消えた、少女
「女の子、まさか、ここへ来たときに聞こえた声の主じゃないよね……?」
相澤に声をかけたが、降りしきる雨の音で聞こえなかったようだ。
風はさきほどと比べると少し治まっていた。雨は相変わらずの土砂降りだったが……台風の目が近いのだろうか。
頭の中で考えをまとめているのか、相澤は珍しく振り返らなかった。
ユメコは背後を見た。崖があり、木々が生い茂る方向を。
「確か、こっちから聞こえた気がする、あのときの声――」
この駐車場に着いたばかりのとき、声が聞こえた方向を思い出しながら、ひとりでユメコは歩いていった。
どうしても女の子のことが気になっていたのだ。
そうして、駐車場の端まで来た。
滑る足元に注意しながら、おそるおそる下を覗き込む。
木の根や、低木が茂り、とても下までは見通せない。草も深く、周囲も闇に沈みつつあった。
夜が近いのだ。
降りていこうにも、足がかりすら確保が難しいような斜面だった。
「まさか、ね……」
あまりの角度に、ユメコは身を引いた。
――間違って落ちたら大変だ。
背後にユメコが居ないことに気づいた相澤が、心配しているかもしれない。
女の子がいる可能性がないか考えながら、斜面をもう一度見直してみた。
そしてユメコはため息をつき、戻ろうとその場からゆっくりと後退した。
そのとき。
バタバタバタ、と雨がビニールの平面を叩くような音に気づいた。
――背後に、誰か立っている。
相澤がまた驚かそうとしているのだろうか。ユメコは振り返ろうとした。
だがその前に、背中をドンと激しく突かれた。足元がずるりと滑り、ぐるりと視界が回る。
「きゃ……」
中途半端な悲鳴を残し、為すすべもなくユメコの体は斜面を転がり落ちていった――。
相澤は事件に関するあらゆる可能性を考え、状況を頭の中で整理していた。
公民館の入り口まで帰り着き、背後を振り返った。
「……ユメコ?」
心臓が凍りついたような衝撃を受けた。何より大切な少女の姿が、消えていた。
「ユメコ!」
相澤は声をあげた。外は、闇に沈みつつある。
公民館の中を覗き込み、素早く視線を走らせた。
避難してきたひとびとの数は増えている。
増水した河川の影響もあり、周辺の住民も自主的に避難してきたのだ。
疲れからかぐったりと壁にもたれて寝込む者、視線を落としてうずくまる者、毛布を配ってまわる村の住人、繋がらないかと携帯電話を動かしつつ見つめている若者、歩きまわって具合が悪くないかと訊いて回る中年の女性……。
その中に、高校生の女の子の姿はない。
「クソッ――俺がついていながら」
相澤は自分自身を罵った。
再び雨の中に戻る。
車から公民館までは、倉庫があったり植え込みがあったりして、見通せるわけではない。
駐車場まで駆け戻り、周囲を見回した。
そのとき、駐車場から来た人影に気づいた。
その人物が誰なのか見て取った相澤の目が細められた。
自称精神科医の金原だ。
「おや、どうされました?」
金沢は驚いたように立ち止まった。
「連れの少女がいなくなった。探しに行くところだ」
相澤は簡潔に、ズバリ言った。
「それは大変ですな……」
金原は心配そうに眉をひそめた。
「今、周辺の村民のひとたちを、公民館まで避難させているところです。お年寄りのかたが多いですからな。公民館にいた男性のかたたちにも手伝って頂いているところです」
そう言って背後を振り返った。懐中電灯を照らしながら、何人かの男たちが、背に毛布を巻きつけた老人を背負っている。
「あなたも若いのですから、手伝っていただこうと探したのですけど、いらっしゃらなかったもので」
相澤は顔をしかめた。
「一緒にいた女性はどうしたのだ」
「ああ、公民館で休んでいますよ。この雨の中に連れ出せるはずがありません」
金原はそう言って、相澤に侮蔑の眼差しを向けた。
「あなたも、自分の彼女といちゃついていないで、手伝ったらいかがですか」
相澤は拳を握りしめた。だが表情には出さず、淡々と言葉を発した。
「霊柩車の運転手、そして女の子、ふたりの人間が消えている。どちらもあなたの連れだ」
「おやおや、女の子は存在しないと言ったはずだ。母親の幻想を本気にしているのかね?」
「幻想ではない。分かっているはずだ」
老人を背負った男たちに道を空けるため、相澤と金原は端に寄った。
金原はわざとらしくため息をつき、男たちを手伝って公民館に戻っていった。
「いまは分が悪い」
下手に騒ぐと、相澤に罪をなすりつけて皆を敵に回してくるかもしれなかった。
閉鎖された環境だ。どう誤解されるか予想がつかなかった。
なるべく危険は避けたい。
「言い合いになって時間を割かれるより、まずはユメコを探さないと……。まさかとは思うが、心配だ」
相澤は公民館には戻らず、駐車場を見回した。
人間ふたりがきれいさっぱり存在を消されるなんてありえないことだ。そして短時間のうちに、今またひとりの少女の姿が消えた。
「ユメコ……」
相澤の能力は、生きている人間の場所が特定できるわけではない。
自分の感覚で探すしかなかった。
公民館から霊柩車までの道を戻りながら、ぬかるんだ足元を注意深く確認していった。
だが、足跡も残らないような土砂降りだ。
泥水が全てを覆い隠し、押し流していく……。