届かない、声
――ここ、どこなのかな……? 全身が、痺れたみたいな感覚……。
ユメコは目を開いた。
何も見えなかった。ただ、仰向けに倒れている自分の顔に、雨が降り注いでいるのは感じていた。
指をゆっくりと動かす。
――生きているのかな、あたし。
意識がはっきりしてくると、体中あちこちに痛みが走った。おかげで意識が一気に鮮明になり、自分が無事だったことを知った。
手も足も動いている。痛みはあるが、失われているわけではない。
ゆっくりと体を起こし、暗闇に慣れた目で周囲の様子を窺った。
どうやら、地面に穿たれた穴のような場所に倒れているようだ。
手探りで斜面を確認したが、登れるような手掛かりもない。雨で緩んだ土は、今にも崩れてきそうだった。足元にも、すでに水が溜まっている。
ユメコの手が、何かに当たった。
「ヒッ」
思わず手を引っ込めてから、今度は慎重に伸ばして探る。
ぐっしょりと濡れた、布のようなものに触れた。目を近づけてみると、そこには女の子の体が転がっていた。
――もしかして、これがいなくなった女の子?
母親が言っていた名前が脳裏に浮かんだ。
「アイナちゃん? 大丈夫?」
女の子は動かなかった。脈を確かめる。
間違いなく生きていた。だが、ちいさな体は冷え切っていた。
ユメコは自分が着ていたレインコートで、女の子の体を包み込んだ。
そして、近くに男性らしき体が倒れ伏しているのも見えた。
ただし、こちらは――すでに事切れていた。首に、細い紐のようなものが巻きついているのが見てとれた。
着ているものは、黒一色だ。
おそらく、この男性が霊柩車の運転手なのだろう。
「そ、そんな……」
間近にある死体に、ユメコは歯がカチカチ鳴るほどに震え上がった。
「だ……誰か……」
弱々しい声がのどから出た。
――こんな声じゃ、きっとどこにも届かない。
「誰か! ショウ、助け――」
ゴホッゴホッ。
咳で叫び声は途切れてしまった。大きな声が出なくなっている。
自分の額に手を当てると、尋常ではないくらいに熱くなっていた。
くらくらと視界が回り、立っていられなくなった。ユメコはたまらず穴の中で座り込んだ。
「ショウ! ゴホッ……ショウ!」
それでも、声が続く限りユメコは叫び続けた。女の子の体を抱えて、冷たい雨に全身を打たれて震えながら。
相澤は焦っていた。
ユメコを見失ってから2時間が経過しているが、いまだに手掛かりはなかった。
夜の闇が容赦なく視界を奪っていく。
車から持ち出したLEDのハンドライトだけでは、時間ばかりが浪費されていた。
連れ去られたか、監禁されたか、すでにもう……。
「そんなはずはない」
相澤は自分に言い聞かせ続けていた。
「……そろそろだな」
周辺の探索を中断し、公民館の様子を窺った。
村の電灯は、すでに壊れているか停電で光は失われていた。
公民館も停電で暗くなっていた。所々に灯されたランタンが、ポツポツと周辺に光を投げかけているばかりだ。
台風の中心は通り過ぎたようで、雨と風は徐々に弱まりつつある。
そろそろ――奴に動きがあるはずだ。
他の誰にも目撃されないように注意しながら、相澤は公民館に戻った。
公民館は静かだった。
憔悴しきった母親が、電池式の電灯を携えた金原に連れられて外に出てきた。
まだ雨は降り続いている。
傘を差すのももどかしそうに、母親は金原の後を追いかける。
「こっちのほうから声が聞こえたそうです」
金原は、駐車場の一角で足を止めた。
「この下から……?」
目を泣きはらした母親は、崖といっていいほどに急勾配の斜面を覗き込んだ。
「……アイナ? アイナ!?」
「足を滑らせたのかもしれませんねぇ」
金原は斜面の下に光を向けながら、母親の背後に回った。
「あなたもね。さようなら、榛原夫人」
金原は笑った。
「え?」と振り返る女性の背を、躊躇なく突いた。
ドンッ。
女性の体が斜面に向けて押し出された。そのまま、下へ滑り落ちていく……はずだった。
そこに、突っ込んできた影があった。
女性の腕を掴み、一瞬にして引き戻す。転がるようにして女性の体は地面へ戻った。
地面を掴むようにして体を落下から防ぎ、斜面の淵ぎりぎりに立ち上がったのは、相澤だった。
「き、貴様……!!」
金原が声をあげた。
その金原の背後に、多数の人々の姿がある。
「俺様が、呼んでおいた」
ニヤリと不敵に微笑み、相澤が顔を上げた。
ここへ駆けつける前、金原と、女の子の母親の女性が外へ出た後で、公民館へ声をかけたのだ。
案の定金原は、相澤が妙な動きをしているとかありもしないことを、皆に吹き込んで回っていたらしい。
そんな皆に、相澤は堂々と告げた。
「真実が知りたいなら、自分たちの目で確かめるんだ」と。
相澤は、大人数を前にして、金原に言い放った。
「おまえは、俺様が大ッ嫌いな最低人間だな」
手にしていた、白い粉が入った手の平に乗るほどの袋をポンと地面に放った。ベシャリ、と何重ものビニールに包まれた袋が、ぬかるんだ地面に落ちた。
「麻薬だ。末端価格にしてどのくらいになるか分かりゃしねぇ、膨大な量だ」
金原の顔が、夜目にもわかるほどに青ざめた。
「榛原さん、ご主人に願いを託されました。妻と娘さんを助けてくれと」
相澤は地面に倒れていた女性に手を差し伸べた。
「あのひとに……」
女性は目を見開いて相澤を見つめ、その手を取り、立ち上がった。
相澤は村の自警団の男たちに言った。
「棺の底が二枚底になっていた。そこに大量の麻薬を小分けにして入れた袋が隠されている」
村の自警団の男たちが、金原を取り押さえた。相澤はそのうちのふたりに、霊柩車を見張るように指示を伝えた。
「む、娘は……アイナは?」
女性の言葉に、相澤は頷いた。斜面の下に視線を走らせる。
生い茂る草で下までは見通せない。相当な落差があるようだ。ところどころ木の枝が折れ、地面に抉れた跡があった。
相澤は村民のひとりからロープを受け取り、自分の腰に素早く巻きつけた。もう片方をすぐ脇にあった、根をしっかり張っている木の幹に結びつける。
「まさか、降りる気か? 危険だぞ、あんた!」
制止の声を聞かず、相澤は斜面を一気に滑り降りた。