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受験JKと心霊探偵の事件変奏曲  作者: 星乃紅茶
第二楽章 メイドと菓子のコンチェルト
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穏やかな時の、その先

「しかし……すごい事務所ですね」

 それは、案内された室内で小宮が最初に発した言葉だった。

「私立探偵ってのは、こんなに儲かるものなんですか?」

「い、いえっ。そういうわけではない……と思うんですけど」

 自作パソコンの組み立てが開始されたいまも同じ言葉を向けられ、ユメコは口ごもっていた。

 都心のビル群を眺め渡せる巨大なピクチュア・ウィンドウから入る光は、黄昏近い午後の日差しだ。室内は空調が整えられていて快適な温度を保っており、足元は分厚い絨毯が敷かれ、事務机も椅子も重厚ながらすっきりとしたデザインの上質なものだ。

 かつて中身が変わる前の相澤所長が事務所を仕切っていた頃には、必要なもの以外置かれていない殺風景なものであった。空調だって壊れかけていても気づかれなかったくらいなのに。

「ショウはしっかりしているし、インテリアにこだわるから」

 ユメコはどこかのデザイナーによるものだという照明を見上げながらつぶやき、視線を机の上に戻した。

「それにしても……すごいですね、これがパソコンの中身なんですか。あたしにはさっぱりです」

 そこには、さまざまなパーツが袋から出されて並べられていた。うねる色つきコードの束も緑の板も、薄い金属でできた箱状の本体のどこに入るものなのやらユメコにはさっぱり判別がつかない。

 てきぱきと動く小宮の手元を、ユメコは感心したような眼差しで眺めた。賛辞の視線を受け、作業の手を止めた小宮が照れたように頭を掻いて言った。

「ユメコさんもやろうという気さえあれば、きっとすぐ自分で作れるようになりますよ」

「え、い、いえ、あたしなんかさっぱりで」

「その気があれば、僕がお教えしますよ。なんでしたら手取り足取り――」

 ガシャン!

 机の片端から響いた音に、ユメコと小宮のふたりが驚いて目を向けると、茶器を載せたトレーから相澤が手を離したところであった。

「紅茶、ここに置いておくぞ」

 なんだか不機嫌そうな表情にユメコが目をぱちくりさせると、相澤はくるりと背を向けて無言のまま奥のキッチンスペースへ戻っていった。

 そんな相澤の背中を、ユメコは怪訝そうに見送った。

 そのキッチンでは、ナツミがクッキーを焼いていた。オーブンからだろう、クッキーの焼けるおいしそうな匂いが漂ってくる。

「アイシングも教えてくれるんですか! やったぁ!」

 嬉しそうなナツミの声が響いている。

「贈り物なんだろう? 毎日食べるものならばそのままの焼き立てが旨いが、プレゼントにするなら手間をかけたほうが相手に気持ちが伝わるぜ」

 贈り物、と聞いて、パソコンに向かっていた小宮のこめかみがぴくりと動いた。

「な……いったい誰にやるっていうんだ。バイト先か? ――おいナツミ、まさかクッキーに『萌え』とか書くんじないだろうな?」

「うっさい、黙れお兄ちゃん!」

 容赦のないナツミの声が飛んでくる。続いて発せられた「関係ないでしょ!」というとどめの言葉に、彼女の兄はがっくりとうなだれてしまった。

「ったく。どこのどいつだよ……ナツミのやつ……」

「相手のかたを、刑事さんはご存じないんですか?」

「兄に教えてくれるわけないですよ。だいたい、そんな相手がいることすら……知りませんでしたよ」

 しょげ返る小宮に、話題を振ったユメコは何だか申し訳ないような気分になってしまう。

「そ、そうなんですか。あたしには兄がいませんからわかりませんけど、あ、えっと、兄妹だと照れてしまうこともあるのかもしれません。だから気を落とさないでください、ね?」

「……そういうものなんですかね。あぁ、やっぱりユメコさんはいいなぁ、優しいなぁ。もしユメコさんが妹か彼女だったら――」

 ガラガラガッシャン!

「わっ、ど、どうしたんですか?」

 にぎやかな音ともに、狼狽したようなナツミの声が聞こえた。ユメコは思わずキッチンに目を向けた。

「何でもない、手が滑っただけだ。――そら、ここに色粉を溶いて乾燥卵白を混ぜるんだ。それをコルネに入れて搾り出すんだ。冷めたクッキーの上に……丁寧に、手首を安定させて」

「え、こ、こう? むっずかしいなぁ……」

「落ち着いてやれば、大丈夫だ」

 何だか不自然なほどに会話の多いキッチンの遣り取りを聞いていると、ユメコはどきどきと鼓動が落ち着かなくなってくるのであった。

「へ、へんな気持ち。これってヤキモチ……なのかな」

 ――さっきのショウの気持ちも、いまのあたしと同じだったのかな。そんな考えが脳裏に浮かんだ。





 パソコンが組み上がり、クッキーも無事にラッピングされた頃には、窓の外の空は遅い夕暮れを迎えていた。

 事務所のほうに停めてあった自家用車でふたりを送り、相澤は事務所に待たせていたユメコを迎えに行った。

「ユメコも今日は疲れているだろう。夕食は外で済ませて帰るか――」

 そうつぶやきながら扉を開け、相澤は一瞬言葉を失った。

「ユメコ……それは?」

「えっとその……あの、変かなぁ……。ナツミちゃんがね、貸してくださったの。お礼だって言ってた」

 照れたように裾をつまみながら、メイド服姿のユメコが照れつつも無邪気な笑顔で言った。丈の短い黒のワンピースに、ふわふわと揺れるフリルが映える白のエプロン。細く小柄なユメコには、高校生のナツミのサイズがぴったりだった。

「あ、ご、ごめんなさい。びっくりしちゃった……? これ着たら彼氏はゼッタイ喜んでくれるからってナツミちゃんから教えてもらって……」

 ユメコの声が小さくなる。他ならぬ相澤が黙ったまま突っ立っているので不安になったのだろう、と相澤本人がようやく気づいた。

 ニヤリ、といつもの笑みを口の端に浮かべてみせる。

 目を離さぬまま後ろ手に扉を閉め、上から下までじっくりと眺めるように視線を往復させながらユメコに歩み寄った。

「似合うぜ、ユメコ。ただ似合いすぎていて、危ないくらいだぞ」

「どういう意味です?」

「あまりそんな可愛い格好を見せつけられると、こちらとしても我慢ができなくなる、という意味さ」

 相澤が口の端を上げ、容赦のない視線のままユメコのちいさな顔を見つめる。

 ユメコはきょとんとした表情のまま相澤を見上げた。すこし間があってその頬が真っ赤になり、ユメコはぱくぱくと口を開けながらようやく声を出した。

「あ、いえ! べべべ別にそんな意味になるなんてあたし考えてないですっ」

「何だ、そうなのか。……残念だ」

 そう言った途端、ユメコが何とも複雑な、困ったような顔になる。その素直な表情を見て、相澤は思わず微笑んだ。

「これから家に帰るわけだが、途中で夕食に寄っていこうと思っている――ユメコはその格好のまま行くか?」

「あ、まさか! 待ってくださいっ。いますぐ着替えますから……」

 慌てて回れ右をして奥に戻りかけるユメコを背中から抱きしめ、相澤はちいさな耳のそばに唇を寄せた。

「すこし遅くなっても構わないなら――」

 囁きながら自分のほうへ振り向かせると、愛する少女に覆いかぶさるようにして唇を重ねた。





 とある休日の午後、ふたりは大学の附属病院に入院しているままの雅紀を見舞いに行った。

 けれどタイミングが悪く、相手は散歩中とのことだった。

 誰もいない病室のテーブルに持ってきた花を飾り、相澤とユメコはそのまま病院を出た。

 晴れた空はすがすがしく、心地よい風が吹き渡っている。大学のキャンパスから続く敷地には緑が多い。さわさわと大樹の葉が鳴る音が聞こえていた。

「外に出られるくらいには回復しているということですよね」

「さぁね。いなくてせいせいしたけどな」

「もう。ショウったらそんなことを」

「……親父がどう思っていようと、俺は今も兄だとは思っていない」

 厳しい表情で相澤は歩みを止め、ユメコを振り返った。

「許せると思うか。あいつはおまえを――」

 鋭く言いかけた相澤だったが、すぐに言葉を切った。無意識に逸らせた視線の先に、車椅子に乗った男の姿があったのだ。

 傍には看護師の他に、高校生ほどの少女が立っていた。車椅子に乗っているほうも少女のほうも見間違いようがなかった。

「ショウ、あれ……」

「ああ。小宮ナツミだ。では、手作りの菓子を渡したい相手というのは……」

「雅紀さん、だったんですね……」

 ユメコが相澤を見上げた。そしてナツミと雅紀のふたりに視線を戻す。

 雅紀はいつもと変わらぬ子どものような表情で、ナツミのほうは照れたような笑顔を浮かべていた。ふたりはまるで親しい間柄のように打ち解けた様子で話し込んでいるのだった。雅紀の膝の上には、覚えのある可愛らしいラッピング袋が置かれている。中身はアイシングクッキーだろう。

「驚きだな……まさかこんな繋がりがあったとは」

 そう言った相澤は、ふいに息を呑んだ。

「――ユメコ、そのまま普通に歩くんだ。ここを出よう」

「どうしたんです?」

 相澤は素っ気なさを装い、不安そうな面持ちのユメコに小声で答えた。

「監視されている」

 ユメコは息を呑み、それ以上尋ねなかった。表情を緩めて自然な様子に取り繕い、相澤とふたり、急ぐこともなくゆっくりとした歩調でその場から離れる。

 駐車してあった車まで戻り、バタンとドアを閉めてから、ユメコはようやく口を開いた。

「でも……どうして?」

「病院内では気配を感じなかった。おそらく、病院の外にいたんだろう」

「あたしたちと雅紀さん――どちらを見張っていたのでしょう」

「状況から判断して、雅紀のほうだ」

 不安をやわらげてやろうと相澤が握ったユメコのちいさな手は、緊張のためかすっかり冷たくなっていた。

 包み込むようにしっかりと握ってから手をハンドルに戻し、相澤は車のエンジンをスタートさせた。

「俺たちのことを見張っていたとは思えないが、見咎められた可能性はある。尾行までされるとは思えないが、帰りは用心しておこう。少し遠回りをするぞ」

「はい。でもショウ、見張っていたという相手は誰なの……ショウには分かった?」

「あいつさ」

 相澤は車を駐車場の出口まで進めた。左折のためハンドルを切り返すときに、ユメコと視線を合わせて言った。

「ヘリポートで遭った、マモルとかいうやつだ」

「あの人が……。でも、どうして雅紀さんを」

 相澤はそれ以上ユメコの問いに答えず、厳しい面持ちでアクセルを踏み込んだ。




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