夜の街で
容赦のない力で髪を引かれ、首がのけぞる。動きの止まったユメコの腕を、他のふたりが押さえつけた。
前方に回り込んだもうひとりは、ユメコの顎を掴んでグイと持ち上げた。
「可愛いねぇ、お嬢ちゃん……俺たちと一緒に遊んでくれないかな」
「はなして!」
覗き込まれた顔を背け、ユメコは大声を出した。
「いいねぇ。慰めてもらおうかねぇ」
男たちは下卑た笑い声をあげた。
「いやァッ」
ユメコが悲鳴をあげると同時に鈍い音がして、目の前にいた男が吹っ飛んだ。
目を見開いたユメコの前に立っていたのは、相澤だった。
「そいつは俺様の女だ。きたねェ手を放してもらおうか」
美形が凄むと、すさまじい迫力があった。ユメコの腕を捕らえていた男たちから、ヒィッと息を呑む音が聞こえる。
背筋を伸ばした相澤が、堂々と男たちを睨み渡す。
思わず惚れてしまうほどに格好いい登場っぷりだった。
「……って、待ってくださいよ! さりげなく『俺の女』とか言ってましたかっ?」
前言撤回させていただきます――ユメコは思った。が、ドンと背中を突かれて壁に叩きつけられる。
「きゃっ!」
男たちはユメコを押し倒し、隠し持っていたナイフを取り出した。振り返り、現れたばかりの男に向ける。
コンクリートに激突したユメコだったが、地面に倒れたまま顔を上げた。目の前の相澤の立ち回りから目が離せなかった。
ビュン!
横に振られたナイフを、相澤は腰に手を当てたまま微動だにせずに眺めていた。
ナイフはかすりもせずに通り過ぎた。はったりだと見抜いていたようだ。
「弱い奴ほど刃物を振り回したりするもんだ」
揶揄するように言葉を紡ぐ。端正な顔に現れたのは、冷笑。
「なにをぉ!」
ごろつきが憤った。今度は、ダンと大きく踏み込んでナイフを横に薙ぐ。
だが、切り裂いたのはただの空――。
一瞬後、男は腹を蹴り上げられて空中に浮いていた。苦悶に顔を歪め、地面にドサリと落ちる。
「……所長、なんでそんなに強いんですか」
ユメコの目にも、相澤の動きがはっきりと見えなかった。体をひねってナイフをかわしたところから、何が起こったのか……。
「動きを大きく見せて威嚇し、相手に自分の実力以上の認識を与える」
腰に手を当てたまま、相澤は言葉を続けた。
「そんな子供だましは、この俺様には通用しないぜ」
つまり、男ひとりを沈めるのに手は使わず、足のみでやってのけた、ということだ。
「――のヤロウ!」
ナイフを手に真っ直ぐ突っ込んできた男の手を叩き、次いでその顎を蹴り上げる。何かが砕ける鈍い音が聞こえた。
ナイフが地面に落ちる甲高い音が響く。
舌打ちをした残るふたりが、同時に相澤に突っ込んだ。
「ケンカで俺様が負けるかよッ!」
低く言い放ち、相澤が一歩を踏み込む。拳を突き出してひとりの鳩尾にめり込ませ、さらに踏み込んで最後の一歩の距離を詰める。
まだ立っていた男の体が、腹にその蹴りを食らって背後に二メートルは飛んだ。
地面に落下し、男が声もなく気絶する。
ユメコは目を瞬かせた。気がつくと、男たちはひとり残らず地面に倒れ伏していたのだ。
相澤の動きは、流れるように隙のない見事なものだった。自分の目で見ていなかったら、とても信じられなかっただろう。
相澤の圧勝だった。
「大丈夫か、立てるか?」
そう言って、ポカンと放心したままのユメコの前にかがみこみ、手を差し伸べてきた。
「あ、た、助けてくれて、その……ありがとうございます」
「素直に礼を言われると嬉しいな。女は素直が可愛いぜ」
そう言った相澤に、ユメコは半眼になった。
「やっぱり、ひ、ひとりで立てます!」
意固地になって言い、片膝を立てて勢い良く立ち上がった。
……つもりだった。
「イタッ!」
だが、突き飛ばされたときにひねったのか、右足に鈍い痛みが走り、バランスを崩して倒れかかってしまう。
そのユメコの体を、相澤が優しく抱きとめた。
「はっ、放してくださいっ」
驚いて声をあげるユメコの背に、相澤の腕がまわされた。
「それはできないな。……もう無茶はするな、心配した」
耳元で聞こえる声に、ユメコは暴れるのをやめた。何だか、とても心に響く言葉だった。
だが、次の言葉にまた暴れてやろうかと思ってしまう。
「おまえは俺様の大切な女だからな」
ポカッ。
「イテテ……殴るな!」
「それ以上不謹慎な言葉を続けるようでしたら、殴ります!」
「もう殴っているだろう」
至近距離からの拳の連打に顔をしかめながらも、相澤はユメコを放さなかった。
ひょいとユメコの膝裏に腕を差し入れ、横抱きにして立ち上がる。
「さて、行こうか」
「うわっ、歩きますから降ろしてっ」
「足、怪我してんだろ」
「せめて背負ってください」
「嫌だ。俺様はこうしたいんだ」
ふたりの遣り取りは、まるで子どものケンカのようだった。
人通りの多い夜の街を歩いている。通りには、すでに酒で顔を赤くした人々が多く行き交っているのであった。
すれ違うひとたちから囃され、口笛を吹かれたりした。「いいなぁ~」とOL風の女性の集団からも声が聞こえてきた。
「は……し、所長は恥ずかしくないんですか?」
「何がだ?」
本当に意味を図りかねているようで、端正な顔を歪めて相澤は首をひねった。
「こうしていないと逃げてしまうかもしれないし、足に怪我もしているだろう?」
それは正論だった。けれど、抱っこにする理由がわかりませんけれど――つぶやいたユメコが頬を膨らませる。
「それで、きちんと説明はしていただけるんですか?」
「ああ」
相澤は頷いた。
ユメコが次に怒鳴りつけようと思っていた言葉を呑む。真剣な面持ちのまま、相澤は言葉を続けた。
「おまえには話しておく。聞けば後戻りはできなくなると思うが、いいのだな。命の危険もつきまとうかもしれないぞ」
思いもかけない言葉に、ユメコは目を見開いた。
「命の、危険?」
穏やかな話ではない。
「まあ、何が起こっても放り出す気はないから、それは安心しておけ」
相澤は少し笑った。そして、腕の中のユメコの瞳の真っ直ぐに見つめて言葉を続けた。
「おまえは俺が護る、必ず」
この上もなく、真剣な表情だった。その瞳の力に気圧されたように、ユメコは思わずこくんと頷いた。