ふたつの再会
「はい、何か? 本日は予約だけでも患者数が多くて忙しいので、質問は、できれば簡潔にしてほしいのですが」
対応に出たのは、脳外科医の長谷川医師だった。
「あれ、あなたは……」
長谷川医師は、相澤の顔を見ると、何故か引きつったような表情になった。すぐに取り繕うように頭を下げて元の平静さを取り戻したのだが、声が僅かに震えていた。
「事件に巻き込まれてこの病院に運び込まれて以来ですね。お体のほうは何ともなかったですか?」
「あのときの――」
ユメコにも、目の前の医師に会った覚えがあった。相澤所長が倒れて運び込まれたとき、救急の担当医として対応したのが長谷川医師である。
「おかげさまで。ですが、本日こちらへ伺ったのはその件ではありません」
相澤は表情を変えることなく、本題に入った。
「古川恵美さんについて調べていることがありまして。あなたはそのときも救急の担当医として夜勤に就いており、対応に当たったと聞いています」
長谷川医師はぎゅっと口を引き結び、厳しい表情になった。
「記録を調べてみないと何とも。ですが、あなたは警察ではない。お話しする義務はないと思いますが。個人情報の漏洩になります」
「そうですか。まあおっしゃるとおりですね。では、刑事さんと一緒に明日にでも出直してくることにしましょう」
相澤はにこやかに言った。長谷川医師の表情が一瞬強張る。
「じゃあ、行こうか」
相澤は傍らのユメコに声をかけ、くるりと踵を返した。
「え、あ」
ユメコは慌てて長谷川医師に一礼すると、相澤の後について歩きはじめた。長身の相澤はスタスタと歩いていく。
一旦病院の入り口から出た相澤は、脇に寄って立ち止まった。
「あの長谷川って医師は、実に分かりやすい性格だな」
ユメコが追いつくのを待って、相澤が言った。
「隠し事をしている。それもひとつじゃない、いくつも抱え込んでいるようだ」
「いくつも?」
ユメコは相澤を見上げた。
「今回のユメコの先輩の件もだが、俺のことでも何かあるみたいだな」
そのとき、プシューッというエアブレーキの音がして、バスが正面玄関に着いた。一時間に四本ある、主要駅からの直行路線だった。
相澤はユメコの手を引き、降車してきた客に紛れてまた病院内に入った。長谷川医師の姿はすでになく、相澤は1階の総合受付の前を通り過ぎ、奥のエレベーターに向かった。
下ボタンを押し、エレベーターが来るのを待つ。
「ショウのことでも、何かある? あのお医者さんが?」
ユメコの問いに、相澤は低い声で答えた。
「事件に巻き込まれて、とあの医師は言った。警察では、俺のことは事故ということで記録が残っている。外傷もなし、ただの脳震盪だってね」
ハッと息を呑むユメコだった。確かに、何が起こったのかを知るユメコにとっては『事件』だったが――。
「そう、俺のあの状態を部外者が外から状況を見る限りでは、どこからそんな思い込みができるのか不自然だ。これは俺の考えだが、おそらく俺たちがこの病院を去った後に何者かが訪ねてきたんだろう」
地下フロアには、栄養研究室と倉庫、剖検室、そして霊安室があった。
「今頃、何処かに連絡を入れている頃かもしれないな」
相澤が口の中で呟くように言って、歩きはじめた。通路を進み、曲がると、そこには両開きの扉があった。横の壁にはカードを通すタイプのキーパネルと、インターフォンが設置されている。
「関係者以外は、入れないみたいですね」
ユメコが扉の小窓を伸び上がるように爪先立ちになって、内部を覗き込んだ。照明が落とされ、暗い廊下は怖ろしく不気味だった。
小窓からの明かりで、扉が四つほど並び、さらに奥に両開きの扉があるのが、かろうじて見て取れた。
「ここから入り、あの扉から出て行く、というわけだ」
「それは死んで病院から出て行くときのルートってことですか?」
ユメコが弾かれたように相澤を振り返った。その動きで、爪先立ちになっていたユメコはバランスを崩し――扉に体を押し付けた。
扉が押し開かれた。そのまま床に倒れかかるユメコの体を、間一髪相澤が抱きとめた。
「驚いたな……どういうことだ」
相澤とユメコが内側に入った背後で、扉がゆっくりと閉まった。
「逢坂刑事に連絡を入れようと思ったのだが、早くて助かったな」
そう言いつつも、腑に落ちない表情で内側のキーパネルに目をやった。電源は落ちている。
廊下の先に視線を向けると、四つの扉が並んでいる。
ひとつめは、遺族控え室、そして、霊安室が3つ並んでいた。
相澤が一番手前にあった霊安室のドアを開き、中に入った。目をすがめた相澤は唸った。
「ここでは……多すぎる。漠然と力を使えば、とんでもないことになりそうだ」
言葉の意味を考え、ユメコは目を見開いて周囲を見回した。今までにも不思議な体験や、はっきりとした姿の霊を見たことはあるが――。
「おどかさないで、ショウ」
夏だというのに、二の腕がスースーと冷たい感覚がした。次にこういう場所に来ることがあったら袖があるワンピースにしよう、とユメコは思った。
「ユメコ、ちょっと待て」
入ってきたドアのほうに後退したユメコを、相澤が呼び止めた。じっとユメコを見つめ――いや、すこしずれた場所、ユメコのすぐ後ろを見ていた。
「どうやら、この部屋で間違いなさそうだな」
ユメコに歩み寄り、横に並んで立つと、相澤は改めて部屋の中央に向き直った。深い呼吸を数度繰り返し、右手を伸ばす。
がらんとした部屋の中央に、何か大きなものがぼんやりと現れた。それは、形のはっきりしない影のようなものだったが、見つめている間に少しずつ鮮明になっていった。
「せんぱい……?」
震える声でユメコが呼びかけた。
それは、ストレッチャーに乗せられたままの若い女性だった。足側を高くして寝かされており、腕からはチューブが伸びていた。
そのチューブが接続されている機器が何であるかを見て取った相澤は、思わず手の平をきつく握りしめた。
相澤の様子に気づいたユメコが、驚いたように、浮かび上がった光景と相澤の顔に視線を走らせた。
「ショウ?」
奥歯を噛み締めた相澤だったが、ゆっくりと口元を微笑みの形に変え、ユメコの肩に手を置いた。
「行ってやれ……大丈夫だ」
言われたユメコは、おずおずと女性に歩み寄った。




