素適な気遣いに
「双子、だなんて……誰が見ても違うって思いますよね」
助手席から、ぽつっと聞こえた声に、相澤はハンドルを握ったまま頷いた。
「……そうだな」
「でも、それでも、今までずうっと、誰も何も言わなかったのですか」
「『相澤』の名が、そうさせなかったのさ」
目の前の信号が赤に変わり、相澤はふぅ、と息を吐いた。
ユメコは、そんな相澤に目を向けた。
――ショウは、嘘がつけないタイプなんですね。自分にも、他人にも隠し事ができない。
相澤所長の記憶や知識は、完全に彼のものとなっているはずなのに。
さっきの、兄と姉の前でも、完全な『相澤翔太』として自分の態度を取り繕うことはしなかった。
否、できなかったのだ。
――どこまでも、ずぅっと、真っ直ぐなのだ、ショウは。あたしに対しても、自分に対しても。
ユメコは、胸に何かがつかえたように苦しくなり、握った手を胸に押し当てた。
相澤がハンドルから片手を離し、ユメコの胸の上にある手を握った。
「俺のことで、おまえが苦しむな」
静かな声――だが想いのこもった言葉だった。
「ショウ……」
信号が、青になった。
相澤は視線と手を戻し、再び車を走らせた。
「――ここは?」
車を停め、ふたりが降りたところは、都内でも若者が集まることで有名な街だった。
「ユメコ、さっきはあまり食べられなかっただろう。腹が空いていると思って」
駅前に向かって歩き出す相澤に、怪訝そうな表情をしながらも、ユメコは慌ててその背を追った。
日曜なので、人通りの多さは相当なものだった。
人が多い場所に慣れていないユメコは、あまりこの街に来ることがなかった。友人たちと流行の服を買いに来たことがあったが、人ごみのなかで見事にはぐれてしまった思い出が、その理由だ。
――苦手な街、だったんだけど……とても不思議。
相澤はユメコの歩調に合わせ、ゆっくりと歩いてくれる。
時折、自分を見上げるユメコの視線に気づいて、相澤は目を合わせ、微笑んでくれるのだった。
通りを歩くと、周囲からはたくさんの視線を感じた。
女の子たちの視線は、スーツを着崩して颯爽と歩く相澤に集まっているのだ。
そして、注目の美男子と、指を絡ませるように繋いで歩く、この自分に。
――少し、苦しいなぁ……。
自宅や事務所で、ふたりで過ごすときにはあまり感じないが、最近はこうして外に出ると、あらためて相澤の容姿や行動の魅力に気づかされる。
「疲れているなら、抱こうか?」
ユメコに向けられた相澤の言葉に、一瞬にして顔が真っ赤に染まった。すぐに別の意味に気づき、声をあげる。
「抱っこは、えっと……絶対禁止です!」
それを聞いた相澤は爆笑した。
「本当に昨日と言い回しを変えてくるとは」
ひとしきり笑った相澤は、「でも、その言葉も懐かしいな」と言って、また歩きはじめた。
「駅まで行くんですか?」
「いや、もう近い。そこだ」
そこには、スキンケア商品を扱うショップがあった。女性客が多いなかを、相澤はユメコの手を引いて入っていく。
店内の階段を上ると、そこがカフェになっていた。
案内された席に腰を落ち着けながら、相澤がユメコに笑いかけた。
「前に、一度来てみたいなぁって、言っていただろう?」
――確かに以前、言ったことがある。この前の道路を車で走ったときだ。あんな微かなつぶやきを覚えていてくれたというの……?
自分の背と足には窮屈そうな椅子に座り、にこにこしながら見つめてくる相澤に、ユメコは胸がいっぱいになったのだった。
「オレンジアイスティーは、美味しかったな」
帰りの車内で、相澤はハンドルを握りながら、さきほどのカフェの感想を語っていた。
「あんなにオレンジが飾られていることに、まず驚いたが。今度作ってみるか」
――やっぱり紅茶の話題なんだ。何杯も飲んでいたことに驚いたけど……本当に好きなんだね。
ユメコはくすくす笑った。
「サラダや豆ばかりの料理にも驚いたが、使っている素材は良かったな。女の子はああいうメニューが好きなのか」
店での相澤とのやりとりを思い出し、ユメコは心の底から嬉しくなった。幸せな笑いがなかなかとまらず、にこにことした表情のまま助手席に座っている。
相澤はそんな様子を横目で眺め、安堵して微笑んだ。
「良かった、元気になったな」
口のなかでつぶやいた。
……そして表面は穏やかな表情のまま、心の内では嫌な予兆を感じつつ、相澤は歯噛みしていた。
あの姉と兄は、近いうちにきっと仕掛けてくるだろう、と。
そろそろ、陽が落ちる。
夏を過ぎた空は、夜の帳が下りるのが日に日に早くなっていくようだ。
「きれいな空」
ユメコが助手席から仰ぐように空を見ていた。
一面、オレンジ色に染まっていた。
相澤の目が空に向けられた、刹那。
ギギギギギギギギ――!
恐ろしい音が響き渡った。
道路に視線を戻した相澤がハンドルを切り、同時にブレーキをいっぱいに踏み込む。
「キャアァ!」
ユメコの悲鳴。
ふたりを乗せた車は、間一髪衝突を逃れ、道路の横にあった工事現場の敷地内に突っ込んだ。
ユメコも相澤もシートベルトを着用していたおかげで、車外に放り出されることもなく無事であった。
「大丈夫か、ユメコ」
「あたしは大丈夫……いったい何が起こったの?」
大丈夫と言いつつ、ユメコは側頭部をサイドガラスにぶつけたようだ。
左目を閉じて手で側頭部を押さえ、傷みに耐えている。
「念のために、病院へ行こう」
相澤は自分のシートベルトを外し、ユメコの傷の具合を診た。
流血はなかったが、赤くなっている。後で腫れるかもしれなかった。
「平気、だと思う。……ショウ、何が起こったの?」
気丈にもそう言って、ユメコは状況を訊いてきた。
「――対向車線を走っていた大型トレーラーが、突然、中央車線を越えてこちら側の車線を塞いだんだ」
相澤は、車の後方、道のほうを振り返った。
そこには、黒塗りのトレーラーが横転していた。
あまりに急なハンドル操作に耐え切れなかった車体が、引っくり返ったのだ。
「……ユメコ。決して、俺の傍から離れるなよ」
相澤はユメコのシートベルトを外し、その体を抱え上げた。
車から降りて、黒塗りのトレーラーに対峙した。
「素晴らしいドライビングテクニックね。とてもじゃないけど、おとなしかった我が弟とは思えないわ」
トレーラーから降りてきた美女が艶やかに微笑み、言った――。




