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受験JKと心霊探偵の事件変奏曲  作者: 星乃紅茶
第三楽章 つなぐ想いと魂のコンチェルト
64/77

暗転

「……ショウ……」

 ユメコは天の高い場所を見上げ、(まばた)きをした。

 ――今どこにいるの。なにがあったの……ショウ……。

 暮れゆく空にはうっすらとした雲が幾筋もかかっていて、まるでオレンジ色のキャンバスに乾きかけた灰色の刷毛をこすり付けたかのようだ。

 うっかりにじみかけた涙を指先で払うと、こちらを心配そうに見ている小宮刑事がそばに立っていることに気づいた。ユメコは慌てて頭を下げた。

「あの、すみません、何だか申し訳ないことになってしまって……」

「いえっ、気になさらないでください。むしろ光栄です!」

 夕日よりなお赤く顔を染めた刑事から、上擦った声が返ってきた。

 駅までの帰り道である。西日を遮る高層ビルの影が不連続に続き、まるで大都市そのものに混然とした光と闇の縞模様を塗りたくったかのようだ。

 そんな光と影が続く歩道を、ユメコたちは並んで歩いていた。高校生と見紛うほどに小柄な学生とスーツ姿の刑事という組み合わせも、急ぎ足に家へと向かうサラリーマンやOLたちの流れのなかでは人目を引くこともなかった。

「人通りが多いというのは、むしろ安全ですよね。なにかあったら必ず目撃者があるわけですし」

 小宮はのんびりと構えていて、落ち着いてみえる。度胸があるのか単に緊張感がないのか――おそらく後者だろうと思われた。今年刑事になったばかりの彼にとっては、財閥だの自家用ヘリだのと語られても、前回屋上に居合わせていなかっただけに現実の脅威としてはあまり実感がわかないのであろう。

「えと。そう、ですね」

 どう応えてよいものかわからず、ユメコは目を伏せた。

 頭の中では相変わらず、いろいろな思考が渦巻くようにぐるぐると回っている。ショウのこと、自分のこと、両親のこと、そして『シンジ』と『マモル』という名のふたりのこと……彼らがなぜか見張っていた雅紀のこと、その雅紀に想いを寄せているナツミのこと。

 気がつくと、小宮が覗き込むようにしてユメコに話しかけていた。

「――ければ、帰りに食料品とか買うものがあるだろうし、付き合いますよ。僕が荷物を持ちますから」

「あ、いえ、そんな。えと……だいじょうぶです。献立とか、いつもショウとふたりで相談して決めていましたし。だから今日は――」

 途中からしか聞いていなくて内心慌てたユメコが思わず素直に答えると、小宮は傍から見てもわかるくらいにガックリと肩を落としてしまった。

「そう……なんですか。ふたりは仲良いんですねぇ……うらやましいです。僕にもこんなカノ――い、いや、こんな妹がいたらなぁと……」

「え、妹……ですか? でも刑事さんには、ナツミさんがいらっしゃるじゃないですか」

 小宮は、ますます肩を落としてしまう。

「いや、すみません、そういう意味では……。それにアイツ、兄を兄と思っていないんすから」

「え?」

 ユメコが首を傾げたとき、すぐ近くで着信音が鳴り響いた。

 小宮がぎょっとして胸ポケットを押さえ、あわただしく中を探った。なにかのゲームソングらしい、ひどく可愛らしいメロディが恥ずかしいのか、超特急で通話ボタンを押す。

「こ、こここんなときに……なんだアイツのケータイからか。ユメコさん、ちょっとすみません。――もしもし?」

「あっ、お、お兄ちゃん!? どうしよう。あの、あのさ、お兄ちゃんだって仮にも刑事なんだよね!」

 電話のスピーカーから、切羽つまったように悲壮な声が洩れ響いてくる。覚えのある声だ。小宮の妹、ナツミだろう。

 ――なにかあったのかな。

 ユメコは心配のあまりまたしてもドキドキと鳴りはじめた胸を押さえ、小宮の持つ携帯電話を見つめた。脳裏に浮かんだのは、病院の外でショウと目撃した光景。ナツミと雅紀の談笑する姿だ。

 ショウとは血の繋がっていない、相澤家の長男――ユメコとショウが命を狙われたあの事件の最中に、錯乱するあまり銃を乱射して姉を撃ち抜き、そのショックからか、それとも大量の霊たちに囲まれたからなのか、記憶と精神に傷を負って入院中である男のことだ。

 むろん、小宮もナツミも知らされてはいない事情なのだが。

「……おまえなぁ、仮にもってなんだよ。だから兄を兄として――まぁ、いいや。なにかあったのか?」

「すぐ来て、探してほしいの! 病院で大変なことが――あ、今病院なんだけど、入院してるひとがいなくなっちゃったんだよ! とにかくすぐに来て! 東都大学の病院、入院棟のほう!」

 その言葉に、ユメコは目を見開いた。

「まさか、やっぱり……!」

 ナツミが東都大学の附属病院に面会にゆく相手ならば、やはり雅紀であろう。その雅紀のことを『マモル』は見張っていた。なにかあったに違いない!

 小宮は、電話口で泣きだした妹のナツミに、必死になって話しかけていた。

「落ち着け、ナツミ。すぐに行ってやりたいんだが、実はいまこっちも大変なことになっていて。ここから向かうというわけには――」

 ユメコは迷わなかった。決然とした声をあげる。

「行きましょう、刑事さん!」

 小宮が耳に携帯をあてたまま、びっくりしたように振り返った。

 ユメコは小宮の目を見つめ、もう一度言った。

「ナツミさんのところへ、すぐに行きましょう」

「いや、しかし……」

「あたしも一緒に行きますから! それなら、警護って意味では問題ないと思いませんか?」

「東都大学の医学部附属病院――そうか、ユメコさんの大学にある病院ですよね!」

「はい。だからよく知っています」

 ユメコは頷いた。てきぱきと言葉を続ける。

「ここから向かうとなると、今の道路は渋滞していて、すごく時間がかかります。電車に乗って上野駅から徒歩で公園内を突っ切ったほうが早いと思うんです。だからまず、駅に向かいましょう!」

 なぜかはわからないが、ユメコには確信があった。雅紀がいなくなったことは、ショウの失踪と無関係ではないのだと。

 『マモル』と呼ばれていた男は、病棟にいる雅紀のことを見張っていた。

「もうすぐ永遠に消し去る予定だよ――相澤の血は」

 そう語った少年の傍に付き添うように立っていた、黒ずくめの男。ユメコの心臓を銃で撃った相手、そして恵美先輩を死に追いやった真犯人。

「ショウのことも、もしかしたら――」

 いったん電話を切った小宮だったが、再び音楽が鳴り響いた。今度の着信音にも聞き覚えがあった。有名ゲームの戦闘不能時の音楽である。

「うわ、センパイからだ。――は、はい、もしもし?」

「そっちは今どこだ。大変なことになった!」

 びりびりと響く逢坂刑事の声は、傍にいるユメコの耳にも聞き分けられた。

「相澤コンツェルンの社長が撃たれたんだそうだ! こっちは大騒ぎになっている。いいか、戻ってくるなよ、そっちはそっちで待機していろ! 俺も招集がかかる前になんとかそっちに――」

 逢坂刑事の言葉はまだ続いていたが、ユメコの頭の中は真っ白になっていた。

「ショウのおとうさんが……」

 とっさに脳裏に浮かんだのは、ショウの顔だ。そして、あのとき病院で銃口を向けてきた『マモル』の顔――。

「俺はこれから事実確認に向かう。それからそっちは、絶対に嬢ちゃんから目を離すなよ! ――む、別の電話が入った。かけなおすから待ってろ!」

 逢坂刑事の声はそこで途切れた。

 一方的に電話を切られた小宮が、あまりの音量にじんじんと痛む耳を擦りながらユメコを振り返った。

「あの、ユメコさん。今の話――」 

 心配そうな小宮の問いかけに、ユメコは顔をあげた。答えようとして、自分が震えていること気づく。

「もしかしたら……撃ったのは」

 そう言いかけたとき、タイヤの軋るようなブレーキ音が耳を打った。とっさに車道へと目を向けたユメコの視界が、真っ黒に覆い尽くされる。

「きゃ――」

 悲鳴の出かかった口を押さえられると同時に、胸と頭部を圧迫され、平行を崩して倒れかかった。――が、体は地面に激突することなく宙を浮いた。バン、という音が耳を打ち、閉鎖された空間に押し込められた感覚が全身を圧迫する。

 閉ざされた視界と、封じられた動き……ユメコは唖然とした。

 音と振動から、車内であることは歴然としていた。

 だが、それ以上の周囲の気配を探る前に、ユメコの意識は視界を閉ざした黒よりなお深い闇底へと、急速に沈んでいった……。




 彼女までの距離は、ほんの数歩だったはずだ。

 先輩刑事の大音声が彼女の耳にもしっかりと届いていただろうことは、その顔色を見ただけでもはっきりと分かった。彼女は、顔を紙のように白くして肩を震わせていたのだから。

 小宮がユメコに近づこうとした、そのとき。

 黒塗りの車が歩道ぎりぎりに停車した。タイヤの軋む音と同時にサイドのドアが開き、複数の人影が飛び出してきた。

「きゃ――」

 悲鳴をあげかけるユメコに黒い布を被せて抱え込み、車内へと引きずり込む。そのすさまじくあざやかな手際と速さに、小宮は出遅れた。

「ま、待て! その手を離せ、警察だ――」

 叫んだ瞬間、黒いスーツを着た背の高い男と目が合った。そいつだけは堂々と顔を晒しており、まるで慌てることのない、奇妙なほどに落ち着き払った冷淡な表情をしていた。

 そいつに掴みかかろうとした一瞬後、バランスを失い、見当識を失ったかのように倒れかかった。慌てて足を前に出し、危うく踏みとどまる。

 顔を上げると、小宮の目の前から車は猛然と走り去るところであった。歩道にユメコの姿はない。

「……え、いったいなにが」

 訳が分からなかった。まるで時間が跳んだかのように。

 ユメコの姿が消えているという事実だけが、はっきりとしていた。周囲に行き合わせた通行人たちも、ぽかんとしている。あまりにも唐突すぎた出来事に、通行人たちもなすすべもなかった。むしろ、何か番組の撮影ではないかとささやき合う声があるほどだ。

「冗談じゃないっすよ……。ユメコさん……」

 事態の重さに呆然と膝をついた小宮の横で、地面に落ちていた携帯電話が鳴っていた。




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