白い天井と白い看護師とコンティニュー
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吹き荒れる焔が傍若なまでの熱量を浴びせかけてくる。
掌の向こうで濃密な殺意が俺を食い殺そうとしていた。
「アスクレピオスの名の下に・・・・」
右掌の中に焔を握り込むように意識を注いでいく。
ムキムキマッチョな男が、 アブドミナル・アンド・サイ のポージングを決めつつ、ムムムっと唸っている。
同時に左掌にもまた意識を向ける。
こちらには フロント・ダブルバイセップスのポージングを決めつつ、「兄じゃー!!」と叫ぶムキムキマッチョその2がいた。
離れてみている者がいれば、両手の中で槍状に収束する焔と水が見えたことだろう。
両手首からマッスルブラザーズを生やした少年が見えるかどうかは、貴方次第だが。
「くそっ!」
吐き捨てるように叫ぶと、ヤツは焔を俺の周囲へ渦を巻くように発生させるが、左手の水槍を振り回しながら解放してやる。
この間、ポージングがサイドチェストへ変わっているのは放置である。
ジュオッ
蒸発する水分と消える焔。
同時に右手の焔槍をヤツの頭上へ投擲し、
両脇に潜ませていた酸素のナイフをぶちこむ。
ドンッ!!
素敵なくらい過剰燃焼した焔が衝撃波をともなった焔を撒き散らす。
吹き飛ばされるヤツの眼が俺をとらえたが、
「残念、チェックメイトだ」
言葉と掌底を叩き込む。
何とか逃れようと右の拳を振りかぶってくるが、左肘で外側へと打ち流す。
そして右の貫き手を心臓に向かって突き入れた。
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想像したことは無いだろうか。
誰にも脅かされることの無い、強い力を手にする自分を。
妄想したことは無いだろうか。
果てしなく正義に満ち溢れて、リア充な境遇を。
若しくは何処までも悪辣を装いながら、己が信念のままに、結果的に人を救ってしまう物語を。
だが、俺は言いたい。
そんなのは夢物語だ。
大抵が悲惨な結末に違いないのだ。
いや、必ずしもそうとばかりは云えないが、俺は言いたい。元々“力”を持たない人間の行き着く先は、碌でもないのだと。
天井が眼前に広がっている。
まぁ正確なところ、そこが眼前か頭上なのかは重大ではないのだが。
「う~む、知らない天井だ」
まさかこの台詞を消化するチャンスに恵まれるとは思わなかった。
「幸か不幸か、はてさて」
腕に力を込めるが、持ち上がる様子は無い。
腕が無いのか、拘束されて身動きがとれないのか、別の理由か。
俺の最後の記憶は、ドーナッツ屋のイートインで斜め前に座った女子大生のお姉さんが、メッチャ好みだったので、コーヒーを4杯ほどお代わりしながら眺めていたら、左手の道路から暴走したトラックがガラスを突き破って飛び込んで来たところで終わっていた。
定番ならそろそろ神様っぽいのやら、悪魔やら天使やらが出てきて謝罪や説明を始めるところ・・・
「はーい、点滴換えましょうねー」
横開きであろう扉から、看護師のお姉さんが入ってきた。
なかなかに口元のホクロが、色っぽい。
朝の情報系番組の人気キャスターみたいだ。
「後で体も拭きま・・・」
「・・・」
「・・・」
「あっ、ども。」
「・・・きっ」
「き?」
「きゃぁぁぁぁぁっっ!?」
「いや、そんなに驚かんでも」
耳を左から右、この場合は右から左に自転車のブレーキ音も真っ青な金切り声が突き抜けた。
腕が動かない身としては、塞ぎようもない。
冷静にツッコんでみたが、一時的に音の無い世界へ転居した俺は、わたわたと慌ててナースコールを押す看護師を眺める。
ところで、看護婦は看護師と言うようになったが、ナースコールはナースコールのままで良いんだろうか。
何ゲーだよっ、て位に連打されたナースコールにより、駆けつけた医師と看護師から様々な問診と検査を受けることになった。
医師から受けた説明によれば、日本で13例目の本人の細胞からの培養ではない、人工心臓移植だったらしい。
征暦2500年代より急激に進んだ日本の心臓外科手術としても、かなりリスクの高い手術だったようで、国から費用面でも全面的な支援を受けてのものだという。
ちなみに、征暦2300年代より日本人の心臓病による死者は急増の一途を辿り、低年齢化も進んだ。
危機感を募らせた当時の政府は、莫大な予算を捻出して様々な心臓病治療の開発を推し進め、世界最高の心臓外科手術の技術を開発した。
それは当時まで、道徳的観点等から世界的にもなかなか進まなかった、再生医療による人工心臓の移植である。記録によると多発していた6才児の心臓病治療に投入し、目覚ましい効果を上げたという。
しかし、奇妙なことは国民の3人に1人が心臓病と言われた時代に、肝心の原因は究明出来ず仕舞いなことか。
それはさておき、そんな現在の日本においても本人の細胞培養に依らない人工心臓は、漸く臨床段階へ足を踏み入れたばかりなのだ。
いずれにせよ孤児として身寄りもない俺としては、タダで最新の治療が受けられたのは幸運だと言える。
尤もその対価として定期的な検診とそのデータ提供は義務づけられるが。
あの日から三ヶ月。
リハビリや検査の毎日だった。
心配された拒絶反応もなく、衰えた筋肉を再び鍛え直した。
心臓移植から意識を取り戻すまで半年。
物の見事に日常生活に支障を来していた。
順調すぎる心臓に驚きながら、俺は普段の生活には問題ないまでに回復した。
そして、一通りの検査を受けた後、ステ振りイベントも、チート付与も無いまま以前よりやや健康な体で俺は退院することになった。