解放された、力
「あたしには、やっぱりわかりません」
ユメコは、相澤の胸にしがみつき、銃口からかばうように必死で体を寄せた。
「血の繋がった家族が、どうして殺しあうんですか?」
「愛されて家族のもとで育ったあなたには、理解できない現実というものもあるのです」
ユメコの視線を受けても、園子は平然と答えた。
「現実とか背景とかいうのは、ただの言い訳だと思います!」
その言葉に、園子は整った眉を僅かに寄せた。目が細められる。
――ひとつ間違えば挑発だってわかっている。
でも、どうしてもこんなこと、止めてもらいたかった。
相澤は神経を張りつめて、園子と傍に立つ雅紀の動きに注意を向けていた。
もし園子が引き金にかけた指に力を込めれば、ユメコごとふたりの体を弾丸が貫いて……終わりとなってしまう。
かといって、迂闊に動いたら、そのときこそ引き金を引かれるだろう。
膠着状態――しかも、いまの状態では、相澤とユメコのほうが圧倒的に不利だった。
殴り飛ばされたときに、口の中を切ったのだろうか。雅紀がハンカチを取り出し、口元の血を拭った。
白い絹のハンカチを染めた赤黒い色を見て……顔を歪め、それを握りしめた。
「僕のものにならないなら、要らない」
顔を上げて、暗い目でユメコを見た。日は沈み、周囲は闇に沈みつつあった。
「――ひとをおもちゃみたいに言いやがって」
相澤は吐き捨てるように言った。
「そういうことです」
園子は冷たい笑みを浮かべた。
そしてためらいもなく、引き金を引いた。
ビシッ。
弾丸は相澤が立っていた背後の、剥き出しのままのセメントを穿った。
回避は間に合ったが、園子は次々と撃った。
ビシッ、ビシッ。
続けざまに、サイレンターを取り付けた銃口から弾が撃ち出される。
壁と内装がなくても、ここはマンションの室内だ。そう広くはない。
「グッ!」
脇腹に激痛が走り、相澤は膝をついた。
――追い詰められた!
「チェックメイトね」
園子が勝ち誇ったように微笑んだ。同時に、銃口が相澤の頭部に当てられる。
「さようなら、翔平――」
「やめてぇ!!」
ドンッ!
ユメコが、園子に体当たりをした。ふいを突かれた園子は銃口を逸らされ、発射された弾丸は天井に抜けた。
「この……!」
園子はユメコの顔に手を伸ばした。白いしなやかな手が、ユメコの額を掴んだ。
「小娘のくせにッ」
瞬間、音もない衝撃が、ユメコの中を突き抜けた――。
顔を上げた相澤が見たものは、ぐらりと倒れかかる少女の体だった。
顎をのけぞらせ、華奢な体が重力に引かれるままに後方へ傾いていく。
相澤は咄嗟に腕を伸ばして、ユメコの体を横抱きに抱きとめた。
しかし、目は開かれたまま虚空を見つめ、動かないまま……。
「……ユメコ!!」
名前を呼び、顔にかかった淡色の髪を払いのけ、瞳を覗き込む。
反応は、なかった。
「『魂消し』を使ったわ。ふふっ、彼女はもう永遠に目覚めはしない」
園子はくすくす笑い、今度こそ相澤のこめかみに銃口を向けた。
だが、相澤はもはや園子に注意を向けていなかった。
「俺がついていながら――」
ユメコの体はここにあるが、ユメコはもはや手の届かない場所に行ってしまった……。自分と翔太、そしてユメコ。消しゴムで消すみたいに、ろうそくの火を吹き消すみたいに、何のためらいもなく。
「簡単に、命を踏みにじりやがって……」
どこから声が出てくるのか。想いが強すぎて、抑揚がまるでなくなった静かな声で、相澤は言った。
自分の中の、意識の底から何かが浮かび上がる気がした。
「こんなに簡単に、ひとを殺めやがって……他人の痛みを知りやがれッ!」
相澤のなかで、何かが弾けた。
刹那、周囲から、物凄い重圧が生じた。
目の前の出来事に、今まで表情を崩さなかった園子の目が、恐怖に見開かれる。
男のものとは思えない鋭い悲鳴があがった。さきほどまで後方に立ち、悠長に事の成り行きを見物していた雅紀のものだ。
周囲が、白い人影で溢れていた。
それぞれが苦悶の表情を浮かべ、呪わしげに呻きながらどこへ行く宛もなく彷徨っている。
それは、かつてこの場所で死んでいった者たちの霊だった。
この場所には、戦時中の基地があり、収容所があり、果ては遠い戦乱の歴史のなかで争いがあった場所である。
「ヒッ」
園子は身じろぎひとつできず、圧縮された空間で立ち尽くしていた。
「……これが……あなたの力なの……ッ!」
恐ろしいものを見る目で、顔を引きつらせながら園子は血の繋がりを持つ弟を凝視していた。
相澤の力は、霊の思いを感じ取り、具現化するものだった。
ユメコを失ったことで、力が解放されてしまったのだ。
相澤自身、信じられないものを見る目つきで周囲を見回していた。
「うわぁぁああああぁッ!」
雅紀が叫んだ。硬直したように動きを止めていた姉の手から銃を引ったくり、周囲に溢れかえっている白い人影に向ける。
「止せッ!」
相澤が雅紀を制止しようと声を張りあげた。
だが、恐怖に自分を失った雅紀の耳には届かなかった。
園子の手にしていたのは、オートマチック銃だ。
バネの力で次々と弾を押し上げ、再装填して、何発も連射ができる。
雅紀は恐怖心に支配されていた。周囲の人影に銃を向け――。
相澤はユメコの体を自分の体で抱え込み、床に伏せた。
雅紀が引き金を引いた――。
ガンッ、ビシッ、ガガンッ!
弾丸が、天井を、床を、壁を抉る。
「莫迦野郎! こんな場所でむやみに撃ったら――」
ギンッ……!
鉄筋や配管に当たった弾丸や、浅い角度で障害物に当たった弾丸が、跳ねた。
兆弾である――その恐ろしさは計り知れない。
「――うぐッ……!」
突っ立ったままだった園子の体に、何発かが命中した。
「ひぃッ」
撃った雅紀自身にも兆弾がかすめ、驚いて銃を取り落としたが、もう取り返しがつかなかった。
姉の体が、朱に染まってぐらりと揺れ、倒れた。




