そんなこんなで
「は、はじめまして。黒川夢子といいます」
「あらあら、まあまあ、このかたが」
そう言って微笑んだのは、逢坂刑事の妻である。品の良い美人で、普段着物を着ています、と言われても違和感のない典型的な日本人女性だ。しかも、美人の。着ている服から、おそらく逢坂刑事の今日のシャツは妻のセンスで選ばれたのだろうと思われる。
「それで、こちらのかたが相澤翔太さんなのね。あらあらあら」
女性がにこやかに言いながらユメコを見つめ、次いで隣の相澤から小宮に視線を向けた。意味ありげな視線にユメコは戸惑い、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「あ~あ、もう、見ていられないなぁ」
片目を手で覆うようにしてナツミがつぶやき、その隣に座っていた兄の小宮が渋面になって小声で言い返す。
「どういう意味だよ、おまえ」
「なんでもないよ~」
逢坂刑事がテーブルに置かれていたグラスの水をがぶりとあおり、相澤に視線を向けた。
「おぅ、相澤、例の件だが……何か掴めたのか?」
「ここでは話せないな」
「仕事の話は、食事のときにするものではないわよ、あなた。あとでいいでしょ?」
「俺はいつでも臨戦態勢だ――イテッ!」
どうやらテーブルの下で何かあったらしい。逢坂刑事が顔をしかめて口を閉ざす。
無関心そうな表情を崩さないまま、だが逢坂刑事の視線を感じたときだけ片眉を上げ、相澤はこの状況を楽しんでいた。ある温泉地で自分が置かれていた状況のように、今度は逢坂刑事のほうが渋面になっているのである。
「まったく、小宮、おまえが勧める場所というのはろくなことがないぞ。この街には捜査以外で初めて来たが、喫茶とあっても普通じゃねえし……エーケービーとか訳が分からんぞ。ありゃいったい何の略だ?」
「このまえ娘さんが踊っていたやつですよ、先輩。そんなだからパパはわかってないとか言われちゃうんですよ」
「やかましい! ――イテッ!」
何とも微妙な雰囲気と不思議な顔ぶれに、ユメコはすっかり緊張している。食事より先にテーブルに届いたジュースをユメコの前に差し出すと、相澤を見上げてホッとしたように笑い、ゆっくりと飲みはじめた。
「おい小宮、そういや、何でおまえらが一緒にいるんだ? 嬢ちゃんはともかく、おまえと相澤っていう組み合わせが気味悪いくらいに不思議なんだが」
まるで今そのことに気づいたと言わんばかりの逢坂刑事の台詞だった。
「あ、僕が自作の部品の買い物を手伝っていたんです」
「小宮刑事さんにパソコンの部品を買うアドバイスをしていただいたんです」
小宮とユメコの声が被る。
「事務所のパソコンか?」
逢坂刑事は、相澤に視線を向けた。
「ああ。寿命だったらしくてな。事件の洗い直しで依頼のあった件、間に合わせるためにも直さないとだろ?」
相澤がニヤリと笑い、逢坂刑事がますます渋面になる。
「それでちょっと待ってくれと言っていたのか。クソッ、おい、小宮っ!!」
「は、はい! 何でしょう、先輩」
「組むところまで手伝え。すぐにでも資料を見てもらわんと困るんだ」
「は、はぁ」
「返事は、はい、だろうが!!」
「は、はい!」
小宮が座ったまま、ぴんと背筋を伸ばした。
「あなた」
逢坂婦人の、とびきりにこやかな声が割って入る。
「ここはお店の中ですよ。それに休暇中は仕事の話は」
「い、いや、分かっている! す、すまん」
素直に謝る逢坂刑事に、相澤がニヤニヤ笑い、小宮がポカンと狐につままれたような表情になっている。
「はぁ、先輩ののどからそんな言葉が出てくるなんて夢にも――」
ギロリと逢坂刑事に無言でにらまれた小宮は慌てて口を閉ざし、反対側に座っている相澤に向き直った。
「あ、あの、そんなわけでパソコンですが、僕がお邪魔してよければ組むところまでやりますから」
「そうか。なら帰りはタクシーで帰ろう。――デートの続きはまた後日で」
相澤は言葉の後半部分を、ユメコに向けて言った。ユメコはテーブルに視線を落としたまま自分の考えに沈んでいたようで、会話を振られたことに気づいていなかった。
「それでいいか? ユメコ」
「あ、はい」
相澤の言葉に、反射的に返事をしている。相澤は腕を伸ばし、ユメコの頭にポンと軽く手を置いた。ユメコの淡色な瞳がかすかに震え、相澤を見上げる。ユメコがためらいがちに口を開きかけたとき、逢坂刑事が言った。
「行きも帰りも一緒か。うらやましい限りだな。はやく籍でも入れたらどうだ?」
一気に顔を赤くしたユメコの隣で、相澤は表情を変えず声だけを硬くして答えた。
「ユメコが卒業するまでは待つつもりだ。何度も同じことを訊くな」
「すでに同居しているなら、似たようなものだろうが」
相澤に意地の悪そうな顔を向ける逢坂刑事の言葉に、小宮の表情が変わる。
「え、え? ――って、ど、同居しているんですか!」
「そうだが、パソコンを組むのは家ではなく事務所のほうだぞ」
「へ? い、いえ、そういう意味ではなく……」
小宮はズンと落ち込んだ様子で肩を落とした。その横で、兄の様子に苦笑しながら妹のナツミが口を開いた。
「ご愁傷さま、お兄ちゃん。やれやれ、これじゃ割り込む隙間もなさそうだね~」
すっかり一行の話題に置いてけぼりのユメコは、ポカンとした表情で同席している面々を見回している。
「まぁさ、ナツミもお兄ちゃんの悩みに付き合ってらんないんだけどね。自分の悩みでせいいっぱいだし」
ナツミが肩をそびやかしながら言った。その深刻そうな様子に、ユメコが心配そうな視線を向ける。
「悩み……ですか? ご相談に乗れることでしたらあたしが」
「あっ、ホントぉ? 誰にも相談できなくて困ってたんだよね。まわりみんな料理オンチばっかりでさぁ。実はね――」
ナツミは言葉を切り、ちょっぴり頬を赤らめ、もじもじした。隣で小宮がぎょっとして妹に目を向ける。悩みを兄に打ち明けられなかったのがショックなのか、妹が悩んでいるという事実にショックを受けたのか――おそらく両方だな、と眺めていた相澤は思った。
「手作りのお菓子とかさ、作りたいんだけど……何度やっても何を作ってもうまくいかなくてさぁ」
「な、何だよおまえ。最近下でガチャガチャやってんのは、菓子作ってたのか? キッチンに入ろうとしたら出てけって怒鳴られるから何かと――」
「うっさい! お兄ちゃんには関係ないッ」
ナツミが兄の横腹にこぶしを埋めた。
思わず横腹を押さえるようにうずくまった小宮は、テーブルに勢いよく頭をぶつけた。ガチャン、という派手な音とともに並べられていたコップや皿までもが宙を舞いかけたが、咄嗟に手を伸ばした相澤がテーブルを押さえて事なきを得た。
相澤は口を開いた。
「菓子のことなら、俺が手伝えるぜ。君の兄さんがパソコンを組んでくれるなら、その間に作ればいい。事務所にはキッチンもあるから、自宅に寄って製菓材料や型があれば持っていくか」
「ほ、本当ですかぁっ!?」
ナツミの表情が輝く。
「じゃあ、お願いしますっ!」
コンチェルトとは協奏曲(concerto)のことです。第一楽章:急、第二楽章:緩、第三楽章:急という感じで構成しているイメージで、ここでも第二楽章はのんびりゆる~い感じで綴っています。鬼気迫る展開は、第三楽章にて。




