全てに適応する魔物
「その部屋の中に魔物がいます。まだ幼体ですが、強力な魔物ですので油断しないように。よろしくお願いします」
セルシ・ボイルがそう言うと、高い戦闘能力を持ち、ボディーガードなどを生業としているロメオという名のその男は「分かりました」と答えて剣を取り出した。室内で戦うからだろう。振り回し易いように短剣を選んでいる。
「適切に対処してみせますよ」
ロメオは童顔だ。体格もそれほど良くない。しかし、これから戦闘に臨むというのに臆した様子がまるでなかった。冷たく張り詰めたほど良い緊張状態に見える。戦闘慣れしている証拠だ。
セルシはにやりと笑う。
“これなら、実験は上手くいきそうですね”
彼がロメオを雇ったのは、色々と都合が良かったからだった。それなりに腕が立ち、魔物と戦った経験も豊富にあり、そして、お人好しで簡単に人を信用する。
“精々、懸命に抵抗して、その魔物の進化の糧になってくださいよ”
灰色の石造りの三階建てのビル。いかにも頑丈そうだ。ロメオはその部屋のドアを開けると疑う様子も見せずに中に入っていく。普通なら、何故、そんな場所に魔物がいるのかと訝しく思うだろう。やはり噂通りに簡単に人を信用してしまう男らしい。
――部屋の中にいる魔物の幼体は、セルシが魔術研究により生み出した人工的な魔物だった。適応能力に著しく優れ、相対する敵や環境に合わせて進化を遂げる。この魔物を進化させる為には、適度な強さを持った相手が必要だったのである。
ロメオは本来なら攻撃用の風魔法を移動に使って戦うという変わった戦闘技術を持っているらしい。彼と戦えば、恐らく魔物はその戦闘技術を身に付け、同時に対処する能力も獲得するはずである。つまりは、有効な進化が期待できる……
“今頃、中で戦闘が始まっている頃ですかね?”
そう考えると、セルシはにやりと笑みを浮かべた。
……が、部屋の中でロメオは、彼の予想の斜め上の事を考えていたのだった。
部屋の中、
“魔物の幼体か……”
と、ロメオは思う。中は暗く、魔物の姿ははっきりとは見えなかったが、気配は感じ取れていた。
直ぐそこにいる。
人型に思える。
攻撃はして来ない。
ロメオはポケットの中に手を入れると、こう考えた。
“……可愛いかもしれない!”
彼は何度か魔物の幼体を見た事があった。友好的なものも少なくなく、種によっては人によく懐く。大切に育てれば、なんと成体になっても狂暴にならない場合もあるらしい。
偶然ではあるが、彼は今日はポケットの中に甘いお菓子を入れていたのだ。これを与えれば、魔物は大喜びをするかもしれない。そんなシーンを想像して、思わず顔がほころんでしまう……
魔物はそんなロメオの様子を緻密に観察していた。そして的確に分析をする。
――この男に攻撃の意思はない。――自分を可愛いと思っているようだ。――ポケットの中にあるだろう糖分を含んだ食物を与えようかと悩んでいる。
魔物はその彼の行動に適応した。攻撃の意思がないのであれば、戦闘は無意味である。彼の持っている食物は欲しいが、無理に奪い取る必要はない。彼は自分を可愛いと期待をし、食物を与えたいと思っているようだ。表情や態度からそれが分かる。
ならば、この場合の適応的な進化とは……
部屋のドアが開き、中からロメオが顔を出した。
何故か機嫌が良さそうだった。セルシ・ボイルは首を傾げる。ロメオが無事なのは、まだ分かる。何とか生き延びたのだろう。だが、戦闘をしていたような雰囲気が彼にはまるでなかったのである。怪我も何もしていないし、疲労してもいない。
確かに、魔物退治を依頼したはずなのだが。
「あの……。ロメオさん。魔物退治の方はどうなりましたか?」
すると、にこやかな笑顔で彼は返す。
「安心してください。バッチリです!」
それを聞いて、セルシは不安になる。まさか、あっさり倒されてしまったのだろうか?
が、次の瞬間、ロメオが何者かの手を握っているのに気が付いた。小さな手。人間に似ているが微妙に異なっている。
――魔物の幼体だ。
“まさか”と、セルシは思う。
ロメオが言った。
「この通り、魔物の幼体は手懐けました」
魔物の幼体は、可愛らしい人間の子供に似た姿に進化をし、明らかにロメオに頼り切ってる様子だった。あどけない表情で、嬉しそうに彼を見つめている。
「う」と、幼体は言う。それにロメオは「ご飯が欲しいのかな? ちょっと待ってね。一緒に食べに行こうね」などと返す。
それから彼はセルシに向って言った。
「ミッションコンプリートです。後払い分のお金もいただけますか? この子とご飯を食べに行くので」
セルシは呆然となりながら、無気力に頷いていた。
“そうか! あの男がお人好しだから駄目だったんだ。庇護欲求が強い者への、もっともベストな適応は、可愛く進化して庇護してもらう事!”
幼体と共に去って行くロメオを見やりながらセルシは苦悩していた。
戦闘をすれば、自らが傷つくリスクを負う事になるのだから適応的な行動ではない。護ってもらう方が、より安全で生き残る確率も高くなる。
無理矢理に引き剥がす事も彼は考えたが、抵抗を受ければ、自分が魔物の進化の糧になってしまいかねない。それで仕方なく諦めたのだった。
あの魔物は諦めて、次を作るしかなさそうだ。
“……今度は、もっと巧くやらなければ”
反省した彼はロメオ達を見ながらそう思ったのだが、それと同時に
“本当に強くなるとは、果たして、どんな意味なのだろう?”
と、少しだけ考えていた。
或いは、それは戦闘能力を身に付ける事などではなくて……




