職業訓練校
木曽福島に職業訓練校が開校したのは一昨年のことである。
職業訓練校は高校とは違って、社会人も受け付ける。2年間の技術講習や実習を通じて、様々な専門技術を身に付けることができ、そういった技能を身に付けることで、円滑に専門業務に就くことができる。地域振興の一環として設立された経緯がある。よって講習内容も医療から介護、栄養士、IT技術者、簿記・会計など多岐にわたる。
行方不明となった浅川新三郎は佳子の兄で、5つ年上の43歳になる。都内で働いていたが、両親が高齢になり、学校が新設されたことを機に、昨年、地元に戻って来た。佳子もこの木曽福島の出身だが、今は長野日報のある松本市で単身暮らしている。
浅川佳子は職業訓練校の駐車場に車を停めると、事件についてまとめた自身のメモを見返す。
①浅川新三郎
浅川佳子の兄。43歳訓練校の経理課勤務。昨年12月20日に学校から帰宅した以降の消息が途絶える。
これが最初の事件である。実家から新三郎が帰って来ないとの連絡を受け、佳子が学校に確認するが、すでに帰宅したとの話だった。翌日になっても連絡が付かないことから、木曽福島署に捜索願を出す。しかしながら目撃証言も皆無で、以降の消息が不明となっている。現在までに何の手掛かりもない。
②沢村仁
介護福祉士養成科の生徒で33歳。今年の3月30日に行方不明になる。翌日以降無断欠席が続き、不審に思った教師が連絡を取ろうとするも音信不通で、最後はアパートまで行き、不在を確認した。その後、親から捜索願が出されている。
佳子が両親に取材するが、行方不明前にまったくそんな様子は無かったとのこと。新三郎と同様に以降の消息はまったく無い。消えたようになっている。
③岸夏彦
訓練校の職員。総務担当主任。45歳。5月2日から行方不明となる。奥さんから学校から帰宅しないと連絡があり、判明する。翌日に捜索願が出された。
佳子が取材するが、こちらもまったく思いつくことがないとのこと。以降の消息は不明でこちらも何の手掛かりもない。
④沢村祐介
訓練校の職員。庶務係で再雇用扱いの63歳。6月15日に自宅付近の林道わきの森林内で遺体で発見される。熊による獣害のようで四肢どころか、全身がバラバラになっていた。さらに食われた跡もあった。獣害として処理されたが、長野科学大学農学部の芥川一郎教授によるとこういった獣害の例は、これまでないとのこと。ヒグマなどは食べやすくするために部位を分解はするが、あくまで食する目的であり、今回のような例は稀有だと言っていた。ましてやこの地域にはツキノワグマしかいないはずで、そういった習性はみられないはずだという。さらに熊の痕跡ともいうべき体毛や体液は検出されなかった。
⑤鈴木幸人
訓練校電気工事科の生徒。17歳。下校途中に神山神社境内にてカラスに襲われる。時間は21時ごろで、周囲は月明り程度の明るさだった。
同じく芥川教授に真偽をたずねるも、夜間にカラスが人を襲うことなどありえないという話だった。カラスは自身の子供が小さい時期に、警戒行動から人を襲うことはあるが、あくまで威嚇目的である。食するために鳩や猫を襲った例はあるが、人間を襲ったことはこれまで無い。鳥が人を襲うなど映画だけの話だと言われた。
実にこれだけの人間がこの短期間に事件に巻き込まれている。いったいこの学校で何が起きているのか。
車から降り、浅川は校舎を見渡す。
学校は国道19号線と県道461号線の間にある、旧中山道脇に建てられている。2階建てで横に広い建物である。授業だけでなく、実習もあることから各部屋が広く取られている。体育館や校庭などがない代わりに、校舎自体が広々としている。
初夏なのだが、山間部でもあり、周囲の森林の影響もあるのか、暑さを感じない。太陽は真上にあって、陽の光は周囲に満ちているはずだが、どこか寒々と感じる。
これはこの学校に最初に来た時から感じた印象だ。
浅川はここには何かあるとは思っていた。
正門を通って、校舎入口から中に入る。入り口脇には来客者確認用の受付があり、そこには年配の守衛が常駐している。何度か来ているので、浅川はその守衛とも顔なじみだ。
「こんにちは、校長先生と面会の約束があります」
にこやかに守衛が応対し、来客者確認用の画面で浅川を確認する。
「お疲れ様です。どうぞ」
浅川は軽く会釈しながら、中に入って行く。
廊下には最新のLEDライトが点けられている。ただ、どこか人工的な色でむしろ蒼く映る。そのせいか、すれ違う人の顔までもが青ざめて見えてしまう。はたしてこの灯りは正しい選択なのだろうか。
壁の色も白のはずが、どこかくすんで見える。
廊下の両脇には教室があり、現在は様々な授業が行われている。教師が指導している声が聞こえる。浅川はさらに廊下を進み、突き当りを折れて左に曲がっていく。その奥が校長室だ。広い校舎のせいでここまで来るのに長い時間歩く。
校長室の扉をノックする。
「長野日報の浅川です」
中からどうぞと声がする。
部屋の中にいた校長は58歳。頭髪が薄くなっており、?せ気味のせいか校長と言うほどの威厳を感じない。浅川がイメージする校長は、それなりに太っていて貫禄があるように思うが、この男性は貧弱で弱弱しく見える。
「まだ、見つからないそうですね」
校長は新三郎のことを言っている。
「ええ、昨日も警察に顔を出したんですが、一向に進展がありません」
「困りましたね」
なんとなく、この男が抱えている問題が、貧弱なイメージを醸し出すことに気づく。学校の責任者として、ここまでの事件は由々しき問題なのだろう。
「学校の方で何か情報は無いでしょうか?」
眉間にしわが寄る。
「いや、無いですね」
浅川は今日の本題を切り出していく。
「実は長野日報で、今回の一連の事件を扱おうということになりました」
「ああ、そうですか」
「校長先生にも取材の許可をいただきたいと、お願いに上がったところです」
校長は渋面で躊躇する。
「報道として記事にしたい気持ちはわかりますが、どうにも変な噂ばかりが広がってしまってね。うちとしては困ってるんですよ。実は生徒にも辞めるものが増えて来ています。どうかするともう3割ぐらいが辞めているんです」
「そうですか」
「根も葉もない噂が多くて困っています」
「祟りですか?」
校長が驚いて目をむく。
「今時、そんなことがあるわけないでしょ。ただ、ああいう噂は面白がって広まっていくもんです。祟りだとか、呪いだとか、面白おかしく騒ぎ立てる。ネットをなんとかできないものですかね」
「そうですね」
「困ってます」
「長野日報としてはそういったキワモノの記事にはしません。ただ、事件としては起きている訳で、その事実については原因も含め、淡々と記事にしていきたいと思っています」
校長は黙る。
「業務に差し支えるような対応はしませんので、職員や生徒への取材をお許しください」
「まあ、仕方ないのかな。長野日報さんにはそれなりにお世話になることもあるでしょうから」
「はい」
「仕事の邪魔にはならない範囲でお願いしますよ。それと記事にする場合は、私の許可を取ってからと言うことで進めてください」
「わかりました」
これで取材する大義名分が取れたことになる。
早速、浅川は学校内の事務室に顔を出す。
ここには浅川の顔なじみがいる。兄、新三郎の同僚である夢野久子である。年齢は40歳と浅川と同年代で話しやすい。
浅川が顔を見せるとその夢野の方が寄ってくる。
「浅川さん、ちょっといいですか?」
「ええ、大丈夫です。何かありましたか?」
夢野は周囲を見て、周りの目を気にする。
「今晩、お時間取れますか?」
浅川としてもそういった話をしたかったので、渡りに船だ。二つ返事で申し出を受けた。