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受験JKと心霊探偵の事件変奏曲  作者: 星乃紅茶
5 第3変奏 兄と弟の鎮魂歌(レクイエム)
20/77

平穏な日常の、終わり

 今日は日曜だった。

 補習もない、休みの日。

 いつもなら朝から参考書を開いて机に向かっているのだが、今日のユメコが開いているものは、昨夜見たアルバムだった。

「朝食、食べないのか?」

 その声に顔を上げたユメコは、「いただきます」と返事をしてソファーから立ち上がった。

 リビングには、ワーグナーの『ジークフリート牧歌』のCDがかけられていた。

 ワーグナーが、妻の誕生日とクリスマスのプレゼントとして作曲したというエピソードを持つ、相澤のお気に入りの曲だ。

 穏やかで楽しげな旋律が、ふうわりとした風のようにリビングを包んでいる。

 相澤はティーポットから紅茶を注ぎ、テーブルに着いたユメコの前にカップを置いた。

 事務所ではユメコの注ぐ紅茶を好んで飲むが、家では相澤が用意することが多かった。

 自分も席に座った相澤は、口を開いた。

「昨日の話は、重かったか」

 傷みをともなうようなその声に、ユメコは弾かれたように顔を上げ、相澤を見つめた。

「いいえ!」

 咄嗟とっさのことに、声が大きくなっていた。

「いいえ……。あの、正直びっくりはしました。でも」

 ユメコは手元のカップに視線を落とした。声の大きさも、落とす。

 紅茶からは、りんごの甘い香りが立ちのぼっていた。

「でも、今思えば、そんな予感が自分でもしていたのかな、とか思っていて、理由は、そのう――」

 続けて、と相澤はユメコに先をうながしした。

「ショウは、体が変わっても、転ぶことなく立って、歩いて、ケンカだって強かった。腕の長さも、足の長さも、背の高さも、変わらなかったから、違和感なく動けていたんだなぁって」

 ――筋力は違っていたのだろう。たぶん。

 ユメコが高校へ行っていて、自分が大学に出ないときには、ジムに通っているというのを聞いていたから。

 相澤は黙ってユメコの話を聞いている。

「あの、あたし、外見だけで格好いいとか素適だとか、思ったりしないです。そりゃあ、格好いいほうがいいのでしょうけど、それよりも」

 じわり、とユメコの両目に涙があふれてきた。

「いつも真っ直ぐで、守ってくれて、大切にしてくれて、頼りになって……そんなところが好きになっているからで……!」

 ――あれ? 何でこんなに必死になって言いつのっているのだろう。それに今、自分で何て言っちゃった……?

 必死に言葉を発していた勢いで、ユメコは席から立ち上がっていた。 

 ぽたぽた、ぽた。テーブルに涙がこぼれ、音を立てる。

「…………ッ」

 想いがあふれ、熱くなった顔を手で押さえつけたユメコは立っていられず、椅子に倒れるように座ろうとした。

 そのとき。

 素早く立ち上がった相澤が、ユメコをきつく抱きしめた。

「朝から――そんな嬉しいことを言ってくれるな」

 相澤は息を詰めたような声で、抱きしめたユメコの耳に囁いた。

「こんなに愛しているんだ――自制できなくなる」

 腕に力がこもる。ユメコの全身が震えた。

「あ、あの、あたし……」

 言葉までもが震えたユメコの体を、相澤はゆっくりと放した。

「……すまない」

「……今は、受験生ですから……」

 消え入りそうな声で言うのが精一杯だ。

「わかっている、最初の約束だからな。俺は約束は必ず守る」

 相澤はユメコの言葉を遮って、きっぱりと言った。

 ふたりとも黙り込んでしまった。

 いつの間にか、CDのクラシック音楽は終わっていた。

 そのとき、電話が鳴り響いた。

「え」

「何ッ……!」

 電話の音に、ふたりの顔が強張った。

 仕事の電話は、事務所と相澤の携帯端末だけにかかってくる。家の電話は、鳴らないはずだった。

 とすれば……。

「はい、相澤です」

 受話器を取ったのは、相澤だ。ユメコはここの電話には決して出るなと言われている。

 相澤の顔に緊張が走ったのが、ユメコにもわかった。

 ちらり、とユメコと目を合わせ、相澤は「ああ」と電話の相手に向かって頷いた。

 相澤の目は、挑むような鋭い光を宿していた。

 ユメコは身じろぎも忘れて、そんな相澤の様子を見守っていた。

 しばらくして、相澤は受話器を親機に戻した。カチャン、いう音が響く。

「ショウ……もしかして、今の電話は」

「ああ」

 ユメコの声に、相澤は頷いた。

「ついに動いてきた。――『相澤翔太あいざわしょうた』の『双子の兄』からの呼び出しだ」

 相澤はユメコの頬に、そっと自分の手を添えた。

「おまえの名前も出た。どうやら、完全に巻き込むことになってしまいそうだ……」

 愛おしそうに、まるで壊れやすいものを扱うように、相澤の指がユメコの頬を撫でた。

 ――本当は怖い。でも、引き返すことはできない。あの日の公園で話を聞いたときから、覚悟はしていたはずだから。

 ユメコの瞳が少し揺れ、伏せられた。

 そして、次に相澤を見上げたときには、決意を込めた強い光を湛えていた。

「平気です。だって……約束は必ず守るのでしょう?」

 ユメコは、頬に触れている相澤の手に、自分の手を添えて決然と言葉を発した。

「『おまえは俺がまもる』、そう言ってくれたから。出逢ったときに」

 ユメコは、今の『ショウ』と出逢った日のやりとりのことを言っているのだと、相澤にもわかった。

「ユメコ……」

「それに、あたしも出来る限り精一杯、ショウをまもります」

 相澤は目を見開いた。

 そして、この上もなく優しい瞳で微笑んだ。

「それは頼もしいな。俺たちは、コンビって訳だ――」

 少女の華奢な体をもう一度抱きしめた相澤は、口の中でつぶやいた。

「ユメコは命に代えてもまもってみせる」




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