レンスロットとゼラニウム
一応「シーザー→レンスロット」の順番を推奨しています。
ゼラニウムの花言葉『××××』『××××××』
これはまだ大陸が五つに分かれ、人、獣人、ドワーフ、エルフ、魔族が存在していた頃の話。何の変哲もない人の住む大陸の片隅の村に、三人の人間がいた。
一人はシーザー。黄金の髪と赤い目を持つ。勇敢な青年だ。
一人はレンスロット。黒髪と灰色の目を持つ。賢い青年だ。
一人はアルトリア。銀色の髪と銀色の目を持つ。美しい少女だ。
三人は同じ年に生まれ、共に成長していった仲だった。このままであれば彼らは何もなすこともなく、静かに齢をとり死んでいたことだろう。
だが、そうはならなかった。神が己の目的を果たす駒として、シーザーに目をつけたのだ。理由は特にない。神は眠りに入る直前であり、世界に顕現するほどの力は残っていなかった。神の言葉を瑕疵なく聞ける人間であれば誰でも良かったのだ。
たまたま目に入った。その程度のものだ。
神はシーザーに語りかけた。
『シーザーよ。お前に命令を下す。人、獣人、ドワーフ、エルフ、魔族の権能をその身に宿せ。そしてその身を龍に喰わせることで真なる人を作れ』と。
神言。非力な権能しか持たない彼らにとって神の言葉は劇薬のようなものだ。そのたった一言でシーザーの内面が書き換えられる。彼は彼の素知らぬところで神の命令を果たすからくり人形になった。
「かしこまりました」
シーザーは虚ろな目で答える。
『人の権能はあらゆる生命、世界とつながる力だ。何もないでは役目に支障をきたすであろう。お前の権能は強めておこう』
そう言って神は語ることを止め、シーザーは正気を取り戻す。記憶が書き換わり、自分は神に選ばれた英雄で、5つの種族の力を借り受けるために世界を旅するのだと、その頭に刻まれた。
その後、シーザーは早々に世界を回るための準備を始めた。それを止めたのは彼の幼馴染のレンスロットとアルトリアだ。
「世界を回るつもりだと聞いたが、正気かい?」
「そんなことやめて」
2人はシーザーを必死になって止めた。村から外に出ればいるのは『獣』だ。神によって作られた闘争による発展をもたらす外敵である彼らは、生命を見れば誰彼構わず襲い掛かる。永く生きた『獣』を除けば自動機械のような自我のない存在なのだ。
止める2人を無視して準備を進めるシーザーだったが、ついには我慢できなくなり声を上げた。
『すまない。これは僕の使命なんだ。放っておいてくれ』
シーザーの言葉を聞いた二人の動きが止まる。シーザーの人としての権能は神によって強化されている。シーザーの扱う『言の葉』は神言に近い。
それに気づいたシーザーは『言の葉』を重ねた。
『もしよかったら僕についてきてくれないか?』
シーザー自身、たった一人で旅することは恐ろしかったのだ。彼の信頼するレンスロットと、シーザーがひそかに恋するアルトリアがいればどれほど心強いだろうかと思っていたのだ。
レンスロットとアルトリアはその『言の葉』を聞いて、うなずいた。
「わかったよ。僕には君のような勇敢さはないがこの知恵を使って君の旅路を支えよう。そして世界を救うんだ」
「私にはシーザーのような勇敢さも、レンスロットのような知恵もないわ。それでもあなたたちの近くにいて、あなたたちを支えたいの。私も連れていって」
実のない虚ろな言葉だった。しかしそれを聞いたシーザーは泣いて喜んだ。自分の親友がこの危険な旅路に自分の意思でついてきてくれることが嬉しかったのだ。シーザーの頭には自分の言の葉が神言のような力を持っていることなど、すでに消えていた。
シーザーにとって都合の悪いことは全て書き変わってしまうのだ。
こうして三人の旅が始まった。彼らの旅はレンスロットやアルトリアの懸念したような過酷な旅路にはならなかった。襲い掛かる『獣』も、彼らをだまそうとする悪い商人も、荒れる海も、仲間以外ではいがみ合うことの多い獣人ですらも、シーザーの言の葉の前では従う他なかった。
シーザーたちはすんなりと高い山の上にいる獣人の長の前までたどり着くことができた。
『獣人の長よ。僕はシーザー。君たちの権能を僕たちに宿せ』
シーザーはどこか虚ろな顔で言った。おそらくこう言った記憶も後に書き変わってしまうだろう。
これまではこの一言でシーザーはあらゆるものを従属させることができた。だが長を相手にしてはそうはいかない。
「断る。そんなことができるはずがないだろう」
長はその獣のような体をいからせて言った。
『そうですか』
シーザーは残念そうに言って、その場から去った。
『どうすればいいかな、レンスロット』
長の間から離れて、シーザーはレンスロットに尋ねた。
「僕たちの力を誇示すればいいんだよ」
レンスロットは言った。レンスロットの中にシーザーを否定したり疑念を抱く心はない。シーザーの言の葉は会話を交わせば交わすほど、長い時を過ごすほどにその支配は強さを増す。
レンスロットは遠くに見える大岩を指さした。
「あれをここまで持ってこよう。そうすればあの長も僕たちに権能を宿してくれるはずさ」
「でもどうやって?」
「簡単なこと。シーザーがただ一言『手伝って』と言ってくれればそれでいい」
それからシーザーは目についた獣人全てに声をかけ続けた。シーザーの言の葉を聞いた者は彼に素直に従うようになる。あっという間に大岩を運べるだけの人数が集まった。
『じゃあ、よろしくね』
最後にシーザーがそう一声かければ、後はもう作業を行うだけだ。大岩を運ぶために体から血を流そうが、力尽きて動けなくなろうが逆らうことを知らない奴隷のように、彼らは大岩を運び続けた。
翌日、長が見たのは遠くに鎮座していた大岩とそれを運んだと思われる血みどろの獣人たちだった。シーザーは笑顔で言の葉をつむぐ。その様子に長は歯をカチカチと鳴らして恐れを表した。
『権能を僕たちに宿せ』
「いや、しかし」
『僕の言葉は神の言葉と同義だ。おとなしく寄越せ』
「そんなことできるはずが」
『言の葉があればできる』
「⋯⋯わかりました。獣人の権能をあなた方へ宿しましょう」
長もシーザーと会話をすることでついにその支配下に入った。
『では僕に続けろ。獣人の権能をシーザー、レンスロット、アルトリアへ譲り渡す』
「『獣人の権能をシーザー様、レンスロット様、アルトリア様へお譲りいたします』」
言の葉は紡がれた。獣人の権能が失われ、それがシーザーたちへ宿っていく。
『ありがとう』
「いえ、当然のことをしたまでです」
獣人たちから権能は失われた。今の彼らには自慢の頑強な肉体の力や癒しの力はない。シーザーたちが奪った。
シーザーは獣人の頑強で強力な肉体を、レンスロットは大地を駆ける足を、アルトリアは傷ついた肉体を癒す力を手に入れた。
倒れて動かなくなった獣人たちを後目に、シーザーたちは旅を続けた。
次に訪れたのはドワーフの大陸だ。シーザーたちは獣人から簒奪した権能を使って旅を進めていた。深い洞窟の奥底にいるドワーフの長のところまでたどりつくまではそう時間がかからなかった。
『ドワーフの長よ。その権能を我々に渡せ』
シーザーは言の葉を紡ぐ。だが長は何も答えない。彼は知っていた。シーザーの用いる言の葉は、会話を通じて世界を書き換えるものだ。会話をしては自分も変質してしまう。
長はその岩のようにずんぐりとした体を動かすことはなかった。シーザーはそんな長に苛立って、何か考えはないかレンスロットに尋ねた。
「ドワーフは酒を好む。そして酒に酔えば口も軽くなるだろう。酒を探そう」
『それはいい』
それを聞いたシーザーはドワーフの大陸のどこかにあるという酒の湧く泉を探すことにした。
探すのは誰よりも速い足をもつレンスロットだ。だが3日経ち、5日経っても泉は見つからない。
「…何か間違っているような気がする」
5日間レンスロットはシーザーたちと行動を別にしている。シーザーの紡いだ言の葉による鎖がレンスロットからほどけかかっていた。
「あった!酒の泉だ!」
だが幸か不幸かシーザーの言の葉がほどけることはない。レンスロットはついに酒の湧く泉を見つけた。彼は先ほどまで抱いていた疑問をすっかり忘れてしまった。
それからレンスロットはシーザーに会いに行き、泉の場所を伝えた。そしてシーザーはその泉から大樽に酒を入れて、長の目の前に置いた。
『この酒をお前にやろう。酒を酌み交わして会話をしようじゃないか』
樽から漂う酒のかぐわしい香。だがそれに屈してはならないと長は自分に言い聞かせる。長は3日3晩我慢した。シーザーも3日3晩ねばった。だがついに長はシーザーに権能を譲り渡すことを決意する。だが全てではない。
長は己の権能全てを込めて作った三振りの小刀を手渡した。永い時を生きた長の権能をこめた小刀は、果たしてシーザーの目に適うものだった。
『これはもらっていこう』
シーザーたちは長の間から去った。後には権能を使い果たし、語らぬ骸となった長だけがあった。
長から簒奪した小刀は使い手の心に応じて姿を変える。シーザーの小刀はその身を守る大盾に。レンスロットの小刀はシーザーの道を切り開く大剣に。そしてアルトリアの小刀はシーザーの旅路を支える杖になった。
彼らはドワーフの大陸を出て、エルフの住む大陸へと向かう。そこでついにシーザーたちは『最古の獣』と遭遇してしまった。
『最古の獣』は見上げるほど大きな狼の姿をしている。神を除けば、あるいは神よりも永い時を生きる『獣』の姿はあまりに圧倒的だった。
『なんだお前は。そこをどけ!』
シーザーは恐れを隠し、勇敢に『最古の獣』に立ち向かう。
『神から命令を受けた哀れな人とはお前か?』
『最古の獣』はシーザーに語り掛ける。かの獣の言葉も永い時を経て、強い力を持っていた。
『そうだ!それがどうしたと言うのだ!』
シーザーは己の言の葉が意味をなさないことに、恐れを隠しきれなくなった。大盾を取り出しその身を隠すように前にかざす。
『お前のやっていることは私の愛した世界を壊すことだ。ゆえに止めさせてもらう』
『最古の獣』は世界の如何なる剣よりも鋭い爪でシーザーを切り裂こうとした。シーザーはそれを獣人から簒奪した力と、ドワーフの長から簒奪した大盾で受け止める。
『私の爪を人が受け止めること自体が異なこと。神の意を叶えさせぬためにも、やはりお前は生かしておけんな』
『最古の獣』はシーザーに絶え間なくその爪を突き立てる。シーザーは攻め返すこともできずに、言の葉をひたすらに紡ぐ。
『どうしてお前は僕を殺そうとする』
『話し合おう。話せばわかる』
『獣であっても言の葉なら通じるのだろう』
『なぜ私の言の葉が効かない』
『我の言の葉に従属しろ!』
シーザーから神の意思があふれ出てくる。だがそれに『最古の獣』はかすかに目を細めただけだ。『最古の獣』に神威は通用せず、ゆえに『最古の獣』は止まらない。
「『最古の獣』よ!やめてくれ!」
レンスロットが声を上げた。その威容からあの存在が『最古の獣』であることは知れていた。
「なぜシーザーをそうまでして殺そうとするのだ!」
『曇りなき眼で見よ』
その手を止めぬまま『最古の獣』はレンスロットに言った。
『神の言の葉はあらゆる心を縛り、その目を曇らせる。そのことをよく心得よ』
その言葉を聞いてレンスロットの、シーザーによる言の葉の縛りがほどけていった。
「ああ!なんということだ。僕は今まで何ということを!」
レンスロットは嘆いた。シーザーの言の葉の影響から逃れて初めて、自分たちのしてきたことがどれほど恐ろしいことか理解したのだ。
『汝の名は?』
『最古の獣』は聞いた。
「レンスロットと、申します」
『そうか。ならばレンスロットよ。言の葉でその目を曇らせることなく、彼らの道を見届けるといい』
そう言って『最古の獣』は去っていった。
『なんて恐ろしい獣だ。レンスロット、アルトリア、大丈夫だったかい?』
「ええ。シーザーが守ってくれたおかげで何ともないわ。ありがとう」
アルトリアのシーザーの見る目には熱が籠っていた。シーザーの言の葉は『最古の獣』へ向けられたものだったが、アルトリアの耳にも入っていた。
今のアルトリアはシーザーの言の葉で心を雁字搦めにされ、彼の忠実なる僕と化したのである。アルトリアがレンスロットへ抱いていた淡い恋心も、シーザーの言の葉の前には意味をなさなかった。
そんなアルトリアにレンスロットは恐れを抱く。今まで自分もアルトリアのようにシーザーのことを盲目的に信じていたのだ。
『レンスロット?』
レンスロットは手を上げて答えた。シーザーと会話をしてはいけない。会話をしては絡めとられる。それは獣人の長とドワーフの長が、その身をもって教えてくれたことだ。
この日からレンスロットはその口を開くことはなくなった。
エルフの大陸の中央にある深い森の中に、エルフの長はいた。その長い耳をピクピクと動かして長は問う。
「お前の望みは何だ。神の先兵よ」
『我らにエルフの権能をよこせ。それは我々にこそふさわしい』
なんと恐ろしいことを言うのかと、長は恐れおののいた。しかしシーザーは引くことはないだろう。長は考える時間が欲しかった。その時、彼の目に見えたのはシーザーを見つめるアルトリアの姿。
「条件がある。私の娘とお前が結婚をすれば、我らの権能を貴様らにやろう」
娘をくれてやるなど冗談ではない。だが長は詭弁を用いて時間を稼ぐことにした。
「どういうことよ!」
アルトリアが悲鳴のような声を上げる。シーザーを奪われるなどそれこそ冗談ではないと、アルトリアは思う。
『そうだ。どういうことだ』
「それが必要だからだ」
長は考えを巡らせながら短く答える。シーザーの言の葉と会話をしてはいけない。
その様子をレンスロットは黙して見ていた。
「シーザーが他の女と結ばれるなんて嫌よ!だって私はシーザーを愛しているんだもの!」
『アルトリア!ああ、なんてことだ!僕も君のことを愛している!』
「そうだったの!?なんて素敵なことなんでしょう」
シーザーとアルトリアが長の目の前で互いの想いを伝えあった。その時、シーザーの全身からあふれ出る言の葉のという名の呪。
「…そうか。ならば仕方があるまい。愛の力にはかなわないと相場が決まっている。貴方様方にエルフの権能をお渡ししよう」
レンスロットは目を見開いて長の言葉を聞いた。長はシーザーの支配下にあった。そこでレンスロットは気づいた。
シーザーの言の葉は強くなっている。シーザーのアルトリアへの想いが、彼の言の葉をさらに強力なものにしてそれが固く閉ざされた長の心すらも、からめとってしまったのだ。
『そうか。ならば我の後に続けよ』
このままではきっと、シーザーはとんでもない化け物になってしまうだろう。レンスロットは覚悟を決めた。大剣を抜き、シーザーに斬りかかったのだ。
『レンスロット!?』
シーザーは驚いた顔で、しかしレンスロットの大剣はその手に持つ大盾でしっかりと受け止めていた。
『どうしたんだ!レンスロット。僕に教えてくれ!』
「そうよ。レンスロット。一体どうしてしまったの?」
シーザーの言の葉が、アルトリアの詰問する声が、レンスロットの心をからめとろうとする。だがレンスロットは心を固くとざしシーザーに斬りつける。彼を止めるために。彼を殺すためにだ。
シーザーが執拗にレンスロットに語り掛けるが、レンスロットはそれを全て無視した。何も語らずに斬り続ける。だがシーザーの守りは固い。レンスロットの力では彼を殺すことができない。
「『エルフの権能をシーザー様、アルトリア様へ捧げます』」
欠片の民の長が声を上げた。レンスロットは絶望した。エルフの「世界とつながる力」が、世界の欠片である精霊を使役する力がシーザーとアルトリアに流れ込んでいく。
これでシーザーの言の葉はより強いものとなってしまった。シーザーが何か口を開く前にレンスロットは逃げ出した。一目散に、獣人から奪い取ったその誰よりも速い足で、親友の前から姿を消したのだ。
三人はこうして二人になった。残されたシーザーとアルトリアは手を取り合って最後の大陸へ、魔族のもとへ向かって行った。
足元に転がる無数のエルフの骸など気にも留めずに。
レンスロットは走った。誰よりも速く走った。行先は決まっている。
『レンスロットよ。それが汝の選択か』
「はい。『最古の獣』よ。僕はシーザーを止めたい。神に心を捕らわれた親友を救いたいんです。だからどうか、どうかあなたの力をお貸しください」
レンスロットは『最古の獣』を前に地面に頭をこすりつけて嘆願した。レンスロットは悔いていた。シーザーを止めるどころか、その助けをしてしまったことを悔いたのだ。このままでは人以外の全ての民が死んでしまう。いやきっと人すらも滅ぼしてしまう。そんな確信めいた予感があった
。
『私にもかつて仲間がいた』
唐突に『最古の獣』が語り始めた。
『人、魔族、エルフ、獣人、ドワーフと共に、まだ神が顕現していた頃の世界を旅をしていたことがある』
「『最古の獣』様?」
『素晴らしき日々だった。ゆえに私はこの世界のあり方を変えたくない。だが私は失敗した。かつての仲間はもういない。しかしこの身に人の権能とドワーフの権能はまだ残っている。その力をもって汝の助けとしよう』
『最古の獣』はその身を削って一揃いの鎧を創り出した。黒く染められた、言の葉のこもった鎧。
『この黒は私の失敗の、罪の色だ。汝は失敗するなよ。レンスロット』
「ありがとうございます。必ずやシーザーを止めて見せます」
レンスロットは『最古の獣』の鎧を纏う。レンスロットは緩やかに自分という存在が溶けていく感覚を覚えた。
「これは⋯⋯」
『私はあまりに永い時を生きた。私は世界の一部であり、世界もまた私の一部だ。ゆえに私の鎧をまとうということは、世界にその身をゆだねるということ。死してもその魂は世界を巡り、生まれ変わることはできない。世界の枠組みから外れ、終わりのない永劫の地獄を彷徨うことになるだろう。それでもよいなら、その鎧を使うといい』
「是非もありません。親友を止めるために、覚悟はできております」
レンスロットがためらうことはない。彼は『最古の獣』に背を向け走り出した。その足は今までよりもずっと速い。
レンスロットを見送って『最古の獣』はつぶやいた。
『レンスロット。汝はかつての私を思い出させる。親友のため、仲間のため、その身を削って進む汝を、私は好ましく思うよ』
その後、『最古の獣』は世界へ溶けていった。神の計画はシーザーの権能の統合だけではない。彼の愛した世界を守るために『最古の獣』もまた歩みを止めないのだ。
レンスロットは黒い鎧をまとい、シーザーたちよりも速く魔族の長のもとへたどり着いた。
「何用か。世界へその身を溶かすものよ」
長はやせ細った手をレンスロットへかざした。レンスロットを純白の鎖が縛る。長は警戒した顔つきでレンスロットを見ていた。
「聞いていただきたいことがあります」
鎖に縛られ身動きがとれない。それでもレンスロットは言葉を紡ぐ。これまで自分たちが何をしてきたか。これから何が起きるのかをレンスロットは余すことなく、偽りなく長へ伝えた。
「そうか」
レンスロットの話を聞き、長はレンスロットを縛っていた鎖を解いた。
「お前の言葉に嘘はないな。そしてその鎧を着ていることからもお前の覚悟は知れようものだ」
「お逃げください。もうこの世界には人と魔族しか残っていないのです。もうじき僕の親友が、シーザーがここに来るでしょう。そうなっては全てが遅い。世界が変わってしまうのです」
「私は逃げないよ」
「なぜ!」
長は薄く笑って言った。
「レンスロット。お前は逃げろと言うだがいつまで逃げればいい」
「それ、は⋯⋯」
「シーザーは私が逃げても永遠に私を追いかけることだろう。ならば私のやることは一つだ」
長はレンスロットの手招きをする。レンスロットが近づくと長はそのやせ細った身に手に刺し込み、心臓をえぐり出した。長の温かな血が飛び散り、それがレンスロットの鎧につく。
「何を!」
「私が死ねば、次の長が決まるまでの時間が稼げる。その間にお前がシーザーを殺すんだ。私の権能をお前にあげよう。世界を救いたいと願うのならば、その身、その剣をもって果たすといい」
そう言って長は倒れた。レンスロットは長の心臓を受けとり飲みこんだ。魔族の、己の心を世界に映しだす権能がレンスロットに宿る。その権能をもってレンスロットは世界を見た。シーザーとアルトリアはもうすぐそこまで来ていた。
「決着の時だ」
レンスロットは長の骸に深く頭を下げ、長の間を後にした。
『レンスロット!』
シーザーは長の間から出てきたレンスロットを見て、叫び声を上げた。
「久しぶりだね。シーザー」
『まさかお前は魔族の長を殺したのか!』
シーザーはレンスロットの鎧についた血の跡を見て、早合点したらしい。
「この外道!」
アルトリアもシーザーに追従して声を上げる。
「そうだね。僕はもう道を外れてしまったんだ」
シーザーの言の葉ももはやレンスロットには届かない。『最古の獣』が作りだした鎧が言の葉を遮る。そうでなくともレンスロットは世界に溶けかかっている。あくまで世界の枠組みの中にいる者へ向けた言の葉がレンスロットに届くことはありえない。
『レンスロット。お前が何をやったのか、わかっているのか。僕が英雄にならなくては世界が滅ぶんだぞ』
「シーザー。君こそ自分のやっていることを理解しているのかい?」
『どういうことだ?』
「権能を奪われた者たちはどうなった?皆物言わぬ骸になっただろう。そこに何の疑問も持たないのか?」
『⋯⋯悪いがレンスロットが何を言っているか分からない。悲しいよ、レンスロット。僕は君を殺さなくてはならない。君は何度だって僕の邪魔をするつもりだろう?』
シーザーの言の葉がレンスロットに届かないのと同じように、レンスロットの言葉もシーザーには届かない。レンスロットはアルトリアを見る。アルトリアはレンスロットを憎悪の視線で見ていた。
「そうだよ」
レンスロットは寂しそうな表情を浮かべた。
『語る言葉はもうないな。死ね。愚かなレンスロットよ』
シーザーは手に大盾、比類なき腕力を秘めた腕、そして精霊をまとって言った。
「あなたがそんな卑しい男だとは思わなかった。目に入れておくのも不愉快よ」
アルトリアは手に杖、癒しの力をその身に宿し、精霊を従えて言った。
「どうしてこんなことになったんだろうね」
レンスロットは『最古の獣』の鎧をまとい、手に大剣、俊足の足と想いを実現する権能をもって対峙する。
大陸の片隅で静かに暮らすはずだった3人は、世界の中心で殺し合いを始めた。
シーザーの怒りと憎しみのこもった言の葉を宿した精霊が空を舞う。アルトリアの癒しと破壊の波動が空間を支配する。レンスロットの肉体と大剣が縦横無尽に動き回る。3人の争いは日が沈み、昇ってまた沈んでも終わらなかった。
あらゆる種族から権能を簒奪した彼らの戦いは終わることを知らない。魔族の大陸からエルフの大陸へ。ドワーフの大陸を走り抜けて獣人たちの大陸へ。そしてついに人の大陸まで彷徨いながら戦いは続く。彼らの戦いによって世界は荒れ、数多の災いがもたらされた。
しかしどんな戦いにも終わりは来る。初めに限界が来たのはレンスロットだ。
「ああ、鎧が僕を溶かしていく」
終わらぬ戦いの中、レンスロットの肉体は耐えきれても、彼の魂は耐えきれなかった。世界へ融解を始めるのに伴って、彼の肉体もまた粒子になって消え始める。レンスロットの体はついに世界へ溶け切ろうとしていた。レンスロットの体は透け、その心はその体を動かす意思以外ほとんど残っていない。
いつしか三人は彼らの住んでいた村まで来ていた。かつて彼らが手を取り合って遊んでいた広場で、凄惨な殺し合いを演じる。それを見届けているのは広場に割いていた一輪の花のみ。
「このままでは駄目だ」
レンスロットはシーザーとアルトリアを止めなくてはならない。レンスロットは己の最後の力をかけて、シーザーを止めてみせる。その想いを世界が写し取った。
レンスロットの大剣が、シーザーを深く貫いた。
『そんな⋯⋯』
シーザーが驚愕の声を上げた。
「馬鹿な⋯⋯」
だがレンスロットも驚愕の声を上げた。シーザーの体を貫いたのに、彼の体からは少しも血が流れない。大剣を濡らすのはレンスロットの目から流れた血の涙だけ。ああそうか。レンスロットは悟った。レンスロットが人の枠を外れてしまったように、シーザーもまた人の枠から外れてしまったのだ。
レンスロットの動きが戦い始めてから、初めて止まった。レンスロットだけではない。シーザーもアルトリアも動きを止めていた。
レンスロットの肉体と意識が世界へ引っ張られていく。その体はますます透ける。レンスロットにはもういくばくも時間も残されていなかった。
「シーザー。曇りなく眼で世界を見るんだ。君は自分のやってきたことを知らなくてはいけない。アルトリア。何者にも縛られない心で自分に問いかけるんだ。君は自分の本当の想いを知らなくてはいけない」
レンスロットは空を見上げた。空にはその空を覆い尽くさんばかりの数の龍が飛んでいる。シーザーは神の望んだ『真なる人』になりえなかった。しかしシーザーはその『真なる人』に最も近い。ゆえに龍はシーザーをつけ狙う。
あぁと、レンスロットは最期に呟いた。
「『最古の獣』よ。僕は親友の力となれたのでしょうか」
『レン、スロット⋯⋯』
シーザーの言葉はもうレンスロットには届かない。レンスロットは世界に溶けてしまった。後に残ったのは黒い鎧と彼が使っていた大剣だけ。
『…君の想いは届いたよ。僕は君の遺志を継ぐ』
「シーザー」
「力を貸して。アルトリア」
シーザーは『言の葉』ならぬ、彼自身の『言葉』を紡いだ。アルトリアは涙を流しうなずく。シーザーは鎧をまとい、右手に剣を左手に盾を持った。
シーザーは空を見上げた。そこにいるのは無数の龍。神の作りだした、命を喰らい、自らを高め続ける至高の存在だ。
シーザーは地の果てを見た。そこにいるのは一匹の『獣』。神が初めに作った『獣』にして、己の力のみで今まで生き残ってきた神の意の届かぬ『最古の獣』だ。
シーザーは寄り添う人を見た。そこにいるのはアルトリア。ともに旅をしてきたシーザーの最愛の人だ。
最後にシーザーは身にまとった鎧と手に持った大剣を見た。かつての持ち主はレンスロット。その存在を賭してシーザーの目の曇りを晴らし、アルトリアの心の鎖を砕いてくれた何にも代えることのできないシーザーの親友だ。
「神がこの世界を作り変えるというのなら、僕はそれを阻もう。例え邪なものと言われようとも。世界を滅ぼす『魔王』と言われようとも!」
視界の端にゼラニウムの花が映る。その花の持つ意味を思い出して、わずかに頬が緩む。視界が涙で歪んだ。
数多の龍がシーザーに向かって迫りくる。シーザーは剣を向けて気勢を上げる。そしてシーザーは世界へ反旗を翻した。
ゼラニウムの花言葉 『真の友情』『君在りて幸福』