#15
後ろでまとめただけの髪、薄い化粧、質素な服、病室で眠っていた服装と姿そのままに、母・美代子は座り込む。背中を幾分丸くして力なく虚空を見る姿は今にも消えてしまいそうなロウソクのようだった。
裕也が問いかけた声に、ゆっくりと振り向く。
両の瞳から涙を流しては、周りの水槽に注ぎ込む。いや、今では水槽のゆらぎそのものだ。
「お母さん?」
裕也は再び呼んだ。
美代子は自分の息子の姿をその目に捉えると、優しい笑顔を見せる。
揺らぐ景色の中で確かに目が合う。
「裕也、ごめんね」
水の中から震えた声が届いた。
美代子は座り込んだまま両腕を開き、裕也を招いた。
「こっちにおいで、裕也」
水の中で確かに聞こえる母の声に、裕也は手を伸ばす。
そばに行きたい。でも行けるのだろうか?その疑問が目の前の水壁に触れる。
空間を埋め尽くす悲しみの海は、裕也の右手に触れると大きくうねり、崩れ落ちる。
重力を思い出したかのように入口から廊下に大量の波を作り、玄関に向かって押し流れ始めた。その流れは開け放したリビングのドアにも侵入し、中から猫の慌てた声が誘発される。
「ごめんね、裕也……ごめんね」
繰り返す母親に、裕也が歩を進める。
まだ涙は部屋から流れ切ってはいなかったが、それは衣服を濡らすものではなく、部屋の壁も天井も家具もそのままに、跡形もなく流れていった。
裕也が母の膝元まで近付くと、待ちきれない様子で美代子は裕也を抱きしめた。
「ごめんね、痛いね、痛かったね」
呪文のように繰り返す母の胸に顔を埋める。確かに柔らかく、暖かい。
「別にお母さんは悪くないよ。車が突っ込んで来たのが悪いんだし」
裕也の言葉に、首を振る美代子。
「お母さん何にも出来ないから、何にもしてあげられないから。私が代わってあげられたらいいんだけど……ごめんね」
母の抱きしめる腕が強くなった。