継がれる想い、少女の力
「なんだい、僕を殴るつもり?」
近づいてきたふたりに、シンジが挑戦的に訊いてきた。
敵か味方か――どうしてそんなふうにしか考えられないのかな。ユメコは悲しみに目を伏せ、静かに首を振った。
「あなたたちがしてきたことは許せないけど、それよりも大事な用があるんです」
ゆっくりと顔をあげ、ユメコは真っ直ぐに相手を見つめた。
「あなたは自分にかけられた理不尽な呪術を、解きたいんですよね。老いることも死ぬこともない自分を、終わらせたがっている」
ユメコの真意を図りかねているのだろう、ふぅん、とシンジが鼻を鳴らす。
「つまり、君は僕を死なせてくれるって言いたいのか」
「はい、そうなります」
「……ゆ、ユメコさん!?」
「おい、嬢ちゃんッ?」
小宮が驚きの声をあげ、逢坂刑事が目を剥いた。
表情を変えなかったのは、相澤とシンジだけだ。いや、気絶して倒れたままのマモルも――。
そのとき、マモルがカッと目を開いた。
そのまま上体を跳ね上げるようにして起き上がり、ユメコの首を掴もうと腕を伸ばす。まるで獲物を狙う蛇のように怖ろしい勢いだ。
思わず目を閉じたユメコだが、首にはなんの衝撃も訪れなかった。
目を開くと、ユメコの首に届く寸前でマモルの腕は阻まれていた。その腕を掴んでいた相澤が、容赦のない力でねじり上げる。
「邪魔をせず、そのまま聞いていろ」
低いがよく通る声で相澤が言うと、マモルも負けじと言い返した。
「なにを言う。その娘の力でシンジ様が――」
「黙って聞けと言っている」
相澤の声音は、マモルを黙らせるに足るものであった。
「あなたにかけられた、あなたのお父さんからの呪術を『消去』します」
シンジは動きを止め、驚いたようにユメコの顔を凝視した。
「そうすればあなたは、ひととしての寿命を取り戻すはずです。普通に生き、いつかそのときが訪れたら死ぬことになります。天寿として」
話しながらも、ユメコは不安に締めつけられる胸が苦しかった。
――正直どうすればいいのか、わからない。けれどなんとかしなきゃ、誰も変われない。あたしにしか……できないのならば。
ユメコは、決意した。
目を伏せ、細く息を吸う。まぶたの裏に閉ざされた闇。心の闇、ひとの想いの闇――。自分の心の深く、深くを目指し、意識を沈ませていった。
――ショウの力は、ひとや想いを繋ぐ力。あたしの持っているという力を、あのひとの想いに繋ぎたいの。どうすればいいのか教えて……。
心の声で囁くと、心地よいぬくもりに包まれた感じがした。おそらく、相澤がユメコの声を聴いて抱きしめてくれたのだろう。
「俺はここにいる。ユメコ、自分を信じて望むだけだ。あとは俺に任せろ」
――うん。
聴こえてきた声に、素直に頷く。
気がつくと、周囲の光景が変わっていた。闇ではない。数多の色が筋となって一方向へと流れゆく世界。そのめまぐるしい光景のなかに、ひとりの少年が座りこんでいるのが見える。
その背に、巨大な銛のようなものが刺さっていた。それが少年をこの場所に留めているのだ。
「時の楔だ。古い力によるものだな。怨念と執心が呪術を形成しているんだ」
相澤の声がする。
あえて確認しなくても、ユメコは信じている。自分を支えてくれている相澤がそばにいてくれることに。
そして他にも、淡色の髪と瞳をもつ、たおやかな女性の気配が自分の隣にあった。
女性の抱えている想いが、ユメコの内にも流れ込んでくる。相澤の力だ。
言葉に語り尽くせない、たくさんの想い。女性が一番強く感じていたのは、弟と家族を護らなければという決意。
――そう、誰が悪いわけでもなかった。みんな、自分の大切な者のために、一生懸命だったんだ……。
ユメコは理解した。唇が震え、瞳と頬が熱くなる。涙があふれそうになった。
「誰も恨んでいない。どうしようもなくて、命と引き換えにしてでもみんなを守りたかった。そんなとき目の前に現れて、わたしに力を貸してくれたあのひとに……とても感謝しているの」
そうつぶやいたのは、ユメコではない。
「ずっと一緒にいられなくなってしまって、ごめんね。そのために、こんなに長い間苦しませてしまって……」
とても悲しそうな声は、残してしまうことになった弟に向けたもの。都を救うために儚くも犠牲になったその女性が、声なき声で想いを告げているのだ。
「あなただけでも幸せになってね。自分の人生を……どうか生きて、幸せに」
相澤の『結合』の力によって導かれ、女性の気持ちがユメコに届く。
――伝わって、お姉さんの気持ち。時の楔なんて、最初から必要なかったんです。だから消えて……呪いは『消去』されるべきなんです!
ユメコの想いが、相澤の力に導かれて少年に届く。輝く光となって、きらきらと空間を渡る。
少年をすっぽりと包み込んだ優しい光は、桜色だ。シンジの姉の名の由来であり、よく身に纏っていた色。その色が少年に刺さっていた巨大な銛を覆い尽くし、静かに消し去っていく。
それを見届けた後、世界もまた変化していった。
眩しすぎるほどにその世界が輝く光に満たされ、ユメコは意識の瞳を閉じた。
次に瞳が捉えた光景は、涙にぼやけていた。
瞬きをして涙を振り払うと視界が晴れ、目の前にシンジが立っていた。
ユメコの顔を凝視したまま、滂沱の涙を流している。
「……ねえさん……」
シンジはそうつぶやいたあと、くずおれるように地面にうずくまり、肩を震わせて泣いた。
「ユメコ。やり遂げたな」
直接耳に届いた声に振り向き、見上げると、そこに優しく微笑む端正な顔があった。
「うん。ショウのおかげです」
ユメコは頷き、にっこりと笑ってみせた。




