赤い森
「赤い森なんてあるわけないじゃない、ねぇ」
「ほんと。変な人よね」
昼休みの教室に嫌な雰囲気が漂っていました。外は梅雨の雨で、みんなの心までジメジメとしているようです。
(うそじゃないもん。ほんとに桃子の家にはあるよ、赤い森が‥‥)
ヒソヒソと話す声を背中に聞きながら、桃子は今日も一人で昼休みを過ごすのでした。
(でも‥。うそじゃないけど‥寂しいな。あんなこと言わなきゃよかった)
それは4月の新学期も始まって間もないころのことでした。みんな新しい友達と仲良くなろうとうきうきしている時期です。
「あら、あなたも犬飼ってるの。わたしもよ」
とか、
「かわいいペンケースね。ちょっと見せてよ」
とか、みんな些細なことも目を輝かせて話します。桃子もそんな一人でした。
(何か話してみんなと友達になりたい)
でも桃子は犬も猫も飼っていません。それにちょっとしたおしゃべりが苦手でした。そんな桃子が自慢できることがひとつありました。桃子の家にある“赤い森”のことです。
小学校の頃この森に友達を連れてきて遊び、桃子はたちまち人気者になりました。それで中学生になった今、また赤い森を友達に見せようと桃子は得意気に話しました。ルビー色に光る木の葉や炎のように赤い木枝、そして夕焼けの空に溶けてしまいそうな光景を。
何がいけなかったのでしょうか。桃子のおしゃべりが下手だったからでしょうか。友達は誰も信じてはくれませんでした。
「本当よ。本当に家には赤い森があるのよ」
小学校のころ赤い森でよく一緒に遊んだ友達に同意を求めても、
「赤い森?そんなの知らない」
と首をかしげるばかりです。桃子は“うそつき”のレッテルをはられ、次第に一人ぼっちになっていきました。
(本当なのに‥。どうしてみんなは忘れてるんだろう)
ぼんやりと桃子が考えていると、後ろからポンと肩をたたかれました。
「池田さん」
「あ、奥野さん」
さっきヒソヒソと話していたうちの一人が桃子の後ろに立っていました。奥野まきはわがままで、時々桃子に意地悪をする子でした。
「あの、わたしに何か‥?」
桃子はおそるおそるたずねました。するとまきは意地悪く笑いながら言いました。
「今度みんなで池田さんの家に遊びに行ってもいい?」
「えっ」
桃子はびっくりしてまきの顔を見つめました。まきはかまわず続けます。
「あなたの家に“赤い森”があるって言ってたでしょう。それをみんな見たいんだって。ね、今度の日曜日、いい?」
「日曜日‥。うん、いいよ」
桃子はできるだけ明るく笑って答えました。
日曜日がやってきました。あの約束をした日から三日間降り続いていた雨もあがり、気持ちのいい青空が広がっています。桃子は朝からワクワクしていました。
玄関のベルが鳴りました。急いで階段を下りて行くとまきを先頭に5人のクラスメートが待っていました。
「あ、いらっしゃい。みんな迷わなかった?」
「うん」
桃子の笑顔に5人は少し戸惑っているようです。赤い森なんてあるはずがない、そう思っていた5人は桃子がこんなに明るい笑顔で出て来るとは思っていなかったのでした。
「池田さん、おうちの人は?」
玄関を出て庭にある赤い森へ行く途中、まきがたずねました。
「ああ、みんなボーリングに行ったの」
「池田さん、置いていかれたの?」
「違うよ。みんなとの約束が先だったから、行かなかったの」
5人はそれぞれ顔を見合わせました。
「あ、ほら、あれよ。あれが赤い森」
桃子が指さす方には雨のしずくを残して太陽の光に赤く輝く森がありました。5人は驚いて声も出ません。
「ね、きれいでしょう。いい時に来てよかったわ。森の中じゃ赤やピンクに光るしずくが落ちてくるのよ。ちょっと足場は悪いかもしれないけど」
桃子は森と同じくらい顔を赤くして話します。
「さあ行こう。森の中に。早く早く」
5人は桃子の後からおとなしくついて行きます。
赤い森――それは本当に夢のような世界でした。“赤い”といっても全部が赤なのではありません。葉や枝が赤なので外から見ると真っ赤に見えるのです。土は赤紫色、ちょうどレンゲの花のような色で、緑の草もちらほらと生えています。幹は茶色で高く、まっすぐ立っていて少し細め。見上げると葉の間から青く澄んだ初夏の空が見えます。
「この葉っぱ、ずっと赤じゃないのよ。秋になったら桃色に変わるの。わたしが生まれたのも秋でね、誕生日にはいつもきれいな桃色に変わるの。わたしの名前も桃子でしょう。わたし、ここが大好きなの」
桃子の話を聞きながら5人は辺りを見回していました。ふと1人が言いました。
「ねぇ、木に登ってみてもいい?」
「うん。みんなで登ろう」
するとまた1人、
「えーわたし嫌よ。それより鬼ごっこしよう」
「それじゃ、じゃんけん」
それからはみんな夢中で遊びました。まるで桃子と5人とはずっと前から仲の良い友達だったようでした。まきも意地悪な笑顔など忘れてしまったようで、みんな無邪気な子供の顔に戻っていました。
「おはよう。昨日は楽しかったね」
次の日、桃子が教室に入ると5人が寄って来ました。
「池田さん、おはよう。ねぇ、わたしたち昨日何して遊んだっけ?」
「えっ」
「それが不思議なの。わたしたちみんな昨日のことを忘れてるの。ただ楽しくて、なんだか夢みたいな、そんな感じは覚えてるんだけど」
5人は忘れているのです。あの赤い森で遊んだことを。
「あのね、昨日は赤い‥」
言いかけて桃子はハッとしました。
(せっかくみんなと仲良くなれたのに、また一人ぼっちになっちゃうかも‥)
「え、何?池田さん」
「ううん、なんでもないの。あ、昨日はわたしの部屋でお菓子を食べたりして、それから外でテニスをして‥」
桃子は赤い森のことは話さず適当に昨日のこと作り、話しました。
「ああ、そうね。そうだったわ。それで楽しかったよね」
不思議なことにみんなは桃子の話を本当にあったことのように思い、会話がはずむのでした。
(いいよね、うそついちゃったけど。また一人ぼっちになるの、嫌だもの)
そう思いながら桃子は笑っていました。
それからというもの、桃子は活発な、友達の中心になって遊ぶ明るい子になりました。小学校のころのように桃子は人気者になりました。けれど少し違うのは、赤い森で遊ばないこと。赤い森の存在を否定してしまうことでした。いつしか桃子の目に森は赤い塊とうつるようになり、桃色にかすみ、見えなくなっていきました。誰にも見てもらうことのなくなった森は、ある暗い夜フワリと浮き上がりました。そして桃色の葉っぱをはらはらとこぼしながら空へと上り、最後にはキラリと光って雲に隠れて見えなくなりました。
時は過ぎ、新学期、桃子は二年生になりました。友達もたくさんいて、もう赤い森のことなどすっかり忘れていました。今日も楽しく友達と話し、笑い、一日が過ぎました。
夜、桃子は自分の部屋の窓から何気なく空を見上げました。空にはたくさんの星が出ていて、
「わあ、きれい」
と思わずつぶやきました。と、その時、小さいけれど赤く赤く光る星が桃子の目にとまりました。
(時々はわたしのことを思い出してね‥)
そんなことでも言いたげに星は輝いているようでした。そんな星の願いが通じたのでしょうか。桃子の口からこんな言葉がこぼれたのでした。
「あの星、秋になったら桃色になるかなあ‥」
終




