約束を果たしに
吐いた息が、ふわっと白く凝った。
――もう、そんな季節なんだなぁ。
ユメコは薄い青に澄んだ空を見上げながら、もう片方の手の温もりを感じていた。
「どうした、ユメコ。寒いか?」
隣を歩いていた長身の相澤が、小柄なユメコを覗き込むようにして訊いた。指を絡めるようにしてしっかりとつないだ手を引き寄せるようにして、心配そうな眼差しを向けてくる。
ユメコは少し慌てた。
「うん、ちょっとだけ。でもだいじょうぶ。あのね、もうすぐクリスマスなんだなぁって思って」
「駅で見たクリスマスツリーのことか?」
「うん。とってもきれいでした」
笑顔になったユメコを見て、相澤は嬉しそうに微笑んだ。
「そうか」
静かな住宅地を抜ける道は、緩い坂道になっていた。
隣を歩く相澤は、ユメコの歩調にあわせてゆっくりと歩いてくれている。ずいぶんと背の高さの違いはあるのに、その歩調はごく自然だ。
ふたりの足音――穏やかなリズムを刻む二重奏が、ユメコの耳に心地よく響く。
「まるでずぅっと長いこと、一緒にいるみたい」
思わずつぶやくと、相澤が「ん?」とこちらに視線を降ろした。あわてて首を横に振ったが、頬はほんわりと熱くなってしまう。
相澤はきっと、そんなユメコの心の内まで見通しているのだろう。
「そうだな」
笑いながら言って、つなぐ手に少しだけ力を込めてくれた――ユメコの胸に、あたたかいものが広がる。
「そういえば、ショウは寒くないんですか?」
「なぜだ?」
「コートの前、あわせてないから」
「これには理由があるのさ」
「どんな理由が?」
なぜか自信たっぷりの相澤に、思わずユメコは訊いた。
「こういう理由さ」
相澤はそう言って、ユメコを抱き上げた。そして自分のコートで包み込もうとする。
「な、ちょ、ちょっとショウ! は、恥ずかしいですから! しかもきちんと包まれていないですから!」
思わず突っ込みを入れてしまう。
「素直に喜ばないところが可愛いな、ユメコは」
真っ赤になってしまった顔を、相澤に容赦なく覗きこまれてしまった。
「もうっ。不謹慎です」
相澤の胸に寄り添うようにして顔を隠しながら、ユメコが頬を膨らませる。
ちょっぴり悔しいが、相澤の腕の中は暖かかった。
「知り合いがいたら、すぐに降ろしてくださいね」
ユメコは一応、相澤に念を押すように言っておいた。
今年の冬は例年より訪れるのが早かったらしい。北海道ではもう初雪が降ったのだという。
ふたりは今、九州に来ていた。
ここは都心より遥かに南のはずだが、それでもかなり冷えている。
子どもたちが学校の時間だということもあり、車の行き交う音もなく、道の周辺は静かであった。狭くもなく広くもない一戸建てが建ち並び、ところどころに緑のあふれる公園がある。そこでは幼稚園にあがる前の子どもたちが、歳若い母親たちに見守られながら遊んでいた。
ユメコの生まれ育った町だ。
そして、古川恵美の眠る場所が丘の上にある。
「ようやく約束が果たせるな」
相澤が言い、ユメコは頷いた。
「うん」
ふたりはもっと早く訪れたかったのだが、事件の規模が大きかっただけに、落ち着くまでにそれなりの時間がかかった。
もちろん面倒なこともあったが、安堵することのできた遣り取りもあった。
それは、京都から戻った翌日のことだ。
ユメコと相澤は、雅紀が病院に戻るのに付き添っていた。
「雅紀さん!」
その無事な姿を見たナツミは、入院棟の入り口から飛び出して彼を出迎えた。
「すごい、雅紀さん歩いてるよ! なにがあったの?」
馴染みの場所に戻ったことに満足してにこにこと微笑むだけの雅紀に代わり、相澤が答えた。
「彼を縛り付けていた鎖がひとつ外れたのさ。今まで歩くことができなかったのは、精神的なことが原因だったんだ。……いろいろあったからな。そういや君は、彼の事情を聞かされてはいないんだろう?」
相澤が物言いたげな視線を向けたが、ナツミは首を振った。
そして、彼女はゆっくりと口を開いた。
「あのさ、雅紀さんとはじめて会ったのは、ここのロビーの――ほら、あそこの席だったんだ。ちょっといろいろ悩んでてさ、あの日。学校のこととかそのときのカレシのこととか、すっごい悲しくて悔しくて腹が立ってて」
学校、ここからちょいと距離あんだけど走りまくってこんなとこまで来ちゃってさぁ――とナツミは照れ笑いを浮かべながら、しみじみと言葉を続けた。
「ナツミがね、泣いてた間ずっとずっと隣にいてくれたんだ。めちゃくちゃいろんなことぶちまけたあたしの言葉に、一生懸命にね、頷きながら。なぁんにも口挟まずにね、聞いてくれたの、うんうんって、ずっと。すごく長い時間だったのに」
ナツミは笑った。それは迷いもためらいもなにひとつない、輝くような笑顔だった。
「雅紀さんはね、本当は優しいひとなの。ナツミにはわかる。だから……いろいろなこと、一緒に背負っていけたらいいな、そう思ってる」
「そうか」
「それじゃ、雅紀さんを病室まで送ってくるね。じゃあね、ユメコちゃん、また」
「うん」
相澤は無言のまま、病室へと雅紀を送っていくナツミの背を見送っていた。
ユメコは相澤に歩み寄り、そっと口を開いた。
「……雅紀さんを狂わせたのは、環境だったのかもしれないですね。たぶん生まれたときには、すごく優しい良い子だったんじゃないですか?」
「ふん」
反射的に、相澤が鼻を鳴らした。まだ雅紀のしたことを許せないのだろう。
ユメコは彼の腕に身を寄せた。
「だって、ショウの育ての両親の息子、ですもの」
「……そうか、そうだな」
相澤はユメコを胸に抱き寄せ、ゆっくりと頷いた。




