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受験JKと心霊探偵の事件変奏曲  作者: 星乃紅茶
2 第1変奏 純愛と殺意の二重奏(デュオ)
13/77

殺意と、愛情と

 楽屋にはユメコたちの他に、ソファーに座る刑事ひとりと、入り口のそばにふたりの警官が立っていた。

 刑事と向かい合うソファーに座って心細そうにしていた香奈子は、立ち上がってホッとした表情で宗谷隆一を迎えた。

 その気弱な表情はとても演技だとは思えない。殺人とは全く無縁の人間に見えた。

 部屋に戻った三人がソファーに落ち着いたのを見て、おもむろに刑事が口を開いた。

「……このコンサートホールで、二年前に死人が出たのをご存知かな?」

 問うように、一同を見回した。

 話の内容を承知している相澤は無表情だったが、突然の話にユメコ、宗谷は驚いた。香奈子はうつむいている。

「それは事故だったのだ。まぁ……そういうことになっている。不審な点はなかったのだから」

 だが問題はそこではない、と刑事は言葉を続けた。

「名前は米沢ヒノキという男性だ。照明係だった。舞台の上の照明を調節中、足を滑らせて落下し、首の骨を折って死亡した」

 刑事は一旦言葉を切り、宗谷の隣に座っている女性に視線を向けた。

「そこに座っている小林香奈子の恋人だった」

 息を呑む音がふたつ聞こえた。ユメコと宗谷だ。

 香奈子はうつむいたまま、動いていない。

「そして、殺された米沢サクラの実の兄だ。米沢サクラは、兄にとてもなついていたという。兄と友人が恋仲になり、嫉妬はしていたらしいが祝福もしていたようだ」

 刑事は一冊の手帳のようなものを取り出した。可愛らしい花柄とピンクの表紙の、日記帳のようだ。

「これは被害者、米沢サクラのものだ。最後に書き込まれたページ、昨日の日記を見てほしい」

 刑事は、昨日の日付が記されたページを開いた。皆に見えるように、身を乗り出して机の上に置き、くだんのページを開いたまま手で押さえた。静かにその箇所を指し示す。

『殺してやりたい。お兄ちゃんのことをあっけなく忘れて、自分だけ幸せになろうとしているにくいアイツを』

 アイツ――香奈子さんのことだ。ユメコは、ぞっとして思わず自分の体を腕で抱え込んだ。

「これって……!」

 宗谷も目をいてそのページを食い入るように見つめ、そして隣に座る香奈子に視線を向けた。

 香奈子が顔を上げ、ソファーから立ち上がった。

「そんな……そんなの、わたし、知りません……ッ」

 震える声で訴えた。見開いた目で、日記を見つめている。

「さきほど事故で亡くなったというかたの名前も……わたし初耳です!」

「恋仲のことは、君たちのことを知っているオーケストラのお仲間全員から同じ話を聞いて、すでに確認済みだ。とても仲睦まじいカップルだったと」

 相澤が、背を預けていたソファーの背もたれから身を起こし、口を開いた。

「ひとは、あまりにつらい過去を記憶の底に沈め、無意識に忘れ去ろうとすることがある。自分だけに残された時間を……生き続けるために」

 香奈子が、ふらりと二歩後退あとじさり、ソファーから離れた。

 相澤は、よく通る声で言葉を続けた。

「そのために、あんたのなかに生まれた別人格があるはずだ――男の人格、ヒノキが。このコンサートホールを熟知し、作業着を一着盗んで調達することができる人格が」

 香奈子の様子が変わった。足を開き、上体を斜めにかがめるような姿勢になった。嘲笑うように口の端を歪める。

「妹が――最愛の女性を殺そうとしていたんだ。阻止するのに――他の理由が要るというのか?」

 香奈子ののどから出た声は、本人のものとはかけ離れていた。しわがれたような、低い、男のものだった。

 驚いた宗谷が立ち上がった。覚悟はしていたが、相当にショックを受けたようだ。

「か、香奈子さん……まるで霊に取りかれているみたいだ」

 同時に、相澤も立ち上がっていた。

「霊に取りかれているというのはありえない。心の中に残っている、死んだ男性への深い愛が――自分がいま幸せに出逢ってしまったことへの罪悪感が、その人格を生み出したのだ」

 相澤の言葉に、香奈子だった人物は弾けるように哄笑した。乾いた笑い声はすぐに消え、苦しそうな声が言葉を続ける。

「愛する女性のためさ。できればヴァイオリンから――この業界から離れてほしかった、妹の憎しみの目から」

「それが、あの脅迫文とあくどい悪戯いたずらの数々だな」

 黙っていた刑事が言った。事前に相澤から別人格の可能性を聞いていたのだろう。それでも、眉ひとつ動かさなかったからたいした度胸だった。

「すでに調べはついている。脅迫文の印刷に使われたインクと、小林香奈子の自宅のプリンターのインクは同じメーカーのものだ」

「そして、指紋も?」

「鋭い指摘だ、ユメコさんだったか――お察しの通り、最後の脅迫文には、君たちの他には小林香奈子当人の指紋が検出された。あのときには紙に触れてもいないはずなのに」

 香奈子は顔を伏せた。両手で頭を抱え込むようにしてうなった。

「香奈子さん!」

 ユメコが苦悶する香奈子に駆け寄った。

「香奈子さん、病院へ行きましょう! 多重人格になっても、統合できれば治るって聞いたことがあります。ちゃんと治しましょう。宗谷くんだってそれを望んで――」

 ガバッと顔を上げた香奈子は、ユメコののどを両手で締め上げた。

「うッ……!」

 突然のことに、ユメコは反応できなかった。女の力ではない、強い力でぎりぎりと首が絞められた。

「やめるんだ、香奈子さん!」

 動転した宗谷の叫びが発せられると同時に、相澤が動いた。

 踏み込んだ相澤は香奈子の腕をひねり上げ、ユメコの喉から振りほどくと、香奈子の体を後方の壁に叩きつけた。

「ユメコに手を出すな」

 それ以上の力をなんとか自制している相澤が、香奈子の襟元をつかんだままうなるように告げた。

「香奈子の為なら、何でもやるさ。初恋の相手とかいう不安材料も要らない。消し去ってやるさ」

 香奈子の口で『別人格』が語った。

 相澤は、一瞬目を閉じ、開いた。その瞳と目が合った香奈子の体がぐったりと弛緩しかんする。

 相澤は手を離し、香奈子の体を駆け寄った宗谷に預けた。

「気を失ったようだ。首に気をつけて、ソファーに寝かせてやれ。――刑事さん、救急車を呼んでやってくれ」

「私の名前、現場検証に付き合ってもらったとき、逢坂おうさかと名乗っただろう。いい加減覚えてくれ」

 逢坂刑事が苦笑しつつも、背広のポケットから携帯端末スマホを取り出した。

「大丈夫か、ユメコ……苦しかっただろう」

 相澤は振り返り、床に座り込んだまま呆然としていたユメコの体を抱きしめ、抱え上げた。

 ゆっくり力を取り戻した瞳が、間近にある相澤の瞳に向けられ……その唇が開いた。

「だから……抱っこは、禁止です」

 弱々しいがはっきりと発せられた言葉に安堵し、相澤は声を立てずに笑った。



 救急車が到着し、小林香奈子は担架に乗せられて運ばれていく。

「僕は、彼女の傍についていきますね」

 宗谷が、相澤とユメコに向けてしっかりとした声で言った。

「彼女の再起には、かなりの長い時間を必要とするだろうな」

 相澤の言葉に、宗谷は頷いた。

「それでも、僕は支えていきたいんです」

「真っ直ぐなことは、いいことだと思うぞ」

 行ってやれ、と顎でしゃくると、宗谷は何かふっきれたような、爽やかな笑顔で一礼して歩いていった。

 まるで、急におとなの男に成長したように、実に堂々とした態度だった。

 その背を見送り、ユメコはつぶやくように言った。

「あたし、わかりません……本当に二重人格のなせるわざなのか、それとも、れいに取りかれていたというのか」

「そうだな……ただ、確実にいえることは」

 相澤はユメコの肩を抱き寄せながら言った。

「どちらにせよ、そのふたつは外側から見れば同一に映るということだ」



 コンサートホールの外で帰りのタクシーを待ちながら、ユメコは相澤を見上げた。

「でも、意外でした。どうしてだったの?」

「なにがだ?」

「ショウが、霊に取りかれているとかありえないって言ったこと」

 ふむ、と相澤は頷いた。夜の街を流れる車のライトに目を向け、静かに言葉を続けた。

「多重人格なら説明がつくだろう。この現状に、霊を持ち出した説明は通らない。もし仮にも、そんなものがまかり通ったとしたら……世間は大混乱だろうな」

「確かに……そうですね」

 ユメコは視線を足元に落としながら相槌をうった。

悪魔あくまき、憑霊ひょうれいによる殺人など、今までにも似たような事件は世界にいくつもあった……だが、まだ解明されずに残ったものがほとんどだ」

 そこまで語って、相澤はユメコに真っ直ぐ向き直り、顔を上げた少女の瞳を見つめた。

「何故おまえは、俺が一度死んで、この体に入り込んだことを信じた?」

「それは……あたしにも説明できません」

 そうか……、と視線を逸らした相澤は小さく呟き、今度は微笑みながらユメコに視線を戻した。

 優しい表情だ。

「信じてくれて、よかったと思っている。こうして、ともに時間を過ごすことができているのだから」

 相澤はユメコの顎に手をかけ、わずかに持ち上げた。

 そして――唇を重ねた。

 短いキスだったが、相澤の想いがこめられたキスだった。

 そのまま、ユメコの瞳を見つめててささやくように言った。

「――ありがとう」

 と。



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