とある朝、カフェで刑事と
心霊ヴァリエーション2としてはじめました物語を、こちらに統合しました。
「おはようございます!」
ユメコが、リビングに飛び込むようにして入ってきた。
小柄で細い体に、夏らしい白のワンピースを着ていた。裾にレースが縫いとめられていて、動くたびにふわりと揺れている。色の薄いさらさらとした長い髪の先が、少し跳ねていた。
童顔なので高校生のように見えるが、ユメコはれっきとした大学生である。
手には何故か目覚まし時計を握ったままだった。
リビングと続きになっている、アイランド型のキッチンでは、相澤がフライパンを片手にそんなユメコを眺めていた。
長身で、整った顔、きれいな黒髪、細いが筋力はありそうな腕、野性味のある表情。一見キッチンとは無縁そうな美男子だが、何故か違和感なく似合っている。
流れるような動きと、その手際のよさもあるのかもしれない。フライパンからは、卵の焼ける、美味しそうな香りがしていた。
「あ、ご、ごめんなさい、ショウ。今朝はあたしが作るって言っていたのに」
キッチンに駆け寄りつつ謝るユメコに、ニヤリとして相澤が言った。
「気にするな。寝起きのユメコをたっぷりと眺められるんだから、俺は幸運だ」
きょとんとしたユメコが、頭に手をやり、髪を指で梳いて毛先が跳ねているのに気付いた。あぅ、と口を開いて上目遣いに相澤を見る。
相澤が、そんなユメコの姿を見て、実に楽しそうにニヤニヤ笑っている。だが、ふとリビングに掛けられている時計を見て、真面目な顔になった。
「8時だから、そろそろ出かけたいんだ。すぐ食べられるか?」
「え?」
ユメコはリビングの壁にある時計に視線を移動させた。アールデコ調の、おしゃれな時計だ。
針は――相澤の言うとおり、8時を差している。
「あああ、ごっ、ごめんなさい。時計が止まっていたからおかしいなと思って」
慌てて謝るユメコに、相澤がフライパンの中のオムレツを皿に移しながら口を開いた。
「電池」
慣れた手つきでふたりぶんの皿を完成させ、テーブルに並べる。
「外れてんじゃないのか?」
相澤の言葉に、ユメコは手にしていた目覚まし時計を引っくり返してみた。
「あ。確かに……」
蓋の部分がなくなって、単3形乾電池がひとつ外れていた。これでは……止まって当然だ。
「目覚ましのベルを止めようとして、たぶん落として外れちゃったんだ。これでもう5回目だよね」
相澤が歩み寄って、しょんぼりするユメコのおでこを軽く弾いた。
「俺様に朝メシを作らせたお仕置きだ」
言うが早いか、相澤は長身をかがめてユメコの顔に自分の顔を近付け――素早く唇を重ねた。
目を見開いて動きを止めたユメコの頬が、みるみるうちに真っ赤に染まった。
「そろそろ、新しいのを買ったらどうだ。もうかなりガタガタになっているだろう、その時計」
身を起こし、腰に手を当ててニヤリと笑った相澤が提案したのだが――。
「ごめんなさい。でもこれがいいの」
ユメコがちいさな声で応えた。古ぼけた目覚まし時計を包み込んだ手の平に、ぎゅっと力が入っている。
うさぎのシルエットが文字盤に描かれた、可愛らしい、だが色も褪せてしまっている旧式のベルタイプの目覚まし時計である。
「……ユメコの思い出の品なんだな」
相澤が微笑み、息を長く吐いた。
「まぁ、俺と一緒に隣で寝るんだったら、どんな時計を使っていても気にしないでいいんだがな……今夜からそうしてみるか?」
本気とも冗談ともつかない相澤の言葉に、ユメコは真っ赤になって慌てたように手を振った。
「ぜぇったい、もう寝坊しません。早く寝ます!」
昨夜はクラシックのCDを聴いていて、音楽好きな相澤が作曲者について語り始めてしまい、遅くなってしまったのだ。
結局、ユメコはパジャマ姿のまま相澤の胸に寄りかかるようにして眠ってしまい……。相澤が抱き上げてユメコの部屋のベッドまで運んだのだった。
「確かにあのとき、時計に腕が当たってナイトテーブルの端に移動させてしまったのは、俺かもしれないな」
鳴った振動で、テーブルから落ちて蓋と電池が外れてしまった、という可能性に思い当たった相澤は、それ以上何も言わず口を閉じた。
「あ、朝食、いただきます」
思い出したようにユメコが席に座り、相澤も微笑んで一緒に食卓についたのだった。
そこは、駅前から少し住宅街に入った場所にある、おしゃれな感じのカフェだった。
「あの、ショウ……」
ユメコが入り口前で立ち止まり、オープンテラスのテーブルも設けられている建物を見た。
「えっと――逢坂刑事さんに会うんでしたよね?」
「そうだ」
相澤が厚いガラス製のドアを開け、ユメコを通そうと横に寄りながら答えた。
「どうかしたのか?」
「いえ、なんだか雰囲気、すっごく合わないなぁと思って……」
失礼かなとも思ったが、どうしても愛想やおしゃれとは無縁の無骨なあの刑事とイメージが重ならない。
「場所は、俺が決めた。今日はユメコが一緒だからな」
相澤は、当然、という表情で語った。
「はぁ、そういうことでしたか」
ユメコたちは店内に入った。
店内に流れていた曲は、ヴァイオリンの音色が穏やかに流れる、美しい旋律だった。相澤が歩みを少し止めた。
「メン・コンだな。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調、第1楽章――いい選曲だ」
オープンテラスになっている空間に出て見回すと、奥の席に仏頂面の逢坂刑事が待っているのが目に入った。
店内には、若い女の子たちやOL姿のグループ、カップルが多かった。その中で、仏頂面をした男がスーツ姿でいらいらと机を叩いている光景は、違和感を通り越してものすごく目立っていた。
「やっと来たか、相澤の御曹司。なんでこんな場所を指定してくるのか……これは新手の嫌がらせか?」
「そうともいう」
相澤は涼しい顔で席に座った。長い脚を組んで座り、アイスティーを注文する。
注文を取った女性の店員は、端正な相澤の顔を少し眺めてから店の奥に戻っていった。他のバイトの子たちと話をしているのだろうか「きゃーっ」という声が聞こえてきた。
ユメコと逢坂刑事はそれら声を耳にして、ふぅとため息をついた。当の相澤は気付いていない。
逢坂刑事がテーブルの上に置いていた封筒に手を伸ばした相澤は、写真の束とファイルを取り出し、それらをざっと眺めた。
心霊事件を扱う、数奇な背景を持つ私立探偵の相澤。大学生になったユメコと一緒に、一度は迷宮入りした事件を調べはじめた。そこへ、相澤家を敵視する組織が出てきて……。個々の章は独立した形式で、全体を通してもうひとつの物語が進んでいきます。ちなみにコンチェルトとは協奏曲(concerto)のことです。




