覚醒
―悲しみの叫びが聞こえる。絶望の死が見える。こんなこと、あってはならない。そう思うほどに腹の底から、熱く、沸々と湧くこれは何だ?怒りだ。ならば、何の怒りだ。怨念か?正義か?報復か?裁きか?分からない。だが同時に悲しい。心が痛む。何故悲しいのだろう。失ったからだ。何を? 仲間を。・・・そうか、わかった。想いを踏みにじられた悲しみが、怒りを生み、強くしているのだ。目覚めなければならない。悲しみの元を殺さねばならない。
「トシロウ…ウソだろ、トシロォォ!」
叫びは虚しく響いた。ヒロの脚を斬った赤いミュータントを先頭に、緑のミュータントもジワリと歩み寄ってきた。ヨタは目を閉じたまま、青のミュータントに捕まっている。助けたいが、出血は止まらず、身動きも取れない。視界がぼやけて意識が遠のき始めた。諦めたくなかったが、もはや身体が想いにこたえられない。
「ミカ、僕はここまでのようだ…。もう一度、声が聞きたかったな…。畜生…畜生‼」
赤のミュータントが笑いながら右腕の刃を振り上げた。そして振り下ろさんとしたとき―
「やめろぉ!」
誰かが赤のミュータントを押し倒した。ヨタだった。
「やらせない。なんとしても、お前たちを倒してここから逃げ出す。そしてポリスの人間を救う!」
「ヴアッ!」
青のミュータントがヨタを殴り飛ばした。次いで緑のミュータントが横たわった彼を蹴飛ばした。
「うっ!」
赤のミュータントがヨタの前に立ち、刃を振り上げた。止めを刺すつもりだろう。ヨタは連中を見上げた。―《熱の鼓動》が体中から溢れ出る!
「死んでたまるか…。守るんだ…俺が戦うんだぁ‼」
―覚醒の時。
《熱の鼓動》の脈打つ重低音が辺りに響いた。ミュータント共が周囲を見回した。そして音源を見つけたとき、それは真っ赤に光り輝き、辺りを目一杯に照らした。
「な…んだ…?」
ヒロもミュータント共も目を腕で覆い、閃光が収まるのを待った。そしてそれが収まった時、不用意に近づいた緑のミュータントがヴェアア!と声を上げ、木端微塵の鉄くずとなった。
そこにいたのは、変身し、拳を放ったヨタの姿であった。
赤黒く光沢を放つ四肢。額にクワガタの顎のような角、瞳はオレンジに光り、おおきな顎が突き出ている。元の細身の青年の出で立ちとは似つかないシルエットは筋肉質で太く角ばり、胸板が厚く、手足も大きい。高熱を放って化けた彼の節々からは蒸気が漏れだし、彼の身体を所々覆っている。
「ヴワアアアアアアアアアアア!!!」
轟く叫びに、その場の二体はうろたえた。彼らと同族にも見える、それの殺意の眼光が二体を捉えた。化け物は距離の近い赤のミュータントの方を向き、一歩一歩、大地を踏みしめるように迫った。全く視線をずらさないそれに、赤のミュータントは気圧された。化け物が右腕の刀の間合いに差し迫る前に、不意打ちを狙って青のミュータントが化け物の左後方から突っ込んできた。それに気付いていないのか、化け物は歩く素振りを止めない。殺せる!赤のミュータントは一歩引いて間合いを取ってからそう期待したが、それは刹那のうちに裏切られた。
青のミュータントの拳は、僅かに化け物に届かず、化け物が左腕を伸ばした先には、青のミュータントの頭部が顔面から握られていた。化け物はその頭を足元のガレキに叩きつけ、青のミュータントの眼球にガレキの角が刺さった。青のミュータントは泣き声にも近いような叫びをあげたが、脚で首を潰された直後、それはすぐに止んだ。
化け物が、青のミュータントに気を向けたこの瞬間を隙と判断した赤のミュータントが、間髪をいれずに化け物に斬りかかるものの、化け物は両手で刀を挟んで取り、そのままそれを折った。
体勢を崩し、前かがみになった赤のミュータントの隙を化け物は逃さなかった。懐に一歩踏み込みつつ、右手の指を伸ばして手刀を作ってから、貫手の一撃を喰らわし、赤のミュータントの喉を貫いた。
赤のミュータントはその場で鉄の人形と化して地面に崩れた。場は静寂となった。
気がつけば、化け物は元のアンドロイドに戻っていた。
ヨタは周辺の惨状を、しばらく無心で見渡した。声も出なかった。
「ヨ…タ…」
蚊の羽音のように、あまりに力無い声の主はヒロだった。ヨタは歩み寄った。
彼はうつ伏せの体勢で面だけをヨタに向け、言葉を絞り出した。
「よく、たたかって、くれたね」
ヒロの顔は血の気がなくなっていた。
「二人を、守れませんでした…。」
「…それはいい…。君には、これから、果たす役割が、ある…。僕達の、目的は、君が、果たして…くれ」
(そんなこと)
「できるでしょうか」
「出来なければ、僕らは…犬死だ…。」
「死なないでください!病院まで背負って行きます!」
「…」
ヨタはヒロの上体を上げてから、彼を背負い込んだ。
「たとえ何と言われても一緒に行きますよ」
「…わかったよ。だから、歩きながらでいいから、話を聞いてほしい。」
ヨタは歩き始めた。同時に録音を開始した。
「君には、ナカマチに行ってほしい。ヒガシ教授に、会いに行くんだ。ナカマチの、大学に、いるはずだ。そして、現状を、話してくれ。先生なら、君の言うことを、分かってくれるはずだ。」
「外界の人間はポリスの存在を忘れているのではないですか?」
「ポリスを忘れても、僕達のことは、覚えているはずだ…」
ヒロは続けた。
「それと、ヨタ。色んな人間と、関わることだ。人間を知れば、守るものが分かれば、お前は、迷わない。たとえ、化け物になっても、守る心を忘れるな。それならきみは、大丈夫だ…。そして、スラムの…ひと…びとを…」
背中の重みが突然増した。ヨタの耳元でふぅ、と抜けるような息がした。
冷たい。冷たくて重い。そんなものをヨタは背負って歩いている。そしてヨタは、決してそれを降ろそうとはしない。
血と、肉塊と、鉄くずを後にし、ガレキを踏み分けて、ひたすら歩く。星の見えない、夜空の下で、何も考えられないまま、ただ深い悲しみが、彼のすべてを侵した。思考も、歩みも。
遂に、記憶さえも。
「僕は、何者だ」
それでもひたすら歩く。
静寂が、夜を支配した。