最初の、邂逅
都内のホテル、坂を少し登った場所にあるエントランスに相澤は車を寄せた。
「ここだ」
尻込みしてしまいたくなるような、高級なホテルである。
ドアスタッフが笑顔で出迎え、ユメコの座席のドアを開けてくれたので、慣れないユメコは少し驚いた。おずおずと足を下ろす。
靴はいつものローファーではない。華奢な細い革で編まれた靴だった。
慣れないヒールで転ばないよう、先に車から降りた相澤がユメコに腕を差し伸ばした。
着ている白いワンピースの裾に幾重にも重ねられた繊細なレースが、立ち上がるときにふわりと揺れる。
「ユメコは白い服が似合うな。美しい髪の色がよく映える」
緊張を少しでもほぐそうとしたのだろうか、相澤がやさしい眼差しでユメコに声をかけた。
「あ、ありがとう」
ユメコはカチコチになったまま、ホテルに足を踏み入れた。
――コントみたいに、同じ側の手足が前に出てしまいそう。
足がきちんと地面についていないのではないかとユメコは心配になった。何度も足元に視線を向けてしまう。
「相澤さま。どうぞこちらへ」
ホテルのスタッフだろうか、制服を着た者がひとり近づいてきて、ふたりを案内した。
相澤の腕に掴まりながら、ユメコは館内を見回しつつ進んだ。
細やかな装飾や、アジアの香り漂う調度品、そして溢れんばかりの緑や花の鮮やかな色彩が目を惹く。
案内されたのは、ホテルの上階にある一室だった。
触れている相澤の腕に力が入ったのを、ユメコは感じた。
「お連れいたしました」と声をかけたスタッフが中へ入り、何事か伝えているのが聞こえる。
そして、「どうぞ」と扉を開いて相澤とユメコを通した。
光が溢れる室内に、上質なインテリア、奥の窓には、ホテル自慢の日本庭園が広がっていた。
「久しぶりだな、弟よ」
そう言って椅子から立ち上がったのは、相澤雅紀。相澤コンツェルンの時期統括者として噂されている男だった。
雅紀は、こちらの『相澤翔太』と双子のはずだが、全くさっぱり、似ても似つかない顔立ちをしていた。
背は高いが、髪は逆立っていて剛毛である。
迫力はあるものの、雰囲気ですら相澤とは似たところがまるでない。唯一、歳が同じであることだけが共通点だろう。
その隣には、ゴージャスな印象の美女が立っていた。モデルのように背が高く、素晴らしいプロポーションだ。紺の、体にぴったりと合うドレスを着ている。
「まさか姉の顔を忘れてはいないわよね、翔太」
美女は艶然と微笑み、挑戦的に胸を突き出すようにして切れ長の目を細めた。
こちらのほうは、目鼻立ちの整った顔の造形が相澤によく似ている。
「忘れてはいませんよ、姉さん、兄さん」
臆することなく真っ直ぐに背筋を伸ばしたまま、相澤は応えた。
「あら……何だかしばらく見ないうちに、いい顔になっているみたいね」
相澤園子はそう言って微笑み、弟の顔をひとしきり眺めた。そして、ゆっくりと、その傍らに立つ少女に目を向ける。
「――可愛い彼女さんね。私たちに紹介してくれないの?」
相澤は、ユメコの手をぎゅっと握りながら口を開いた。
「黒川夢子さんだ。探偵事務所を手伝ってくれている――そして俺の婚約者だ」
――きゃ。こ、言葉に全然慣れないや。
ユメコの頬が、かぁっと熱くなる。打ち合わせてあった内容だが、やはりドキドキと心臓が高鳴るのを静めることができない。
「あら可愛い……奥ゆかしいかたなのね」
園子が、唇をゆっくりと微笑みの形にした。
「婚約者も決まったというのに、ちっとも報告に来ないからな。こちらから呼び出す他なかった。突然で、すまなかったね。夢子さん」
雅紀がユメコに笑顔を向けた。低いが、よく響く声だ。
「あ、は、はい。初めまして、ユメコです」
片膝を少し折るようにして、礼をした。
スカートのレースがふわりと揺れ、ユメコの髪がさらりと流れるように動いた。薄淡い色合いの髪が、差し込む光に透けるように輝く。
その様子に魅せられ、雅紀が微かに息を呑んだ。その気配に横に立つ姉――園子が少し眉をひそめる。
相澤がユメコの前に出るように、前に一歩踏み出した。
「ふっ」
雅紀は微笑んだ。
「このまま立ち話もなんだし、座って一緒に食事でもどうだ」
ガーデンビューになっているスイートルームには、ダイニングテーブルやソファーが配置されたパーラーがある。ホテルのスタッフたちが、食事の用意を整えていた。
奇妙な緊張感のまま、4人は各々の席に着いた。
「こうして姉兄弟が揃うのは、ずいぶん久しぶりのことね?」
食事の手をとめ、園子が言った。
「そうでしたかね」
肯定とも否定ともとれる口調で、相澤が相槌を打つ。
「お父さまも、あなたがちゃんと大学と仕事を両立させているのか心配してらしたわ。何もひとりではできない子だったからって」
園子はワインを口にしながら、探るような視線を相澤に向けている。
「父さんは、昔から俺を半人前扱いしていましたからね」
相澤は表情を変えないまま応じている。
――お食事は、美味しいけど……この雰囲気だから、何食べているのかわかんないや……。
圧迫感のある空気に、ユメコは、あまり食が進まなかった。
「お口に合いませんでしたか?」
雅紀が、食事をつつくほどしか食べていないユメコに気づき、真摯な目を向けた。
「えっ、い、いえ」
慌てたユメコが、フォークで大きめの食材をぱくっと口に入れた。
口のなかで噛み砕くのに大きすぎて、もごもごとちょっと苦しそうな表情になる。
ククッと、雅紀が楽しそうに笑った。
「実に可愛らしいお嬢さんだ。あなたに逢えて、翔太はとてもラッキーでしたね」
そう言って、ユメコには柔らかい視線を送り、相澤には鋭い目を向けた。
相澤は平然としたまま食事を続け、いつもと変わらない口調でユメコに言った。
「ユメコ、無理しなくても食べられるだけでいいぞ」
「う、うん」
ユメコは頷いて、素直にナイフとフォークをテーブルに戻した。
――目が回りそう……。
こんな姉と兄だから、所長はずっと家族の話なんてしなかったのかもしれない。
ユメコは、視界がぼやけるのを感じた。
――携帯に入っていた、唯一のあたしの番号……か。もっと、いろいろ話をしていたら良かったな。
ガタン、という、誰かが席を立った音がした。
目を上げると相澤が立ち上がっている。
「すまないが、姉さん、兄さん、俺たちはこれで失礼するよ……今日のユメコは具合が良くなかったんだ。これ以上、あまり無理をさせたくない」
「そうでしたか、それは気づかずに申し訳ない。呼び出したのは我々だからね」
雅紀は気分を害した様子もなく、むしろ心配に顔を曇らせてユメコを見つめた。
「それでもここまで来てくれて、ありがとう、夢子さん」
「残念だわ、後ほどご一緒にトリートメントでも、とお誘いしたかったのに」
園子も本当に残念そうに言った。
「す、すみません……」
恐縮するユメコを、相澤が抱き寄せる。
「おまえが気にすることではない。すまなかったな」
「あの、ありがとうございました」
相澤から体を離したユメコはふたりに礼を言い、相澤にエスコートされながら扉に向かった。
「翔太」
雅紀が相澤を呼び止めた。振り返った相澤に、雅紀は言った。
「変わったな、おまえ。……堂々として、まるで別人のように立派に成長したものだな。兄は嬉しいよ」
口調は朗らかだが、目は笑っていない。そして、最後に甘く囁くように付け加えた。
「夢子さん、またお逢いできたらいいね」
相澤は目を鋭く細め、兄と姉に視線を送ると、くるりと背を向けた。
ユメコの腰を抱き寄せ、支えるように歩いて部屋を出た。




