俺様と少女
「何ブンむくれているんだよ」
そんな声を聞きながら、ユメコは歩いていた。少し前方を相澤が歩いている。
「ぶんっとむくれてなんか、いないです」
ユメコは相澤と逆の方向に首を向け、応えた。
ほぅ、と相澤はひとを莫迦にしたように口の端を上げ、肩越しに振り返るようにしてユメコを眺めた。ますます不機嫌そうになるユメコの表情を楽しんでいるかのようだ。
スーツのズボンはきっちりと穿いているが、上は胸元を大きく開けて白いシャツを着ているのみで、上着は羽織らず肩に引っ掛けている。いつも身だしなみに気を使っていた所長とは、同一人物だと思えないくらいだった。
それに加え、目のやり場に困るったらなかった。こちらは、あまり男性に免疫のない女子高生なのだ。ユメコの機嫌は悪くなる一方である。
しかも受験生。貴重な自主勉強の時間を削っているというのに。
「それより所長、どこ行くんですか」
自分でも口調が厳しいなぁと思いつつ、ユメコは素直な疑問をぶつけてみた。
「現場、さ」
相澤は短く答えた。
「現場……」
反芻して、そうか、と思い当たる。所長自身が倒れていたという場所だろう。
ふたりは事務所のある近くの商店街を歩き、裏道に入った。そこは、丘の上にある神社への階段の登り口がある場所であり、反対側には、商店の裏口が並んでいた。
この辺りは時代の流れに見放されつつある店の裏手にあたるらしく、昼間でもひっそりと静まり返っている。表ではシャッターが閉まったまま軒を連ねているのだろう。
片側の階段がある斜面のほうは木と草が伸びていて、セミの声ばかりが響いているのみ。
所長が倒れていたという場所は、階段よりさらに少し奥の通路に入った場所だった。
そこは日陰になっていた。
太陽の光が差している場所があまりにまぶしくて、その場所だけ異様に暗く感じてしまう。
「連中、手掛かりを残していかなかったようだな」
地面に長身をかがみこませ、地面に指を走らせて相澤が唸った。
「用意周到なやつらだ。敵ながらあっぱれだな」
ユメコは首をひねった。
「敵?」
その問いに相澤は答えなかった。立ち上がり、周囲の木々に油断なく視線を走らせる。
「む」
倒れていたという場所の傍に、サツキの植え込みがあった。いまはもう花の時期は終わり、葉が茂っている。
そのうちの一本に、相澤はかがみこんだ。
「ここに……遺したのか」
そう言って、手をかざす。
「えっ」
何のことか理解できず訊き返したユメコだったが、相澤は答える気がないのか、スッと立ち上がるとそのまま歩きはじめた。
「翔太は、殺された」
――え? 目の前にいる本人が、今何て言いました?
「いいから黙ってついてこい」
高圧的な物言いに、ついにユメコの足が止まった。
「そういえば所長、メガネなしで見えるんですか?」
探るような視線を向けながら、ユメコは訊いた。本人とは似ても似つかない、あまりに突然の豹変振りの真意を突きとめてやるつもりだった。
だが、相澤は取り乱す事なく答えた。
「気づいていなかったのか? あれは伊達メガネだよ。レンズに度は入っていない」
「えっ」
逆にユメコは驚いた。夕日のオレンジの光のなか、笑っていた相澤所長の顔が脳裏によみがえる。
「伊達メガネだったんですか……気づかなかったです」
一転してしょんぼりするユメコだったが、またも頭の上に置かれた相澤の手に、顔に血がのぼるのを自覚した。
「……ていうか、やっぱりおかしいですよ、所長ッ!」
今までの疑問が、不安が、積もり積もって一気に決壊した。頭の上に乗せられたままの相澤の手を振り払う。
「ゼッタイ普通じゃないです! いったい何があったんですかッ」
ユメコの目から涙があふれ、ぽろぽろと頬を転げ落ちていく。相澤が驚いて動きを止めた。
ユメコは自分の感情に翻弄されていた。
――すごく理不尽だった。すごく悔しかった。携帯電話の電話番号……登録されていたのはあたしの名前だけ。誕生日も知らなかった。目が悪くないなんて、気づかなかった。家族のことも何も、話してくれなかった所長――。
「何がなんだか、もうぜんっぜんわからないですッ!!」
叫んだユメコは相澤にくるりと背を向け、力いっぱい駆け出した。
商店街の表通りに駆け出し、ユメコの背中はあっという間に角を曲がり、相澤の視界から消えた。
裏通りには手を半端に伸ばしたままの相澤だけが残された。
「まいったな。嫌われたかも、か」
その手をそのまま後頭部に当て、少し寂しげにつぶやく。セミの声がひときわ高くなり、その声を掻き消した――。