『大滝のクモと浮きのプレスマン』
上州の大滝という滝は、それは大きな滝で、滝壺は大きな淵になっていました。そこには目で見ても見えるほど、たくさんの魚がいて、釣りに行った者もたくさんありましたが、不思議なことに、誰一人帰ってこず、いつしか、のろわれた淵ということになって、誰も釣りに行かなくなって、何年もたちました。
万太郎という男が、病に伏せっている年老いた母のために、魚を釣りに出かけ、たまたま大滝の淵に行き当たり、釣り始めたところ、おもしろいように釣れました。おっかあに滋養のある者を食わせてやれる、余ったら干物にすればいい、と思って、釣れるだけ釣ろうと思いましたが、途中で気になりました。ここはもしかして、行ってはならないと年寄りたちが言っていた滝壺ではなかろうか。何かよくないことが起きる前に、帰ったほうがいいのではないか、でもまだ釣れるし。万太郎は、迷いながら、もう少し、もう少し、と、釣り続けました。
万太郎は、浮きのかわりに、速記シャープを使っていたのですが、浮きが浮く前に釣れてしまうので、糸から外したところ、うっかり落としてしまいました。落とした速記シャープを拾おうと、万太郎がしゃがむと、足もとに一匹のクモがいて、万太郎の足に、糸を何周も巻きつけていました。万太郎は気持ち悪く思って、自分の足からクモの糸を外し、釣り糸から外したばかりの速記シャープにクモの糸を巻きつけて、あと一匹、もう一匹、と釣っておりますと、淵の水面がふいに波立ち、とてつもなく大きな魚の影が見えたかと思うと、クモの糸が巻きつけられた速記シャープは、目にもとまらぬ速さで、淵に引き込まれていきました。
万太郎は、もし、自分の足に巻きついた糸を、速記シャープに巻き直さなかったら、自分が淵に引きずり込まれていたのだと恐ろしくなって、腰を抜かしておりますと、速記シャープは、手の届くところに浮いています。万太郎が速記シャープを拾って、引っ張り上げますと、この淵の主と呼ばれるにふさわしい大きな魚が釣り上がり、しばらくびたんびたんしておりましたが、割とすぐにおとなしくなりました。
万太郎は、淵の主を近所の者たちに分けてやり、母親には、普通の魚を食べさせました。
教訓:万太郎の速記シャープは、後にプレス万太郎と呼ばれ、さらにプレスマンと呼ばれるようになったが、プレスが何なのかは不明である。淵の主の名前であるという説があるが、多分後づけ。




