久しぶりの休日に
「わぁ――綺麗な街ですね。それに何だか可愛らしい絵がたくさん」
改札から出たユメコは、周囲をぐるりと見渡して嬉しそうにそう言った。
「そういえば、この駅では一緒に降りたことがなかったな」
相澤はユメコの笑顔から目を離さないままつぶやき、少女と並んで歩きはじめた。小柄な少女に比べてかなり背が高いので、彼はゆっくりと歩みを進めている。
すぐ傍にいる少女に視線を向ければ、まだ強さを残しつつも秋めいてきた日差しの下で、結わずとも真っ直ぐに背に流れる彼女の髪がつやつやと輝いていた。
周囲を見回しながらせわしなく動くせいで、着ている桜色のワンピースの裾は空気をはらんで膨らんでいる。縫い取られている繊細なレースまでもが愉しげに揺れていた。伸びやかで健康そうな脚が、背の高い彼の位置であっても視界に飛び込んでくる。
「――すっかり元気になったようだな」
口の中でつぶやくようにして、相澤は微笑んだ。
「あたしも、通りすぎるだけで降りたことがなかったです。うわっ、見てください。なんだか部品みたいなものまでいっぱい売っていて、すごいですね! こんなのどうやって使うんでしょう!」
ユメコはいろいろなものに目を奪われながらも、決して相澤の傍を離れない。気がつけば、おそらくユメコ自身も無意識のままに、こちらの服の端を掴んでいるのだった。毎日足を運んではいたが、やはり入院中は心細く思っていたのかもしれない。
「――だが、命があって本当に良かった」
相澤は、ユメコが目の前で撃たれたときの光景を思い出し、眉を寄せ唇を噛みしめた。
黒スーツに身を固めた男の撃った弾丸が、ユメコの心臓の位置に弾けたとき、こちらの心臓まで止まるかと思うほどの衝撃を味わったのだ……肋骨を折るという重傷を負いはしたが、生きていてくれた、ただそれだけで相澤は嬉しかった。
「……なんですよ、ショウ」
そのとき笑いながら何かを言ったユメコが相澤を見上げようとしたので、視線が交わるまでに間に合うよう、相澤は瞬時に何食わぬ表情に戻した。そうして一緒に周囲を見回し、背後の駅の建物と繋がるショッピングビルを見上げた。
この駅は複数路線が交わるオーバークロス構造であり、街へと出る改札まで迷うことのない経路になっている。駅周辺はリニューアルされ、ユメコの感想通りの綺麗でおしゃれな街に変貌を遂げていた。
とはいえ、駅から出てすぐに電器店が立ち並び、そこかしこに様々なイラストがでかでかと提示されている光景は世界的にも珍しいだろう。相澤自身も久しぶりにこの駅を訪れたが、その変わりようには驚かされた。
「ね、可愛らしい小物がたくさん並んでいましたよね。最近、あちこちの駅に隣接してできているのをよく見かけます」
彼女が語っていたのは、ガラス越しに見える可愛らしいディスプレイと、そのショッピングビルの話題だったらしい。
「すっかり夏も終わりって感じですね。服なんかも――きゃっ!」
ユメコがちいさく悲鳴をあげて転びかけた。
「おっと、大丈夫か? 今日は休日だ。ひとも多いから気をつけろよ」
バランスを崩してよろけたユメコの肩を支え、自分の胸に押しつけるようにして小さな体を支えた。通りすぎる学生たちとぶつかる寸前だったのだ。
「――あ、ご、ごめんなさい」
相澤に抱きしめられるような格好になり、ユメコが上擦った声で謝った。その頬が赤く染まっているのを見て、相澤は嬉しそうに笑った。
「毎日俺の近くで過ごしていても、こんなふうに照れるのか。ユメコは可愛いな」
誉めたつもりだったのだが、その言葉にユメコはますます顔を赤くして唇をすこし突き出した。相澤の口調を真似るようにして彼女が言った。
「毎日あたしと一緒に過ごしているのに、ショウのいじわるは変わりませんね」
「これは手厳しいな」
腕の中から抜け出そうとして身じろぎをするユメコの顔を容赦なく覗きこみ、その表情を愉しむようにして相澤が言った。少女の大きな瞳は澄んでいて、彼自身の瞳を映していた。甘くやわらかな香りが鼻腔をくすぐる。
ふっくらと瑞々しいその唇に思わず視線を惹きつけられてしまう。相澤は微笑み、頬にあてがっていた手を彼女の背中に移動させ、やわらかでクセのない髪をそっと撫でた。
淡色な髪と瞳。その色彩は、隔世遺伝による力が発現している証なのだ。そう考えた刹那、相澤の目に穏やかではない光が灯る。詳細な情報が全て相澤のもとに揃っているわけではないが、知り得た事実だけでもユメコ自身にも話すべきだろう。だが、どう話すべきか――。
頬を膨らませたユメコは上目遣いになって相澤を睨んでいた。けれど、すぐに逸らして周囲の人ごみに向けてしまう。
「さぁ、ショウ。早く目的のものを選びに行きましょう」
照れ隠しの言葉であることが容易にわかるので、相澤はからかってやろうと口を開いた。しかし、ここで時間ばかりくっても仕方がないと思い直し、かがめていた上体を起こして背筋を伸ばす。
「まあ、そうだな。だが来てみたはいいが……さっぱりわからないんだ。大型の家電販売店に入るならここでなくても良いのだろうが」
ユメコが視線を相澤に戻して、不思議そうな表情で首を傾ける。
「ショウ、そもそも、どうしてここに来たんです?」
ユメコがもっともな疑問を口にした。彼女は買い物の詳細を知らない。
表向きには、買い物があるからということでユメコを誘い、こうして出掛けてきたのだ。
だが本音をいえば、単にユメコと一緒に久しぶりの外出を楽しみたかったのである。わざわざ車ではなく電車で来たのも、それが理由だ。とはいえ、とりあえず探そうとしている品はあるのだから、説明しておこうか――そう考えた相澤は口を開いた。
「パーツを買いに、かな。翔太が自作パソコンに詳しくて、組むならここだと言っていたから」
「もしかして、所長が事務所のパソコンを作ったんですか?」
「ああ。事務所のパソコンは2台ともあいつの自作だったな。あいつができるから、俺はほとんど興味がなくてな。というより、覚える必要がなかったというか」
「事務所のパソコン、とうとう壊れちゃいましたもんね」
視線を合わせ、ふたりは同時にため息をついた。
「このままじゃ仕事にも差し支えそうだからな。この際新しくしちまおう。だが自作にするべきかどうかは悩むところだ。あいつの知識は頭に入っているんだが、なんせ情報が古いままだからな。最新のものはさっぱりだし」
「そうなんですか」
ユメコは「うーん」と唸るような声を出して考え込んだ。
所長――相澤翔太の身体に翔平が入り込んだとき、記憶と知識も引き継いだのだが、今この状況を打開する役に立つものではないということだ。
「まあ、なせば成るだろ。とりあえず中央通りの向こうへ渡ってみようぜ」
気楽な調子で相澤が言い、ふたりは再び歩き出したのであった。




