対峙、そして
「あなたは声が大きすぎる」
長谷川は相澤に向かって何かを押さえるような手振りをしながら言った。
「二年前、あんたは医者としてあるまじき行為を――罪を犯した」
真っ直ぐに立ち、長谷川を見つめながら単刀直入に相澤は言った。よく通る声は、少しも落とされていない。
予想通り、見た目にも滑稽なほどに長谷川は動揺した。目が泳ぐように周囲を見回し、待合に通じている通路や階段を視線が行き来する。
バインダーを片手に急ぎ足で通りがかった看護師に怯えたような目を向けたので、相手が驚いて長谷川に不審な目を向け、急ぎ足で去っていった。
そんな長谷川に、相澤は容赦なく言葉を続けた。
「事故で運び込まれた女性の血液を無理に採血機を繋いで抜き取り、結果的に血が足りなくなった女性はショック症状を起こし……そのまま亡くなった」
「く……」
「生きている彼女を霊安室に移動させたのは、その行為を隠すためだ。いまも彼女はそこに縛り付けられて苦しんでいるんだぞ」
「――何を証拠にそんな事実をでっちあげるんだね!」
突然、長谷川の口調が変わった。開き直ったように、腕を振り回して叫ぶように言葉を叩きつける。
「相澤コンツェルンの息子に何の関係があるというんだ!」
「そっちの肩書きは一切関係ない、俺は探偵として動いている。病院での立場を気にしているのか? それなら……」
冷静に言葉を返した相澤は、意地が悪そうにニヤリと口の端を引き上げた。目は笑っていない。
「長谷川のセンセイ、あんたの声のほうがよっぽど響いている気がするが」
長谷川は飛び上がるように反応して、自分の口を閉じた。
「証拠はあるさ。だが、今俺が知りたいのはそんなことではない。そっちは警察に任せるのが筋ってもんだ」
相澤は長谷川に一歩踏み出した。剣呑な光を宿した瞳を長谷川に向け、低い声で問う。
「古川恵美はバーディーバーだ。しかもB、大変に珍しい血液型――事故を起こした女性を犠牲にしてまでその血液を欲しがった奴は、何処の誰だ?」
長谷川は一歩下がった。その背後には自動販売機と椅子がある。階段や通路は、相澤の後ろにあった。
「何処の誰か、だって!? そんなこと知ってどうするというんだ。私もあんたも殺されて終わりだ!」
「本当にそんな黒幕が存在しているというんだな」
「君がそれを知ってどうするというんだ」
「黒幕もろとも裁きを受けてもらう」
相澤の言葉に弾かれたように、長谷川はさらに一歩下がった。震える手で、白衣の下から何かを取り出した。
「そんなものまで……」
それは拳銃だった。小型だが、長谷川の構える腕が震え、下がり気味になっている重量感からみても本物だろう。
「そんなものがホイホイ手に入るなんて、何処の組織だ」
問う口調ではなく、怒りを通り越して心底あきれた様子で相澤は息を吐いた。そして、ギリ、と奥歯を噛み締める。
権力を振りかざし、弱者から命まで搾取する。自分が手を汚すこともなく、自分は安全なところにいるままで。
だが、これでわかった。目の前の相手は、黒幕が誰なのか全く知らされていないに違いない。
「それで俺を撃つように、か。あんた捨て駒にされてるってことだぞ。全ての罪をあんたに押し付けて終わりさ」
警察に捕まれば知っていることを喋られるに決まっている。そんな相手に正体を明かすようなことは余程の莫迦でない限り、あり得ない。
「どうせ私はもう終わりだ。どこか別の場所で、別人になってやり直すんだ……」
カタカタと震え、狂気のように目を見開いて、長谷川が呟きを繰り返していた。
「素人が震えながら撃っても、当たりゃしないぜ」
銃を向けられても、相澤は平然としていた。
そこへ別の人影が待合の通路から現れた。
「長谷川! 銃を下ろせ。そんなことをしやがったら罪が重くなるだけだ!」
そう言い放ったのは、逢坂刑事だった。
「ナイスタイミングだ、さすがは逢坂刑事。ここがよく分かったな」
「通路まで丸聞こえだったぜ、相澤。通報したやつがいたから、すぐに警官が増えるだろうな」
逢坂刑事は苦笑しつつ、相澤と長谷川がいるホールに踏み入ってきた。
「そうか」
「んで、そいつはどうしようかね」
「ああ、コレね」
相澤は事も無げに言って手を伸ばし、長谷川の手の拳銃を真正面から掴んだ。目を剥く長谷川の手から、持ち上げるように取り上げた。
「安全装置」
「へ?」と声を上げる長谷川に、相澤は冷たく笑った。
「かかったままだぜ。撃てるわけがない」
拳銃を逢坂刑事に手渡した相澤は、その後ろに突っ立っていた男に目を向けた。
「あんたは?」
自分と同じくらいの年齢の、洒落たスーツを着た爽やかな印象の若者だった。
「新米だ」
そっけない逢坂刑事の言葉に、その若い刑事は直立不動の姿勢になった。
「小宮元と言います!」
「そうか。ではあいつの確保を頼む。それは俺の仕事じゃないんでね」
相澤はシャツの胸元を指で引っ張り、ふぅ、と息を吐いた。
「黒だと言っていたな。証拠はあったのか?」
期待するような逢坂刑事の視線に、相澤は応えた。
「あんたの話では、古川恵美は出血多量だと言った。なのに、渡されたファイルのなかの死亡診断には脳内出血と記載があった。おそらくこの脳外科の医師がでっちあげで作成したから食い違ったんだろう」
「そんなもんじゃ証拠にはならんよ」
ふてくされたように逢坂刑事は言った。
「証拠は別にある。霊安室に行け。手前のほうの部屋、右の壁にある棚を調べてみろ」
相澤の言葉に、逢坂刑事の片方の眉が上がった。
「聞いたか小宮、すぐに行ってこい!」
長谷川に手錠をかけていた若い刑事が顔を上げた。
「了解であります!」
先輩刑事に律儀に敬礼して駆け出す若い刑事の背に、逢坂刑事の怒声が飛んだ。
「返事はハイでいい! 敬礼も要らん!」
「あんたの部下か。――可哀想に」
自分とあまり年齢が変わらない背を見送り、相澤が言った。その言葉に、逢坂刑事が心外だといわんばかりの視線を向けた。
「俺は面倒見がいいことで有名なんだぜ。――て、ひとの話を聞け、相澤」
相澤は周囲を見回していた。何かを捜すかのように。
「――ユメコはどうしたんだ。一緒にいたんだろう?」
「嬢ちゃん? いや、いなかったぞ。てっきり待っているのかと思って、病院の外を一周して、この中も探したんだ。余計な手間をかけさせやがって。刑事を待たずに勝手に犯人に接触するな――」
相澤は片手を挙げて、逢坂刑事の言葉を制した。その瞳が、すぐそばにある内階段に向けられていた。
何かをじっと見上げているかのようで、逢坂刑事は相澤の視線を追った。だが、七階に通じる階段には、何の影も見えない。
だが、相澤は間違いなく何かを見つめていた。この若者には珍しく、そこには動揺のいろが浮かんでいた。
「……何、大変だとはいったい……?」
ひとりつぶやくように言った相澤が、突然階段に向かって走り出した。二段を一気に飛ばしながら上へと駆け上がる。
「どうした相澤! 何かあったのか?」
「そこは任せた。ユメコが危ない!」
声だけが降ってきた。
「おい、相澤!」
バン!
金属製の扉を開け放ったような音が響いてきた。
「屋上か? あいつがあんな取り乱すなんて……」
何やら嫌な予感がして、逢坂刑事は唸った。




