木曽福島警察署
それから1週間後。神山神社の遺体はDNA鑑定の結果、鈴木幸人のものと確認された。また、司法解剖結果も鳥害の可能性が高いということになる。これでひとまず事件は決着した。つまりは事故として処理されたのだ。
木曽福島警察署でも事件性の有無が議論されたが、はっきりしない点が多く。要は手詰まりとなり、事故として扱うことに異論はないという、灰色の結論となった。当然、遺族側が納得する形ではない。
夜になり、外回りから、野崎が戻ってくる。
木曽福島署の刑事課は課長を入れて10名で、所轄としても小規模な構成となっている。町の規模が小さく、これで十分だろうというのが、県警の上の言い分だが、この人数で他の所轄並みの仕事量がある。やることは刑事事件や組織犯罪、詐欺対応など多岐にわたる。さらにいかに山間部の寂れた町と言っても、それなりに事件は起きる。よって署員は常に疲弊している。
刑事課には課長と部下の戸川蘭が残っていた。戸川は27歳の女性刑事である。木曽福島署始まって以来の女性刑事である。
「戸川さん、まだいたのか、遅くまでご苦労だな」
「お疲れ様です」
戸川の顔を見て、野崎はなんとなく気が付く。
「また、来てるのか?」
「ええ、昼過ぎにやって来て、夜まで帰って来ないと言ったら、またさっき来ました」
野崎は呆れ顔になる。
「まったくしつこいな。記者だけに無下にも出来ないしな。どこにいる?」
「そこの会議室で待ってもらっています」
刑事課の脇に会議室がある。
「戸川さんは、それで残ってたのか?」
「ええ、まあ、それ以外に仕事もありますから」
奥の席にいる課長の中山が乗り出すようにして言う。
「もう帰っていいって言ったんだがな」
野崎は苦笑いだ。
野崎が会議室の扉を開ける。会議室は8畳ぐらいの広さでホワイトボードと机がある。そこに座って忙しそうにノートパソコンを駆使している女性がいた。
野崎に気づき、顔を上げる。
「野崎さんお疲れ様です」
「浅川さんもご苦労さんだね」
浅川佳子、長野日報の新聞記者である。歳は30代後半、髪をポニーテールにした、いわゆるキャリアウーマンである。
「その後、どうですか?」
「お兄さんの件だよな。申し訳ないが、まだ進展はないんだ」
「そうですか。手がかりもないですか?」
「そうだな。情報提供を呼び掛けてはいるが、いまだに有力な情報はないんだ」
浅川は少し考えてから話す。
「先週も鳥害で一名亡くなってますよね」
「ああ」
「一カ月前には熊の被害で一名」
野崎は身構える。浅川の言いたいことが見えてくる。
「どちらも不可思議ですよね」
野崎は返事をしない。言えば藪蛇になる。
「カラスが夜中に大量に人を襲うことなどありえません。それと熊の被害もそうです。この周辺にはツキノワグマはいますが、あそこまで食い散らかすのも不自然です。ヒグマならまだしも、長野にヒグマはありえない」
「まあ、浅川さんの言いたいこともわかる。ただ、専門家の意見を聞いても可能性は低いが、全くないということもないという結論だよ。それに他の要因が見当たらない」
「そうですか…、それと兄を含めて、この半年で3名も行方不明者が出ています。いまだかつて、この町でこういったことは起きていません」
野崎は再び黙る。
「警察はどうされるおつもりですか?」
「いや、それは当然、行方不明者の発見を最優先しているよ」
「野崎さん、いまや世間で、もちきりの噂を知ってますか?」
「何のことだ?」
「何かの祟りじゃないかと言う話です」
野崎はなるほどと言う顔になる。実際、署内でも同じようなことを言うものもいる。
「そういう噂話があるのは知っているが、いや、まさか記者さんもそう思ってるんじゃないよな」
「もちろんです。ただ、そういった話に便乗して、犯罪を起こしている輩がいるんじゃないかとは思ってます」
「まさか」
「野崎さん、こういう田舎町だから、そういった犯罪は無いといった思いこみはマイナスですよ。いまや日本中どこでも同じような事件が起きています。ネットの影響は絶大です。そういった犯罪予備軍は、田舎だろうと都会だろうとどこにでもいるんです。現にこの長野でも通り魔殺人が起きています」
野崎は返事をしない。しゃべりで敵う相手ではない。
「浅川さん、とにかく情報が入ったら真っ先に教えるから、今日のところはお引き取り願えるかな」
まあ、体のいい追っ払いである。
浅川を帰すと野崎は自席に戻る。戸川は帰宅したようだ。
課長の中山が話をする。
「行方不明者は浅川の兄さんだったよな」
「そうです。半年前にふっといなくなったらしいんです」
そう言いながら野崎は書類を確認する。
「浅川新三郎、43歳、職業訓練校の経理課事務員」
中山が怪訝そうな顔になる。
「野崎も知ってるだろうが、その学校に変な噂があるだろ」
「ええ、知ってます」
「事故死した2名もそこと関連があったし、行方不明者もその学校関係者だよな」
「祟りですか…」
「まさかとは思うが、そういったことを使った、愉快犯ということも考えた方が良いかもしれんな」
「県警のほうでもその可能性を探ってるみたいです」
「そうか」
署内の冷房は切れているのだが、野崎の背筋はひんやりとしていた。