帰る場所
多数の警官が到着したあと、屋敷の敷地内は大混乱になった。
無理もない。ビルの屋上には現世らしからぬ屋敷が隠されており、おまけにその中庭には警察所有であるはずのヘリコプターが奇妙な姿勢で停まっていたのだ。ついでに、世界的な巨大企業Eクラウドグループのトップたちが警視庁の刑事ふたりに拘束されていたのだから。
「こりゃ、明日の新聞はずいぶんと賑やかなものになっちまうかなぁ」
逢坂刑事が騒ぎを見ながら、楽しんでいるのだか困っているのだか、判然としない口調でつぶやいた。
逢坂刑事と小宮、そして相澤とユメコは、騒ぎから少し離れた場所に立っていた。素足のままであったユメコは、相澤に抱き上げられている。
「え、だ、だいじょうぶでしょうか。だってあたし――」
連行されていくシンジたちを見つめながら、ユメコは不安になってつぶやいた。
「心配ない、ユメコ。新聞に俺たちの名前は出させないさ。おまえの両親にまで迷惑をかけることはさせない。それに、両親へは俺から説明しておく」
相澤はのんびりと構えていた。その落ち着いた態度は、相応の行動力と自信から現れているものだ。
ユメコは間近にある相澤の顔に視線を戻し、微笑みながらゆっくりと頷いた。
「うん。ありがとう、ショウ」
相澤はユメコに微笑を返した後、逢坂刑事に向き直った。
「しかしまぁ、おかげで助かったぜ。始末書モンにならないよう俺のほうから手を回しておくから、貸し借りなしってことで」
「おまえ、っていうか、相澤コンツェルンのほうからの根回しだろうが。まぁったく、警視庁内で勢力ゴッコなんつーもん、やめてほしいんだがな」
苦いものでも噛み潰したかのような面持ちで、逢坂刑事が言った。
「でもセンパイ、大事な家族があるんですから。甘えちゃったほうがいいですよ」
小宮がいらぬ横槍を入れ、ハッと気づいて自分の口を押さえる。だが、普段なら怒鳴るはずの逢坂は無精ひげの目立つあごをさすり、小さく笑ったのみであった。
「まあ、そうかもな。大事なもんを抱えている身としては、あまり無茶できないってことだ。それでもやるときはやらんといかんが。……おい、小宮!」
「は、ははは、ハイ!」
「見直したぜ、おまえもやるときにはやるんだな」
「すす、すみませ……! え?」
反射的に謝りかけた小宮は、想定外の逢坂刑事の言葉に目を白黒させた。
「なにかあっても責任は俺が取る。そう言っただろ、おまえは安心しとけ」
「あ、は、はい了解です」
「返事はハイ、だけでいい」
「はい!」
「あの。せ……センパイ」
「うん? なんだ?」
「――カッコイイです!」
「なっ、ばっかやろッ!」
「う、うわわわっ。すみませえぇぇえん!」
そんなふたりの賑やかな遣り取りを眺め、ユメコはくすりと笑った。
「ゼッタイみんな、仲良しですよね。ね、ショウも――」
言葉を続けかけたユメコは、ふと相澤の衣服に気づいて息を呑んだ。相も変わらず胸元まではだけているシャツのあちこちが、じわりと広がる血で赤黒く染まっていたのだ。
「し、ショウ! どうしたんですかそれッ?」
「ん? あ、あぁ、悪い。忘れていた」
「血が。ショウっ、降ろしてください、無理しないで」
今にも泣き出しそうな顔のユメコに、相澤は笑った。
「とりあえず縫っておいた傷口が、ちょっと開いただけだ。問題ない、このあと病院へ行くから」
「問題ありまくりですよ!」
叫ぶと同時に涙があふれ、ユメコは相澤の首に抱きついた。
「あぁ、本当にごめんなさい、ショウ。あたしのせいで……。怪我してるのにここまで助けに来てくれて」
「当たり前だ。おまえを失ったら、俺は生きていけない」
その言葉に、ユメコはますますぎゅっと相澤の首にしがみついた。
「……傷なんてなかったことにできたらいいのに」
「ユメコ。本当に問題ないんだ。そら、見てみろ」
相澤はユメコを片手で抱き支えたまま、器用に自分のシャツのボタンを外した。
たちまち頬を熱くして何事か言いかけたユメコだったが、それを目の当たりにして驚き、相澤の傷を凝視した。いや――傷であった跡に。それも少しずつ、だが確実に閉じ、消えかけている。
「ユメコは自分が撃たれたとき、自分の肋骨の治癒が早いとは思わなかったか? おまえの力は、今までにもおまえ自身を護っていたはずだ」
言われたユメコは、戸惑いながらも頷いた。
「確かに……小さな頃から怪我の治りが早いねって言われたこと、何度もありました。じゃあ今回、意識したことで、こんなふうに強くなったってことですか?」
「そうさ。ユメコは俺と同等か、それ以上に役立つ力を持っているってことだ」
「ショウみたいな力が、あたしにも……」
その言葉がじわじわと胸に広がり、ユメコは表情を明るくした。
「つまりあたしも、ショウのお荷物じゃなくて、ショウを支えることができるってことなんですねっ?」
「荷物だなんて一度も思ったことはないぞ。ユメコがそばにいてくれることで、俺は強くなれるんだからな」
それに――、と相澤は言葉を続けた。
「これでますますユメコは、俺様にとってかけがえのない、必要不可欠な女になったということだぜ」
「んもうっ! そんなのばっかり!」
真っ赤になったユメコがこぶしを振り回し、相澤が「おっと」と言いながらかわして余裕げに笑う。
「今回の事件は、悪いことばかりではなかったということだな」
「そうですね。いろいろなことが、少しは良い方向へと変わることができたと思いますから」
シンジのこと、姉との誤解のこと、東雲家と相澤家の因縁のこと、そして雅紀のこと――これで、良かったんですよね、きっと。
ユメコは深く息を吸い、目を閉じた。
相澤雅紀は、東都大学附属病院へ戻ることになっている。明日にはナツミと再会できるだろう――先ほど相澤の携帯端末で知らせたら、雅紀が無事なことをすごく喜んでいたのだ。
「ユメコ」
呼びかけられ、ユメコは目を開いた。すぐそばに、いつもと変わらない微笑みがある。
「うん?」
「帰ろうか、家に」
「はい!」
「――それにしても」
ふと思い出したように、相澤がちょっぴり残念そうにつぶやいた。
「本当に一発、殴ってやればよかったのにな」
「それは一度やっておいたから、もう必要ありません」
腕の中の少女の返事に、相澤が目を見張る。
ユメコはちいさく舌を出し、少しだけ笑った。




