目覚めの朝に
相澤所長が目を覚ましたのは、それから一時間ばかり経ってからのことだった。
ユメコはベッドのそばの椅子に座っていた。
朝日が昇り、カーテンを開けたままの病室いっぱいに、明るい日差しが入りこんでいる。
深夜に起こされてからずっと寝ていなかったのだ。ユメコはうつらうつらとまどろんでいた。
唐突に、相澤が目を開いた。体を起こしたので、シーツがさらさらと擦れた音をたてた。
「……ふぅ……何とかなったか」
吐き出すような低い声を聞き、ユメコは顔を上げた。
「しょ、所長! 大丈夫ですか?」
相澤は上半身を起こした。片膝を立て、椅子から立ち上がったユメコを斜めに見上げるように視線をぶつけてくる。
ユメコは思わずビクリと身を引いた。いつもの所長の穏やかな表情ではない。鋭い眼光だった。
――もしかして睨まれてる?
相澤は口の端を引き上げた。笑ったようだ。
――良くいえば野性味あふれて格好いい、悪くいえば……ガラ悪いんですが所長。頭、打っちゃったのかな……。
心配げに眉をひそめるユメコが、何か言おうと口を開くより早く、相澤の唇から言葉が滑り出た。
「おまえ、俺の女か?」
ユメコは自分の耳を疑った。
「え、え? な、何のことです? ていうか、開口一番がそれですかッ!?」
頭、やっぱり打っちゃったのかな。それとも――ユメコは、自分の声が震えていないといいなと思いつつ訊いた。
「まさかとは思いますけど、しょ、所長……ですよね?」
太陽が昇って部屋の温度は上がっているはずだが、肌の表面がひんやり冷たくなった気がした。
「おっと」
相澤は額に手をやり、しばし動きを止めた。呼吸みっつぶんくらい経ってから、再び顔を上げる。
「相澤翔太、二十四歳、独身。趣味は読書、音楽鑑賞。親のすねかじってるような生活かァ……やはり仕事は上手くいってなかったんだな」
まったく変わってねぇなァ、と相澤はため息をついた。
そこに咎めるような響きはなかった。むしろ親友でも心配しているような、苦笑を含んだ口調。
「ったく、何やってたんだか、アイツ。音楽鑑賞って趣味だけ一致するけどな」
「あれ、所長って二十三歳じゃありませんでしたっけ」
思わずユメコは声に出して訊いた。
さっき医師や警察に話したことが間違っていたことになってしまうので、無意識に慌てたのかもしれなかった。
「今日が誕生日。だからもう二十四だ」
「今日……だったんだ。知らなくて――じゃあ、お祝いしなくちゃですね」
ふぅん、と相澤は鼻を鳴らした。ユメコの顔を真っ直ぐに見つめる。次いで、ニッと微笑む。
「……おまえ、優しい女なんだな。ますます気に入ったぜ」
「――いちいち言葉がアヤシイです。らしくないですよ、所長。本当にどうしちゃったんですかっ」
「おお、言うねぇ」
相澤は手を伸ばし、ユメコの頭をぐりぐりなでた。次いで、楽しげにニヤリと笑う。
「でもまあ、なんだ、おまえにオシゴトだぜ」
ちっちゃい子扱いじゃないですか、むむぅ――と、ユメコはむくれてしまう。
そんなユメコの表情をニヤニヤ笑いながら見つめて、相澤は黒いものを放ってきた。相澤自身のカバンである。さきほど警察に返されたばかりの。
「それに必要なものは揃っていると思うから、退院手続きしてきてくれ。至急な」
「え……は、はいっ」
思わずそう答えてから、ハッとなる。
「いえ、だ、駄目です! 検査があるからしばらくは入院だって、先生が言ってました」
「俺様は元気だぜ? どこも何ともない」
パッとベッドから降り、床に真っ直ぐに立つ相澤。よろけもしない、流れるような、しなやかな動きだった。――思わず惚れ惚れしてしまうくらいの。
そのまま裸足でスタスタと歩き、ロッカーを開けて洋服を取り出した。病院で着替えさせられたのであろう寝着を前ではだけ、躊躇なく肩から滑り落とす。
「うわっ、ちょっ、し……所長!」
思わず真っ赤になって目を逸らすユメコを振り返り、相澤は声をたてて笑った。そうしてニヤニヤ笑いを顔に貼り付けたまま、口を開く。
「だからさ、今のうちに退院手続き、よろしく」
そう言われては仕方ない。さっさと着替える相澤に、ユメコは勢いよく背を向けて扉に急いだ。
「しけたスーツだなぁ。まあいいや、上着はナシで着ていくか」
とか言っている独白を聞きながら、ユメコは赤くなった頬を押さえ、急いでナースステーションに向かったのだった。