*神域にて
二段ベッドの上段で寝ているパーシヴァルを横目に、ラクベスは薄暗い室内でノートパソコンを開いていた。
彼のいびきも、心地よいBGMとして聞き流せるくらいには心の余裕を持っている。
「石動──」
目にしたデータにラクベスの表情が曇る。ペットボトルの水で喉を潤し、小さく唸って思案した。
深く息を吸い込み、落ち着いたところで携帯端末を手に取り、どこかにかけ始める。彼らには属している組織があり、最低でも一日、一度は報告が義務づけられている。
「ラクベスです。今回の件について──はい」
やり取りはしばらく続き、通話を切った青年の表情はやはり苦い。
──翌朝
二人は要請した人物に会うため、近くの神社を訪れた。鳥居の前で一度、会釈したラクベスに倣いパーシヴァルも慌ててぎこちない会釈をする。
そうして真ん中を避けて鳥居をくぐり、それほど大きくはないが何かしら神聖なエネルギーが宿っているように感じられる境内を見渡した。
「日本には来たことあるのか?」
「今回で二度目です」
ラクベスには、例え訪れる機会は少なくとも日本をよく知らなければならない理由がある。日本というより、日本の神霊をと言った方がいいかもしれない。
ラクベスは少し待っていてもらえないかとパーシヴァルに告げ、手水舎で手と口を清めて拝殿にある賽銭箱に小銭を落とし参拝する。
参拝の作法は神社によって異なるが、ここは基本的なものでいいらしい。そうして、社務所に立ち寄り依頼主がいないかを尋ねる。
「あー」
パーシヴァルは時折、訪れる参拝者に怪訝な表情を向けられ、ばつが悪そうに頭をかいた。こんなところに観光でもないだろうという視線が痛い。
しばらくして、
「どうも。宮司の柄幹です」
装束を着こなした、三十代後半といった男が二人に丁寧なお辞儀をした。
浅黄色の袴が彼の落ち着いた性格を表すように神社の景色によく映えている。
まだ若いと思われる宮司の黒い頭髪には、幾本かの白い髪が散らばっていた。苦労したというよりも、そういう体質なのだろう。
どちらも日本の人ではないと確認した宮司は、それにやや驚いて視線を上げる。
「遠いところを来て頂けて──」
「専用ジェットなんで快適だ」
気にしなくて良いと笑顔を返す。
「依頼の内容を直接、お聞かせ願えますか」
まるで違和感のないラクベスの日本語に感心しつつ、それに応えるべく柄幹は口を開いた。
「ここ最近、周辺で事故が多発しているんです」
新しい道路が出来た訳でも、新しい規則が出来た訳でもない。なのに突然、事故発生率が三倍にもなった。
「それだけではないんです」
ここのところ連日、救急車が走り回っている。
「病気も多発しているらしく、参拝者が増えました」
参拝者の大半は住民で、それらが増しているとは知らず無意識に不安を抱いているのだろう。
「乱暴な人間も増えたような気がします」
傷害事件の数は倍以上にもなり、パトロールの警官が増員された。確実に治安は悪くなっている。
「いつ頃からか、解りますか」
「半年以上は前からだと思います」
徐々に増えていたため、正確な日にちまでは解らない。
話を聞いているあいだにも警察車両が鳴らす、けたたましいサイレンの音が近づいては遠ざかる。すぐあとに、救急車もサイレンを鳴らしながら走り去っていった。
慌ただしい日常を耳に捉え、ラクベスは宮司に視線を向ける。
「発生元や中心地は──」
「恥ずかしながら、解りません」
病気は夜間に多く見られるものの、事故は夜間だけでなく明るい日中にも発生している。
「尋ねてみましょう」
「え?」
そう言ってラクベスが摂社に向かう。
境内の中に建てられている小さくこぢんまりとした社の前に立ち、手を合わせて目を閉じた。この神社の摂社は元々、この土地にいた神を祀っている。
「霊術士は皆さん、神の声が聞けるのですか?」
「いやいや、あいつが特別なだけだから」
俺にはさっぱりと手を振り、アメリカ人らしい訛りのある日本語で答える。
にわかに、ぴんと張り詰めた空気が走り、ラクベスの纏う気配が変わった。それに気付いた宮司は息を呑む。
「あの方はもしや、神降ろしを行えるのですか」
この気配は、紛れもなく土地神のものだ。
ここに来た当初は解らなかった柄幹も、時折感じる優しく包み込むような空気が土地神のものだと理解するまで、そう時間はかからなかった。
「まあね」
「いやしかし、あんなに速く?」
何か儀式めいたものをした様子もない。ほんの数秒、静かにしていただけだ。
「だからあいつは特別なんだよ」
「なんと」
霊術士という存在は、宮司になってしばらくしてから他の宮司から教えられたものだ。
説明を受けたが霊能力者とどう違うのか、具体的には解らなかった。
それもそのはず。教えてくれた宮司自身、霊術士をまだ見た事がなかったのだ。それほどに、霊術士は強い秘匿性を持っている。
霊能者では祓えない強力なものに対処する人たちだと聞いてはいても、実際に目にしたのはこれが初めてで今でも信じられない。
世に知られず、それでいて彼らは世界を影から支えている。そんな話を、にわかに信じられる訳がない。
要請すべきか悩んだけれど手に負えるものではないと感じ、その存在を懐疑しながらも教わっていた番号にかけてみた。
どういった経由でつながったのかは謎であるがしかし、こうして目の前に霊術士と名乗る二人が現れた。
詐欺まがいのものかもしれない──そんな警戒心も無駄であったと思えるほど、いま起こっている状況に目を見張る。
すると、張り詰めていた空気がふいに和らぎ、ラクベスが溜息を吐いた。
「どうでした」
「だめですね。得体の知れない存在だというだけで、正体までは解らないそうです」
「そうですか」
土地神が萎縮するほどのものとはなんだろうか。宮司はそら恐ろしくなった。
「大丈夫でしょうか」
ここは霊的な避難所でもある。もし、何かあったとき、人々の拠り所とならなければならない。その拠り所がなくなりはしないだろうかと、宮司は心配になった。
「土地神の存在を邪魔と判断すれば、無事では済まないかもしれません」
悔しげではありましたが相手の正体も力も解らない以上、今は大人しくしているようにと頼みました。
「その前になんとかしてみるよ」
「よろしくお願いします」
宮司は深々と頭を下げ、地域の安全と彼らの無事を祈った。