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阿久津宮司

 浅川は日中、仕事に忙殺され、夕方になってようやく神山神社に行く時間が取れた。

 神社の境内前の石段を上がっていく。陽の光が西に傾き、木々の中から夕陽がこぼれてくる。ここにはカラスの声もあるが、今はセミの声がこだましている。まさしく耳鳴りのように響いて来る。夏の盛りである。

 こうやって木曽福島まで来ると夜にもなり、結局は実家に泊まることになる。このところそういうことが増えてきている。食事の支度をしないでいいのは楽でいいが、両親の冷ややかな視線が気になる。言いたいことはわかる。早く身を固めろだ。

 せみ時雨の洪水の中、本殿の脇にある宮司の自宅を訪ねる。

 玄関の引き戸を開けると、たたきに女性の靴があった。先約がいたか、こちらはアポなしだ。

「すみません。長野日報の浅川です」

 宮司の阿久津とはすでに何回か会っていた。それでアポなしでもなんとかなると思って来たのだ。阿久津は耳が遠いこともあって、大声で数回呼ぶ必要がある。さらにもう一声と気合を入れたところで、宮司が顔を出した。意外に早い。

 そう思ったが宮司の後ろに知った顔があった。

 木曽福島署の戸川刑事だ。なるほど、それですぐに来客に気が付いたのか。

「阿久津さん、こんにちは」

「はい。どうも」

 戸川蘭が後ろから会釈する。浅川はこの戸川が苦手である。刑事ということもあるが、どこか今時の若い娘といった印象がある。若さを武器にする。

 こういった感情は、浅川のような年代の女性特有の感情なのかもしれないが、他のおっさん連中の感覚とは明らかに違う。おっさんたちは別に気にならないよな、などと戸川のような娘を擁護する。それがまた癇に障るのだ。

「阿久津さん、今日は相談があります」

 阿久津は何のことだろうかと、不思議そうな顔になる。

「記者さんが何の相談ですかね。まあ、入ってください」

 そういって浅川を入れてくれた。

 居間に通される。

 20畳はあるだろう広い部屋に、漆塗りの大きな座卓がある。宮司はお茶の用意などはしないから、戸川が持ち込んだのだろう、お茶のペットボトルが二つ置いてあった。

「お茶とか出せなくて申しわけないね」

「いえ、大丈夫です」そう言って戸川に確認する。「戸川刑事の用事は済みましたか?」

 戸川がうなずく。

「はい、大丈夫です」そういってはにかんだ表情になる。「私がいない方が良いですか?」

 こういう仕草も気に入らない。ただ、ここでむげに断るような話でもない。むしろ警察にも聞いてほしい話だ。

「いえ、戸川刑事が問題なければ、そのまま、いてもらってけっこうです」

 それを聞いて阿久津が話をする。「何でしょうか?」

「このところの一連の事件についてです」

 二人の表情が硬くなる。

「職業訓練校の職員から話を聞いたところ、あそこになにかあるのではないかと疑っているようです。宮司の方で何か気付くようなことは無いですか?」

 明らかに阿久津が動揺するのがわかる。戸川が不思議そうな顔で阿久津を見る。

 阿久津はペットボトルのお茶を飲むが、話をしないので浅川が促す。

「この半年の間に不可思議な事件が次々に起きています。それもすべてがあの職業訓練校絡みです。どこか不自然ですよね」

 阿久津が観念したかのように話を始める。

「そうですね。少し私の方から話をした方が良いでしょう」

 再びお茶を口にする。

「実は以前から少し気になることがありました。職業訓練校のあった辺りは、昔は中山道の要所だったらしいのです」

「要所?」

「江戸時代の話です。この神社には古文書もあって長野科学大学の先生も分析されたようですが、それによると、あそこには関所があったと聞いています」

「関所ですか?」

「そうです。関所は江戸幕府が設けた重要な交通の要衝でした。人や物資の往来を厳しく取り締まる役割があった。浅川さんは『入り鉄砲に出女』って言葉を聞いたことがありますか?」

 浅川は少し考える。

「確か、江戸への鉄砲などの武器の搬入を禁止することと、出おんなは大名の婦人、いわゆる江戸幕府が囲った人質ですか、それらの移動を規制するといった話でしたか」

「ええそうです。関所では実際そういった取り締まりがありました。また同時に犯罪者の取り調べや、場合によっては処刑も行われることもあったようです」

「処刑ですか」

「木曽福島に関所があったことは間違いないのですが、今言った処刑場もあったようなのですよ。そういった内容は先ほど述べた古文書にも記載があったようです」

 浅川ののどが鳴る。阿久津が言う。

「その処刑場の場所が、あの辺りだったのかもしれません」

「そうなのですか?」

「そうではないかというぐらいです。はっきりした話ではありません。実際に場所の特定は出来ていないようです」

 再び阿久津は口ごもる。

 浅川はじっと待つ。戸川は初めて聞く話に興味津々になっている。

「これから話す内容は、ここだけでと言うことでお願いします。確証の無い与太話の可能性が高いと思っています」

 浅川は形ばかりにうなずく。記者が記事にしないわけにはいかないのだ。

「訓練校の地鎮祭は私が行ったのですが、そこで建設会社の人間から気になる話を聞きました。地鎮祭前に建設会社のほうで土地をならすんですが、あの辺りは樹木が多くありました。それらの伐採と地面の掘り起こしまで行ったようです。その時に石で出来た大きな石室のようなものが出てきたそうです」

「石室ですか?」

「ええ、奈良県に石舞台古墳というものがありますが、それと似たような形で大石を積み上げたような形だったそうです。それを壊して平地にしたわけです」

「それだと遺跡調査の対象では無かったのですか?」

「私も詳しくは知らないのですが、形ばかりの調査は行ったようです。ただ、年代的に江戸時代でもあり、石室といっても大きな石があっただけで、何かが中にあった訳でもない。いわゆる貴重品などの類はまったく無く、遺跡としての価値は無いということになったようです」

「それで石室は破壊されたのですね」

「そうなります」

 浅川は少し考える。

「でも事件が起きたのはこの半年です。もしそういった遺跡を壊したのが要因だとしたら、もっと早くから事件は起こるべきだと思います。その点はおかしいですね」

「ええ、そうです。ですから直接関係ない話だと思います」

 戸川が言う。

「警察がするような話ではないかもしれませんが、私も何か人知をこえたものの仕業ではないかと思ってしまいます」

 阿久津が肯定とも否定とも取れない、ゆっくりしたうなずきをする。

 浅川が阿久津に尋ねてみる。

「素人考えですが、阿久津さんは宮司であられますよね。そのお力で何かできないのでしょうか?」

 阿久津は笑みを浮かべる。

「それは難しいですね。宮司が行うのは典型的な除霊作業です。地鎮祭もそういった意味合いがあって、こう言っては何ですが、形式的なものが多い。実際、お祓いの儀式もやることはあるんですよ。ただ、もし今回、事件がそういった祟りのようなものだとすれば、私の力では無理です」 

「そうですか…、あの、もし、そういった霊的な御払いを行いたいとすれば、適任者はいるのですか?」

「そうですね…」阿久津は記憶をたどる。

「ええ、おりますよ。そういった修行をしたものが何人かいます。私が存じ上げている人間は、元々熊野修験道の人間で山伏の修行もしています」

「そんな方がおられるのですね。それで、その方にお祓いをしていただくことは可能ですか?」

 阿久津は眉間にしわを寄せる。

「もちろんお祓いはできるでしょう。彼は日本でも有数の修験者です。ただ、高齢なのでそういった霊力が維持できているかはわかりません」

「おいくつぐらいの方ですか?」

「80歳は越えたと思います。呼びますか?」

「無理な相談だとは思いますが、是非お願いしたいです。この状態を改善するにはそういった方の力が必要です」

「私もそう思いますがね」阿久津は考えている様だ。

「阿久津宮司、少し時間をください。訓練校側がそれを望むのか、もしだめならうちの会社で何かできるかの確認を取ってみます」

「そうですか。わかりました。私の方でもその宮司に話だけはしてみます」

「ありがとうございます」

 

 浅川たちはこれで宮司との会話を終わりにし、帰途につく。

 境内はすでに暗くなっており、セミも鳴いていない。ここには灯りがほぼない。月明りが煌々と辺りを照らすだけだ。

「戸川さんは宮司にどんな用事があったの?」

「ああ、あの事件の確認です。実際、宮司が現場をご覧になられてますので」

「なるほど、結構大変ね」

「刑事課でも私が一番若いですから」

 戸川がきらきらした顔で笑う。

 浅川はこの境内で忌まわしい殺害があったことを思いだす。今は静けさしかない。どう考えても不可思議な話なのだ。こんな静かな場所で、何があんなことを起こしたのだろうか。

 戸川も同じ思いのようで、不思議そうな顔で境内を見回す。

「カラスなんて一匹もいないです」

「確かにね」

「やっぱり何かの祟りとしか思えないですね」

 戸川も同じ思いなのだ。さてどうしようと考えたところで突然、スマホがけたたましく振動した。


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