結城朝来野(ゆうきあきの)
木曽福島駅に電車が到着する。改札口から乗客がぱらぱらと降りていく。
改札前では宮司の阿久津と浅川が待っていた。
すると乗客の中に、見るからに雰囲気の異なる老人がいた。普通の和服を着ているのだが、佇まいが一般人とは明らかに違う、いわゆる気といったものを感じるのだ。
阿久津が手を上げる。
老人は阿久津を見ると笑顔になる。そうして改札を通った瞬間に、見事に表情が曇る。何かを感じたようだ。
「結城宮司、お久しぶりです」
結城は会釈をした後、周囲を見回す。そしてため息をついた。
「阿久津さん、これはいったいどういうことです」
阿久津は首を振る。
「ええ、今、この地に不穏なものがいるようです」
浅川が挨拶する。
「長野日報の浅川と申します。この度は遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
結城は硬い表情のまま、こちらこそと挨拶する。
結城朝来野、今、日本にいる祓いしの中でも5本の指に入る人間だという。熊野修験道で修業を積み、宮司となった。現在は和歌山県の熊野神社で宮司をしているそうだ。年齢は80歳を越えたと聞いたが、日々の修行のせいか、もっと若く見える。髪は白くなっているが、姿勢がよく、60代と言っても差し支えがないぐらいだ。
結城が阿久津に話す。
「お祓いということでしたが、これは大変かもしれませんね。ここまでの悪気を感じたのは初めてです」
阿久津が申し訳なさそうに言う。
「結城宮司にしてそこまでですか」
「ええ、いったい。どんな悪霊なのか」
「まずは私の家で話をしましょうか」
結城がうなずき、神山神社に行くことになった。
阿久津の家で、これまでのいきさつを浅川と阿久津が説明する。
結城は一通り話を聞き終えて、静かに話す。
「職業訓練校ですか。被害者はそこの関係者、在籍していた人間ですね」
「そうです」
「あなたのお兄さんも行方不明になっている」
「はい」
結城は目をつぶって上を向く。
「あまりいい話では無いですが、行方不明の方々も同じような運命を辿っている可能性が高い気がします」
浅川が驚く。
「それはどういう?」
「3人の方が亡くなってますが、どれもむごたらしい殺され方です。行方不明の方も何らかの方法で命を奪われているのではないかと。発見されないだけかもしれません」
浅川は絶句する。確かにそう思わないこともなかった。ただ、高名な宮司に現実を直視することを言われ、言葉がない。
「この地に巣くう悪霊は強烈です。凄まじい力を持っている。さらにこれが一番困ることなのですが、お話を聞くと愉快犯的な動きをしている」
言葉が出ない浅川に代わって阿久津が聞く。
「愉快犯ですか?」
「ええ、人を殺めるのを楽しんでいるやもしれません。すべての殺人がそれを暗示しています。普通に憑り殺すといったものではない」
「ああ、確かにそうかもしれませんね」
「さきほど話の合った石室に何かを封じていたのでしょうね。それが壊されたことで悪霊が復活してしまった」
ここでようやく浅川が復活する。
「ただ、石室の破壊から時間が経っています。なぜここに来て急に活動を始めたのでしょうか?」
結城は考える。
「こういった霊の動きは読めないところもあります。考えうる可能性としては力を蓄えていたのかもしれませんね」
「蓄えていた…」
「そして今やその大いなる力を十二分に発揮している」
阿久津が懇願する。
「結城宮司のお力でなんとか出来ないでしょうか?」
結城はいったん下を向いてから、顔を上げる。
「やるしかないでしょう。これ以上、犠牲を出すわけにはいきません」
「ありがとうございます」
浅川は本来の目的である新聞社としての取材に入る。
「結城宮司、熊野修験道についてのお話いいですか?」
「ええ、どうぞ」
「具体的にはどういった修行をなさるのですか?」
「はい、我々は自然を通じて修行していきます。和歌山の山岳地帯に居していますからね。周囲の山、川、滝そういった自然すべてを使って修行します。これを『行』と呼んでいます。それにより悟りを開くのです」
「なるほど。そうですか。それで宮司が悟りを開くまでには、どのくらいかかったのですか?」
結城宮司が手を振る。
「いえいえ、悟りを開くなどまだまだです。最終的には仏と同化するのが目的です。簡単に言うと即身仏ですか。そういった域に達するまで修行を続けていきます。言い換えれば修行は死ぬまで終わらないのですよ」
浅川は呆気に取られる。80歳にしてまだまだとは熊野修験道の奥深さを感じた。
「最初は年2回の峯入り、霊山登りです。それを十数回、10年以上は続けます。それにより修験者としての基礎体力と技術の体得を行い、神仏との感応力を養っていきます。その上で師匠から認められれば『先達』、つまり一人前となります。私も先達までに10年以上かかりました」
「そうですか。大変な修行ですね」
浅川は素直に感心する。
「それで宮司はお祓いもなさっているのですか?」
結城宮司はため息をつく。
「こんな時代になっても悪霊と言うものは無くならないものです。もちろんそういった事例については、医者によると精神疾患と言う診断が主たるものです。ただ、それでは解決できないものが出てくるのです。そうなると概ねそこには霊魂が絡む場合が多い。悪霊に対処するために我々がいます。今は若い修験者も育ってきています。彼らが担当することもあります。ただ、阿久津宮司から聞いた話だと、どうやらそんな簡単なものでもないらしい。今、浅川さんから聞いた話ですと、これまで出会った悪霊の比ではない。下手をすると最強だと思います」
「やはりそうですか」
「熊野修験者としての私の全精力を注ぎこみましょう」
「ありがとうございます」
「それで最初に行いたいのは敵を知ることです。まずは、その訓練校の状況を確認させてください」
浅川が言う。
「わかりました。今回のお祓いは訓練校が希望している案件です。まずは校長に話を聞きましょう」
結城がうなずく。