出会い
アンドロイドも夢を見る。人間程の知能を備えたならば、記憶の整理も当然であり、その時夢を見ることがある。意識が現に戻ったことを知覚したとき、人と同じように、たとえ夢の内容を覚えていなくとも、時には嬉しい、時には悲しいといった感情を嫌に強く覚えているものだ。
「あ、目が覚めたみたい」
そして彼が目を覚ましたとき感じたことは、虚無感であった。
瞼を完全に開いたときには、先ほどの声の主は辺りにいなかった。ひとまず周りを見渡す。最初に見たのは見知らぬ天井。次に見知らぬ壁。足の方の奥にあるドアは開けっ放しにされている。視線を足下から徐々に自分の胸の方に動かすと、初めて自分が寝ていたことを理解した。
(どうしてこんな所で寝ているのだろう)
記憶を辿ろうとすると、開け放されていたドアから少女と中年の男性が部屋に入ってきた。少女は男性の腕をつかみ、急ぐように入ってきた。
「ほら、叔父さん。目が覚めたみたい。」
「おお、本当だ。」
眼鏡をくいっと上げてから、男性は声を掛けた。
「昨夜、私が君をこの部屋に連れてきたのだ。君も物好きなものだ。瓦礫の街で突伏して寝るとはな。私がここまで連れてこなければ、今頃君は最悪の目覚めを迎えてただろう」
キョトンとした顔を見てか、叔父と呼ばれていた男性は続けた。
「君、昨夜のことを覚えているか?」
目を瞑って思い出そうと試みるが、何も浮かばない。
「…覚えていません」
「そうか。まあいい、名前は何ていうんだ」
「名、前…」
何も見えない。何も浮かばない。頭の中が真っ白になっている。首を横に振った。
「君、何も思い出せないのか」
「ええ、全く…」
「可哀想に。ああ、自己紹介がまだだったな。私はヒガシ。この街で私立探偵をしている者だ」
ヒガシに続いて、隣にいた少女が続いた。
「私はナオ。覚えてね」
「ヒガシさんに、ナオさんですね」
ヒガシは眼鏡をかけていて、口髭を生やし、鼻が高く、小太りな中年男性。ナオは見たところ十代後半で、長い黒髪を後ろに一つに束ねており、目は丸く瞳は茶。部屋着らしい黄色のパーカーは、くたびれた袖の端が指でつかめるくらいに伸びている。ジャージのズボンは寝間着としても使ってそうだ。
「お兄さん、体の具合はどう?」
「記憶がないこと以外は問題ないみたいです。あとは…」
彼の腹が鳴った。
「お腹がすきました」
ヒガシが笑みを含みながら提案した。
「じゃあご飯にしよう。そのあとはナオ、彼に街を案内したらどうだ」
ナオはうなずいて答えた。
「うん、そうする。お兄さん、いいでしょ?」
「いいですよ。よろしくお願いします」
ご飯の後、彼はナオに連れられて街の散策を始めた。商店街に向かって、住宅街の中の遊歩道を二人は並んで歩いていた。
「お兄さんは歳幾つ?」
「覚えてません」
「出身は?」
「それも覚えてません」
「好きな食べ物は?」
「分かりません」
「…お兄さん」
「何でしょう」
「ユーモアが足りないわ」
「そうですか」
沈黙。
楽しい会話を記憶喪失者に期待するのは見当違いだったろうかと思うと、今度は彼から話を振ってきた。
「ナオさん、その服似合ってますね」
ナオは先ほどまでの部屋着とは違い、スカートをはき、オシャレをしていた。
「そうかしら。ありがとう」
あまりこだわったつもりはないが、良く言われるのは嬉しい。
「そういえば服まで貸していただいて、二人には感謝です」
「いいのよ。叔父さんは優しいし、あなたを見て安心してたもの。それに、あなた相当酷い恰好して瓦礫の街にいたみたい。そんなボロ着で歩かせるわけにもいかないでしょう?」
「瓦礫の街…」
「ええ。叔父の趣味かは知らないけど、瓦礫の街にはよく行くみたい。本来はあまりよくないのだけど。…あら」
彼が言葉に詰まっているのに気付いた。何か分からないことがあるようだ。
「あー。瓦礫の街っていうのは、あなたが倒れていた場所よ。その先には発電所があったって。五年くらい前だったかしら。発電所が大爆発を起こしたときに、この隣街までの建物が残らず崩壊して。それ以来、みんなあまり近づこうとしないのよ」
「なるほど、そんなところにいたのですか」
「だから最初あなたが連れられたとき、とうとう叔父は変人を連れてきたと思ったわ」
「普通そう思いますよ。しかし、益々謎です」
「本当にね。どうしてあんなところにいたのかしら」
遊歩道を途中で左に曲がり、その路地を抜けると、大通りに出た。様々な商店が立ち並ぶところを見ると、ここがこの街のメインストリートらしい。人の数も心なしか多い。
「ついでに夕飯の買い物もしちゃおっと」
そうしてまず肉屋に向かった。
「オジさん、豚コマ五百」
「はいよ。あれ、ナオちゃん今日は彼氏と一緒かい?」
「違うわ。彼はちょっと訳アリでね、家に居候することになったの」
「へえ。お兄さん、こんな年頃の娘さんと一つ屋根の下たぁ羨ましいねぇ」
「えっ。はぁ、どうも」
「はは。はい豚コマ。五百円になります」
「はい。じゃあオジさん、また来るね」
「まいど」
次の八百屋に向かう途中、向こう側からナオと同じくらいの女子三人がこちらを見て手を振ってきた。それから歩み寄ってきてナオに話かけた。
「ナオ!」
「あ。ユミちゃんたちだ」
三人は興味津々といった様子で二人をまじまじと見つめてから、次にニヤニヤしてナオの顔を見た。
「おやおや?このお方はどなたですかな?」
「なになに?ウチらの知らないうちに彼氏ゲットとか?」
これが文字だったら語尾に(笑)が付きそうな調子で話しかけてきたのは、どうやらナオの友達らしい。ナオはこの展開を想定してたらしく、やれやれといった調子でふぅと一息吐いてから事情を話した。
「えー何それウケる」
「彼氏さん、ナオに変なことしちゃダメだよ~」
「変なこと…?」
彼には何のことだかさっぱりだったのだが、それがとぼけたように見えたらしく彼女たちはアハハと笑いながら去っていった。
「冷やかしやがって…。あの、気にしないで。いつもあんな感じだから」
「楽しそうでしたね。みんないい人そうだ」
「どうだか」
八百屋でも似たような会話をしたが、ここでは一つだけ違うことがあった。その話の終わりに八百屋のオバさんがある奇妙な話題を振ってきたのだ。しかもこれが瓦礫の街で起きたことだという。
「ナオちゃん知ってる? 昨夜あの瓦礫のとこで男の死体があったって。それもただの死体じゃなくて、片足が切断されてたそうよ。近くにグチャグチャに壊れた車もあったって。」
「へぇ、そんなことがあったの」
ナオの反応が嬉しかったのか、オバさんは自慢げに話を続けた。
「そうなのよ。今朝そんな噂話をしてた人がいたわ。夕刊には書かれるんじゃないかしら。アタシは不良かヤクザの仕業と踏んでるのよぉ。それとあのね…」
ナオは大根を手に取ってそれに目をやり、生返事をしてそれを流した。視線をオバさんに向けるとまだ何か話したそうな目でこちらを見つめていたので、ナオは大根を突き出して「これくださいな」と言って会話を切り上げた。
「八百屋のオバさんは随分と物知りなんですね」
帰りの遊歩道。彼は感心したのでその話題を出したのだが、ナオの反応は冷ややかで、どうやらあまり好きな話題ではなさそうだった。
「お兄さん、ああいう人は物知りじゃなくて噂好きっていうのよ。さっきの話だってどうかしら。あの場所はただでさえ都市伝説がごまんとあるのだから」
「…そうですか」
「ま、オバさんは野菜安く売ってくれるから別に構わないわ」
それから彼は家まで自分から話を振ることをやめた。一寸の間会話が途絶えて、その間にナオは彼の浮かない様子をみた。彼はきっと不安なのだから、話をして安心させようとした。
「お兄さん、この街はいい人が多いわ。それは確かよ。ほら元気だして」
「…はい」
「今日は歓迎パーティよ! お兄さんが家に来たんだもの。テンションあげていかなきゃ! ほうら、置いてっちゃうぞ!」
「ああ!待ってくださいよ!」
家までの道を二人は弾むように駆けていった。




