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受験JKと心霊探偵の事件変奏曲  作者: 星乃紅茶
新曲2 第一楽章 うさぎと時計のコンチェルト
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謎めいた邂逅

 ユメコは焦っていた。

 非常階段から扉を開き、外に出るとそこは屋上だった。

 出てすぐ左の壁にあったエレベーターのボタンを押したが、下の階からじりじりと上がってくるのを待っていられるかどうか……。

 怯えた瞳で、自分が出てきたばかりの非常口を見つめる。

「どうしよう、はやく、はやく……」

 無情にも、エレベーターの階数表示は「4」で止まったまま、動く気配がなくなった。そこは確か『手術室』のある階だ。医療関係者用のこのエレベーターだから、仕方がないけれど――。

 ガチャッ。

 ――ノブが回った。

 ユメコは悲鳴を上げかけた口を押さえ、屋上のエレベーターホールの床を蹴って走り出した。

 床の色は鮮やかな緑色だ。先に進むと、広い平らな床になっていた。色は赤、そして中央には白い十字と『H』の文字――そこは屋上へリポートだった。

 焼けるような夏の日差しが照りつけるアルミデッキを駆け抜けたユメコは、エプロンと呼ばれる1.5メートル幅のスペースに降りた。周囲をぐるりと囲う金網から下を見て、失望のため息をついた。

「行き止まり……」

 下に床はあったが、普通に飛び降りられる高さではなかった。いま手をかけている金網フェンスも乗り越えなければならない。

 追跡者が気になって背後を振り返ったユメコは、そこに信じられないものを見た。

 そこには――車椅子がひとつ、あった。

「やあ、はじめまして」

 車椅子には男の子が座っていた。やわらかな笑顔をユメコに向けている。

「え……あなたは、誰?」

 てっきり、あの黒ずくめの男が追いかけていると思っていたユメコは、別の意味で驚いた。こんな場所に――車椅子?

 傍に付き添いらしき人の姿はない。ひとりでここまで来たと言うのだろうか。

「君に会いに来たんだ」

 ユメコは胸に手を当てた。どくん、どくんと先ほどから心臓がうるさく鳴り続けている。

 ――何か、何だろう。すごく嫌な感じがする。

 無害そのものの、ひとなつっこい笑顔だ。自分より3つか4つは年下に見える男の子。髪の色は明るい栗色だった。

 顔は、特にハーフということもなく、整ってはいるが日本人のものだ。

 ――あたしと同じで、髪の色にコンプレックスとか感じているのかな。

 ユメコは思わず、関係ないことを思い浮かべてしまう。それほどに緊張感を失わせるのんびりとした笑顔であった。

 けれど、嫌な予感は消えなかった。……それどころか、どんどん膨らんでいく。

 ザッ。

「あ……」

 車椅子の男の子の傍に、あの黒ずくめの男が進み出た。

 ――やっぱりいたんだ。

 背後は、自分の背丈より高い金網だ。ユメコはじりじりと横に移動し、ヘリポートの中央付近に立つふたりを回り込もうと動いた。

「マモル、手を出すなよ」

 男の子が傍らの黒ずくめの男に告げたのが、ユメコの耳に入った。有無をいわせない、静かな口調だった。

 そして、おもむろにユメコに視線を固定して言った。

「手荒なまねはしたくないんだ。君だって痛い思いはしたくないだろう?」

 髪と同じ、淡色の瞳が光る。

「あなたは僕たちと一緒に来てもらう」

 来てもらいたい、ではない。来い、でもない。事実を淡々と語るような口調だった。

 黒ずくめが、スーツの下に手を入れた。黒く光る銃が現れ、その先端にまるく空いた暗いちいさな闇は、ユメコにぴたりと向けられた。

「……な」

 ユメコの中の心臓が、どきどきと激しく高鳴り、耳に痛いほど響いた。頭上から照りつける日差しの中にいるというのに、冷たい汗を背中がつたう。あまりの緊張に、頭のなかがしびれたように霞んだ。

「あたしなんかに何の用があるっていうの? あなたたたちは一体誰!?」

 必死に声を張りあげたが、かすれたような声にしかならなかった。

 だが、車椅子の男の子には、きちんと聞こえたようだ。にっこりと微笑んで、ユメコの問いに答えた。

「僕はシンジ。黒川ユメコ、君の力は僕を殺す力でもあり――僕を救う力でもある」

 男の子は、くるり、くるりと片方の車輪を手で回しながら語った。その場で車椅子の向きを変えている。ユメコがヘリポートの外縁を回り込むように移動し続けていたからだ。

「――逃げられないよ、ユメコさん」

 男の子の笑いを含んだような声と、同時にもうひとつ低い声が響いた。

「それ以上動けば、撃つ」

 銃を持つ男の言葉に、さすがにユメコの足が止まる。地下で感じたような、肌を刺すような殺気が、脅しではないことをユメコに伝えた。

「あたしは、力、なんて知らないわ。さっきから何を言われているかわからない」

 ヘリポートから病院の屋上出口までを繋ぐスロープまで、もう少しの位置で立ち尽くしたユメコは、震える声で言いながら視線を走らせた。

 ――もうすぐなのに、出口までは。でも、背後から撃たれでもしたら……。

 ふと頭に浮かんだ疑問に、ユメコはふたりに向き直った。

「――あなた、地下にいたよね。……恵美めぐみ先輩のことを何か知っているの? ショウがあなたのことを、長谷川医師が呼んだのだと言っていた気がする。やっぱり証拠を消しに来たんでしょう!」

 地下で見た先輩の姿が脳裏に浮かび、ユメコの恐怖心が薄らいだ。替わりに心を満たしていたのは――怒りだった。

「……ショウ?」

 その名前を聞き、男の子は眉をひそめた。しかし、すぐににっこり笑って、言った。

「あぁ、相澤家の生き残りだね。もうすぐ永遠に消し去る予定だよ――相澤の血は」

 人畜無害な顔をして、車椅子の男の子はさらりと言ってのけた。

「恵美っていうのは、この中に流れる血を提供してくれた子のことだね。僕はとっても感謝しているよ」

 「この」と言うときに、男の子は自分の胸に手を当てた。その意味を理解して、ユメコの顔が蒼白になった。

「じゃあ……先輩を殺したのは……」

 囁くような声のあと、ユメコは、かっとなって叫んだ。

「人殺し!! あなたが先輩を!」

 陽光が僅かに弱まった。刹那、空気が張りつめたような静寂に変わる。車椅子に座る者が大きく目を見開いた。

 バン!!

 重く鋭い音がした。銃声ではない。スロープの途中から、ヘリポートの支柱を支える下層の階の扉が、開け放たれた音だった。

「ユメコ!」

 なつかしい声がする。もうずっと時が経ってしまったかのように、待ちわびていた声だとユメコには感じられた。下とスロープを繋ぐ非常階段を駆け上がってくる足音――。ユメコはそちらに視線を向けた。

「ぐッ……」

 車椅子の上で、男の子が自分の胸を掴んで悶え苦しんでいた。

「さすが……やはり君の力は僕を葬ることができるんだ」

 嬉しそうに、楽しそうに、うっとりと男の子が囁いていた。

 その言葉を聞き、黒ずくめの男が、ギジリ、と奥歯を噛み締めた。腕を真っ直ぐに伸ばし、指に力を込める。

「マモル、やめろ!!」

 一瞬、男の子の形相が変わった。

 非常階段から姿をみせた相澤の目の前で……ユメコの体が衝撃に揺れた。

 一歩を踏み出そうとしていた細い体が、日差しの照りつける赤いシートの床上に倒れていく。素早く駆け寄った相澤は、ユメコの体を抱きとめたが――。

 ぐったりと弛緩したユメコは、意識を失った。

 ピシッ。

 続く銃弾に床が弾けた。相澤がユメコを抱き上げ、後方に下がった。車椅子と黒ずくめの男に、まっすぐに向き直る。

「……おまえら!!」

 炎が噴出しそうな、怒りをたたえた瞳で、相澤はふたりを睨みつけた。

 腕の中でユメコが動いた。苦しそうな声で呻いている――生きているのだ。

 再び撃ってくる男に舌打ちして、相澤は非常階段に駆け寄り、その手すりを乗り越えた。足をバネにして衝撃を消し、床に降り立った相澤はヘリポートの真下に駆け込み、ユメコを床に下ろした。

 急ぎ、ワンピースの胸のボタンを外す。血は流れていない。

 すぐにその理由がわかった。

 ――心臓の位置に、銃弾を受けた携帯端末スマホの残骸があったのだ。

「これが救ってくれたのか」

 だが……。

 ホッとした相澤の表情が、すぐに引き締められる。

「――肋骨が折れている」

 幸い、ここは病院だ。相澤はすぐにユメコを抱え上げたが……。

 ビシッ!

 上から狙われているようだ。うかつに支柱の下から出られない。

 相澤が駆け上がってきた病院の階段へ続く出入り口までは、3メートルは離れている。扉を開けている間に狙い撃ちになってしまうだろう。

 バン!

 その扉が開いた。そこから首をのぞかせたのは、逢坂おうさか刑事だった。

「おい、おまえ、何してやがる?」

 ぐったりしたユメコを抱えている相澤の表情に気付き、逢坂刑事は視線を上に向けた。見上げる目に太陽の光が差すが、その前に立つ黒い影に、逢坂刑事は気付いた。

「そこの! 動くな!!」

 刑事の鋭い声に、黒い影が引っ込んだ。続いて、轟音が屋上を満たした。

 空を引き裂くような連続音だ。

「ヘリか!」

 逢坂刑事が慎重に身を隠しながら非常階段を登る。銃を向けられるのを警戒しているのだろう。

 だが、彼が上層のヘリポートに着いたときには、すでに機体はふわりと床を離れるところだった。ヘリポートに残る人影はない。

「民間機か――」

 相澤はユメコを抱えて支柱の影から出て、その機体を見つめていた。だが、すぐに身を翻した。

「俺はユメコを連れて行く!」

 逢坂刑事に一声かけて、相澤は屋上から病院内へ駆け込んだ。





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