」

「うん、達也は生きて。ずっと二人で生きていくのも悪く無いと思ってたけどさ、達也が必死で血だらけになりながら運命に逆らうのを見て、私も最後運命に逆らう事にした。達也の言う糞ったれな運命って奴にさ」

「ったく……なんか結局こうなるんじゃないかなって思ってたわ。本当に性格が頑固だよな、大丈夫か後悔しない?」

もう、心底呆れた様なそれでいて、葉月を心配する達也になんだか父親ってこういうものなのかなと彼女は思ったりした。

「後悔しないよ私は。後悔なんてしたこと無い。それより達也は大丈夫? もう君だけの人生じゃないよ。私の命の分も背負って生きてもらわなきゃ、その覚悟はある?」

「ははっ、そうか……。生きる覚悟か、ついさっき死ぬ覚悟を決めてきたってのに、もう生きる覚悟を迫られてんの俺? なにそれ超面白くね?」

「忙しいね達也」

「あぁ本当だわ。だけど、それが葉月の願いなら生きてやるよ、滑稽でも無様でも生きてやる。この糞ったれな運命を葉月の命と共に俺の激高なプライドと意地で生き抜いてやるよ」

その言葉に葉月は安心する、つくづく達也に思われてるなぁと。そして安心して消える事ができるなぁなんて。私の人生も悪く無いなぁなんて思う。

「幸せは感じるもので、決めるものなんかじゃないよね。幸せの定義なんて決めるから私たちは不幸になるんだ」

気が付くと彼女はそう呟いていた。そして一度頷き、

「私は、コスモスをみんなで完成させる事で幸せを感じようとした。だけど全然幸福感なんてなかったんだ。あっちの世界から消える時も本当は悔しかっただけ」

「…………」

「でも今は幸せを感じてる。嘘じゃないありのままの幸せを。真っ白な気持ちで消えてしまおうって思える。これは達也のおかげなんだよ?」

もう、姿を捉えるのすら危ういほど彼女の体が透き通ってきた。

精一杯達也は笑う。

「なぁ葉月、改めて昨日と同じ言葉をもう一度言わせてくれないか?」

「うん、聞かせて」

達也は深呼吸をし、言葉を紡ぐ。昨日とは違う、ありったけの笑顔で。

「俺は、あっちの世界でしっかりと生きていく。新一や悠季と俺は違う。お前の存在なんて、あの秘密基地なんて、なんの確かな価値もない」

葉月も達也と同じ表情で、

「そう、私は無価値。みんなで作ったコスモスだって何の意味も価値もない。でも……だからこそ幸せなんだ、意味も価値も無いから幸せの定義もない。最後に残ったこの思いが幸福だと感じるなら私はそんなものいらない」

その刹那。

強烈な光が二人を包んだ。

「お別れだな。葉月」

「うん、今度こそもう会えないね」

「俺は生きていくよ」

「うん、大好きだからね達也」

「俺も大好きだよ。葉月」

二人は最後クスっと微笑み、この虚無の世界から同時に消えた。





「うっ……」

木漏れ日がまぶた越しにチラチラと取り変わる。

夏目達也は目を覚ました。

何も変わらない、先程と同じ静かな高台。

体を起こし、自らの状態を確認する。

「嘘みたいだな……」

まるで何事も無かったかのように体の傷は癒えていて、服の血もすべて消えていた。

「おっと……バスの時間が……」

携帯を取り出し時間を確認する。

「全然間に合うな、良かった」

彼は立ち上がり、体に付いた土を払い、リュックを担いだ。

そして、一度大きく伸びをした。

「んーーーっ!」

呼吸を落ち着かせ、

「よし、行くかな。じゃあなコスモス!」

彼はコスモスを一度横目で見て、歩き出した。

獣道を下り、海沿いの道路を歩き、バス停に向かっていく。

もう、一生来る事は無いんだろうなぁと思いながら、

黙々と歩いているとバス停が見えてきた。どうやら高台の近くだったようだ。

「あっ……」

バス停には悠季と新一がいた。

なにやら互いに話している様子である。

バス停に着き達也は二人に声をかけた。

「よう、お見送りありがとな」

悠季は驚いたように言った。

「えっ…、誰? 新一の友達?」

「いや、違うけど……」

二人の怪訝な視線が達也に突き刺さる。

「そうか……葉月が……」

達也は気がついた。

もう葉月が本当に消えてしまったから、二人の記憶から自分の存在が消えているんだなと。この世界の定めなんだろうなと。

「でも、こいつらとも最後だしな……」

最後の挨拶ぐらいはしておこうと、思った。多分引かれるし、相手にされないであろうと分かってはいたが、なぜだか言わずにはいれなかった。

「悠季に新一、ありがとう」

悠季はすぐさまに、

「えっ……ほんと誰ですか? 私たち全然知らないんだけど」

しかし、そんな言葉は聞かず、達也は続ける。

「お前らと出会えて本当に良かった。もう、会う事は無いと思うけど、悠季が言った様に俺もこの記憶を大切にするからさ」

「えっ? だからなんで私の名前知ってるの? なんか怖いんだけどこの人……」

新一が悠季を守るかの様に一歩前に出て、

「誰だよ、お前。なんで俺らの事知ってるんだよ」

達也は言う。

「みんな苦しくても生きていこうな、葉月と過ごした日々とコスモスを胸に抱いてさ」

と、達也は言った後、なんだか新一が掴みかかってきそうな気配がしたので、

「すいません。別に悪気は無いんで、怪しませてごめんなさい」

一方的に会話を打ち切った。

二人はもう、何にも言っては来なくなった。

悠季はどうすればいいのか分からずに居心地悪そうに髪の毛をいじっている。

「…………」

互いの沈黙を割く様なエンジン音を立てながらバスがやってきた。

それを皮切りに悠季が呟く。

「ねぇ新一とりあえず行こっか」

バスがバス停に着いたのと合わせて悠季と新一はゆっくりと海沿いの道を歩きはじめた。

さも今まで事など忘れてるかの様に、二人は自然と歩き出した。

その背中を達也は黙って見つめた。

「楽しかったぜ……」

夏の終わりを告げる少し冷たい風に飲まれてしまうかの様なか細い声でそう呟き、達也はバスに乗り込む。

プシューと音を立て、閉まるドア。

重々しい、エンジン音と排気ガスを巻き上げゆっくりとバスは動き出した。

バスが進む道の少し先に悠季と新一がいた。

後ろ姿を見る限り何やら楽しそうに二人で話をしてるようだった。

バスは進む。

二人をもう追い越してしまいそうだ。

バスは進む。

二人を追い越そうとした時、一瞬だけ達也と悠季の目線が合った。

バスはスピードに乗り進んでいく。

「…………」

達也は自分以外誰も乗っていない社内を見渡し、席に座ろうかと思い動き出した。

その時。

「達也っ!」

微かに耳に入ってきた。女の声。

瞬時に悠季の声だと彼には分かった。

すぐさま、達也は後ろを見る。

悠季と新一が必死になって追いかけて来ている。もうスピードに乗ってしまったバス相手に必死の形相になって。

しかし、その距離は面白い様に開いていく。

「ははっ」

なんだか、そんな二人を見て、達也は笑う。

そして、自分の胸に手を当てて、

「真心かぁ……。確かに伝わってるぜ、お前の思い」




かろうじてエンジン音が聞こえる程だろうか、遠くに行ってしまったバスを天原悠季は見つめていた。

「…………」

いきなり走り出したからもっと呼吸が乱れるかと思ったが、しかし不気味なほどに落ち着いている。

思えばバスが通り過ぎる瞬間だった。

すべての記憶が、一気に蘇った。

バス停で色々と伝えたかった事があったのに、なぜだか忘れてしまった。

でも、なぜか心は澄み渡っていた。

後悔なんて言葉は湧いてきそうにない。

きっと私たちは最初からこういう関係なんだろう。

お互いに掴みどころのない、ちょうど私達の上にある真っ白な雲の様な、そんな間柄なんだろうなと、悠季は思った。

だけど、なんとなく達也にハメられた感じがして、少しむかついたので、

もうすっかり、遥か遠くに行ってしまったバスに向かってこう呟いた。

「事故って死んでしまえ」

 にやけきった自分の顔を新一に見られるのが嫌だと思ったが、しかし、今だけはその緩んだ口元を、悠季はしばしそのままにしていた。

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