約束
「機体は民間用のA109だった。そこから何か掴めるか……」
相澤が壁にもたれたままつぶやいた。
ユメコはいま治療中だ。危険に晒していたことに気づかなかった――ユメコのことを想い、相澤は唇を噛んだ。
「何故、ユメコは撃たれたんだ」
そのことばかりが頭を回る。
「それもだが、ありゃいったい何者なんだ?」
逢坂刑事が発した問いには、相澤も答えることはできなかった。
病院内の待合廊下の奥、逢坂刑事と相澤のふたりの他には、誰も居ない。
ユメコのポケットにあった採血針や、地下の霊安室に残されていた血痕は、すでに警察の管轄となっている。新米の小宮刑事が、逢坂刑事にどやされながら鑑識に取り次いでいた。
「長谷川はこの病院……いや、医療現場にはもう居られないだろうな。今回の証拠でどうなるかはわからんが、銃刀法違反でしょっぴけるし、あの様子なら自分のしたことも簡単に告白しそうだ」
「自分の罪を認め、少しでも申し訳ないと思う気持ちがあるのなら、犠牲になった女性に詫びを入れるべきだな」
相澤は目を伏せた。
「死人に口なしとおもっている輩は多いだろうが、そうではないのだから」
それにしても……。相澤は脳裏に焼きついている、ふたりの男の姿を詳細に思い返していた。
ふたりの髪と瞳の色は、ユメコのそれとそっくりだった。ユメコの父と母、両親ともに黒髪と黒い瞳だ。そのあたりに、何か理由が隠されているのか……?
だが、ユメコは実の娘であるはずだ。
「申し訳ないが、ユメコの安全の為にも、家のことや周辺事情を調べさせてもらうしかないな」
相澤のつぶやきに、逢坂刑事が片方の眉を上げた。
「嬢ちゃんに何か関係があるとでも?」
「わからない……わからないが、この事態はあまりにも異常すぎる。それに、俺のほうにも何かあるのかもしれない」
父、相澤一志にも、何とか連絡を入れて話を聞こう。
「俺にも知らない事情が……な」
「ショウ。それに刑事さん……」
ユメコは病室のベッドの上に寝かされたまま、首だけを動かして三人の姿を見つめた。
時刻はすでに遅く、夏の太陽が窓の外に沈みかけていた。
「ごめんなさいショウ、言うこと聞かなくて。ショウのあとを追いかけたら、あのひとがいて――。ショウの携帯端末を拾ったんだけど、ごめんなさい、壊してしまったのよね……」
申し訳なさそうに目を閉じるユメコの頬に手を添え、相澤が優しい微笑みを浮かべて言った。
「ごめんなさいばかりだな、ユメコは。――逆に俺のほうが謝りたいのに。危険な目に合わせて、助けが遅れて……すまなかった」
ユメコはゆっくりと目を開いた。その瞳にある強い輝きに、相澤が気づいた。
「何だ? 言うべきか迷うくらいならば、何でも俺に伝えてくれ」
「うん……でも」
ユメコの視線が、相澤の背後に向けられた。
逢坂刑事が両手を挙げて頷き、隣にぼけっと突っ立っていた小宮刑事を押すようにして、ふたりは廊下に出ていった。その背中に、ユメコが感謝の眼差しを向ける。
病室のドアが閉められると、ユメコが口を開いた。
「――あのふたりの名前、『マモル』と『シンジ』だと言っていたわ」
相澤も知らない名前だった。ユメコは相澤の目を見つめて言葉を続けた。
「先輩の血は、その『シンジ』って名乗っていた車椅子のひとに使われたって。相手はあたしを知っていたようだったけど、あたしは全然知らないわ」
古川恵美のことを想ったのだろう。ユメコの双眸が涙で揺れていた。こぼれた一筋を、相澤の長い指がすくい上げる。
「ショウ――何だかわからないけど、あたし怖い。自分が知らない事実がある気がして、怖いの。あたしには力なんてないのに……」
「……そんなことも言われたのか」
相澤の声に、再び目を閉じていたユメコは頷いた。撃たれた胸が痛んだのだろう、少し眉を寄せて苦しげな表情になる。
「ゆっくり、休むんだ。おまえが心配することは何もない。俺が調べておく。いま手続きを取っているが、すぐにここではなく親父の病院に移動するから。安心してゆっくり回復できるように」
相澤の言葉にユメコは静かな笑顔を向けた。そして疲れたのか、そのまま、すぅっと眠りについた。
「……ユメコの、力、とは……?」
相澤はつぶやくように自問した。
この一年を一緒に過ごしてきて、全くそんな特別な力は感じなかった。霊を見ることに長けているわけでもなく、危機に瀕した時にもユメコから力の発動があったように思えない。
涙の跡を残す寝顔を見つめ、長いこと相澤はその場を動かなかった。
廊下では――。
「何だか、とてつもない予感がするな。長谷川の背後にいた黒幕までは、簡単に到達できそうにない気がするぜ……」
そう語る逢坂刑事だったが、隣にいる小宮刑事の耳にはあまり入っていないようだった。
「可愛い女の子でしたね、逢坂刑事。大きな瞳で、妹キャラって感じの見た目でしたね。それにきれいな髪でした」
その嬉しそうな言葉に、逢坂刑事がさも不快そうに顔を歪め、呑気な年下の笑顔を睨みつけた。
「ばっかヤロウ!」
怒鳴ってから、ここが病院内、しかも病室の前の廊下だと思い出して口を閉じる。逢坂刑事は忌々しそうに舌打ちした。
「戻ったらヘリの持ち主を探せ。そして、バーディーバーの血液型を持つ人物を全て調べ上げろ。ヘリを動かせるほどの財力やコネ、もしくは権力のある相手を探しだすんだ」
苛々とした先輩刑事の様子に、新米刑事が思わず直立不動の姿勢になった。「はい!」という声に敬礼が添えられる。
逢坂刑事はまた怒鳴ろうとして――口を引き結んだ。
「全く……こっちの血管が切れそうだぜ」
語気鋭く吐き捨て、逢坂刑事は背中を向けた。
歩き出す先輩刑事のあとを追いかけるようにして、小宮は駆け出した。
「あとでお見舞いに来よう」
そっと病室を振り返った小宮がつぶやいた。
「その前に、やることやってから言いやがれ」
聞きとがめた逢坂刑事が拳を握りしめたのを見て、小宮が慌てて急ぎ足になったのだった。
すっかり外は暗くなり、ふと足元にいる気配のようなものに気づいた相澤は、視線を下に向けた。
そこには、うさぎの形をした影がぼんやりと見えていた。
相澤は長身をかがめて片膝をつくと、そっと影に手を伸ばした。
触れた瞬間影は伸び上がり、ユメコより少し背が高い女性の姿になった。もちろん、生身ではない。輪郭はかなりはっきりしているが、その向こうの病室の光景が透けて見えている。
「ありがとう、おかげで助かった」
相澤の言葉に、女性はやわらかな微笑みを浮かべて応えた。視線を外し、ユメコの寝顔を見つめる。そっと手を動かして、ユメコの額をそっと撫でる仕草をした。唇が動くが、そこに音はない。
だが、ユメコには伝わったのだろう。眠り続けたままだったが、その口元が静かに微笑みの形になった。心から安堵したような。
「――真の黒幕が分かったら、必ず墓前に報告に行く。約束する」
今の相澤が言える精一杯の言葉だった。
女性は首をゆっくり縦に振り、溶けるように宙に消えたのだった。




