よりしろ
なんとも不思議な取り合わせである。
純和風な神山神社の居間に外国人が二人いる。
彼女たちは当然、正座などはできないから胡坐をかいて座っている。
相手をしているのは浅川と戸川、兼任宮司の比嘉である。
フランソワがこれからやる儀式について通訳している。
儀式の場所は神山神社の神殿を使うという。
そこに浅川を寝かせた後、エノーの力でトランス状態にする。その上でエノーが霊に乗り移って話をさせる。比嘉宮司がこのことをイタコですか、と言ったがまさにその通りだという。
つまりは浅川に憑依した悪魔と、エノーを通じて会話するのである。
悪霊が素直に話をしますかと言う質問には、エノーには精霊が付いていると言われた。エノーが持つ能力で、ある程度は聞きだせるということだろう。そしてもしそれが上手くいかなかった場合については、話し手の戸川に別の指示をするという。それをこの場で浅川に言うわけにはいかない。なにせ彼女には悪霊が憑いている。情報が駄々洩れになってしまうのだ。ただ、この話を聞いた後の戸川の顔からして、彼女にはとんでもなく荷が重いことだと思われた。
浅川とエノーはトランス状態なので、聞き取りは戸川が行うしかないのだ。フランソワの日本語だと理解度に問題がある。比嘉宮司はこれまでの数々の事件を知っており、その役目を最初から拒否していた。最初から逃げ腰なのだ。よって戸川がやるしかない。
前日にエノーからは必要な物を言われており、それは手配済だった。すべて神殿に置いてある。
昨日、憑依されていると言われた浅川は一晩中、考えこんでいた。
いったい、いつどのように憑依されたのだろうか、考えられるのはやはり昨年のお彼岸に瑞祥寺に行った時なのだろう。和尚から無縁塔付近で気を失ったと聞いた。浅川自身にそんな覚えは無かったのだが、おそらくあれは本当のことだったのだ。あの時に憑依されていたのかもしれない。
ただ、憑依されたといえ、どうして今回の事件が、昨年の12月から起き始めたのかがわからない。9月の彼岸には憑依されていたとして、新三郎の事件が起きたのが年末である。どこからそんなタイムラグが生まれたのだろう。それを含めてエノーがすべて明らかにしてくれるはずだ。
エノーにはこれまでのいきさつをすべて話してある。これまでの祓いし同様、エノーも激しく憤っていた。そして亡くなった方たちの無念を晴らしたいと強く言ってくれた。さすがは最強の戦士、アマゾネスの子孫だ。
このアマゾネスというのには逸話がある。ベナン共和国には17世紀から19世紀末にかけて実在した、世界でも珍しい女性のみで構成された強力な軍隊があった。現地ではアホシと呼ばれていた。アマゾネスとは西洋人が使った言葉だ。19世紀末にフランスに攻撃を受けた際も彼女たちは勇猛果敢に戦った。結局は近代兵器に敗北し、ベナンは植民地化されたしまった。
そういった戦士の血がエノーにも流れている。実に頼もしい女性だ。
エノーは神殿に足を踏み入れた瞬間に、ここが精霊のいる場所だと理解する。彼女にはそういった能力があるようだ。
神殿の中央に浅川を寝かせると、じっとしているように指示する。これ以降、浅川は何もしない。ただ、目をつぶって成り行きに任せるだけだ。
そしてエノーは浅川の周囲4か所に蝋燭を立てる。方角は東西南北だ。こういったところも、神道の四神の考え方と同じである。これは結界となる。
次に用意した灰を使って、床に絵を書き出した。
フランソワが緊張で顔が真っ赤の戸川に話す。
「あれは神レグバのヴェヴェ(よりしろ)を描イテイマス。レグバはヴェヴェを使って『門』をコントロールシマス。門はこの世とあの世の境界ノコトデス」
戸川がどこまで理解したのかはわからないが、彼女は深くうなずいていた。
エノーが合図する。いよいよ儀式が始まる。
?燭に火をつけていく。4つの蝋燭すべてに火がともり、これで結界が完成した。
次にエノーはラム酒を床に垂らす。そして何かの祈りの言葉を投げかける。
ひょうたん型のガラガラを鳴らしながら、その音に合わせてリズムのある呪文を唱えていく。
これで浅川はトランス状態に入っていった。顔が赤らみ、汗ばんでいくのがわかる。
エノーは浅川の額にもお酒を垂らし、自身の額にも垂らしていく。
そして床に座り、呪文を続ける。
戸川とフランソワはそれをじっと見守る。
しばらくすると、ろうそくの炎がふわっと揺れた。そして明らかに神殿の空気が変わった。
エノーが首を垂れ、前方に突っ伏した。
フランソワが戸川に言う。「さあ話してミテ」
戸川がおっかなびっくりに質問する。
「あなたは誰ですか?」
するとエノーは、凡そ彼女の声ではない男の声を出す。それも日本語だった。
『誰だって、ふっ、今さらそんなこと聞いてどうする』
「言いなさい!」これは予め、戸川が言われていたことだ。悪霊はたぶかる。
『言ってどうなるってんだ!』
真っ赤になった戸川が浅川のところに行く。そしていきなり彼女の首筋にナイフをかざす。それはエノーから受け取っていた聖なるナイフだ。
「言わなければこの女を殺す。そうすればあなたはこのまま元に戻るしかない」
『…』
戸川が首筋のナイフをさらに深く押していく。首から血が滲んでくる。
『あ、綾辻新三郎だ』
ついに悪霊が答えだした。戸川は本当は安心したのだが、そんなそぶりを見せずに質問を続ける。
「どうして現れたの。あなたの目的は何?」
『楽しいからだよ。人殺しが楽しくて楽しくて仕方が無い』
戸川が聞くまでもなく、悪霊は堰を切ったように話し出す。
『俺は戦争に行った。そこで人を殺しまくった。兵隊だけじゃない。民間人も殺しまくったさ。それはそれは楽しい経験だった。まったく夢のようだったよ。人殺しをして褒められるんだからな。殺し方はこっちの自由だ。ああ、なんて素晴らしい体験だったのか。いったい、何人殺したかな。とにかくあんな体験はこれまでなかった。最高だった。
戦争さえ続いていれば、よかったのにな。結局、日本は負けちまった。まったく糞だぜ。それからは俺にとって地獄だった。食うものもなく、命からがら本土に戻ってきたが、仕事もなく、ひもじい思いしかしない。盗みもしたがそんなことじゃあ、俺の心は満たされなかった。
社会秩序なんて糞くらえだ。もうどうでもよくなった。俺の生きる意味がない。そこで考えた。生きるために人を殺そうってな。俺は気持ちよくなるために人を殺していったんだ。
そして、それはまさに恍惚だった。射精なんて目じゃない。なんてすばらしい体験なんだろう、生贄が苦しめば苦しむほどに、こっちの気持ちが良くなるんだ。助けてくれと何回聞いても、聞けば聞くほど気持ちがいいんだよ。いや、むしろそれが聞きたかったんだ。
じわじわと殺していくのが最高に楽しかったさ。ただ、それもそのうち終わる。生贄は動かなくなるからな。仕方なく次の獲物を探していくんだ。しかし、何度やっても俺の欲望は募る一方だった。
村から村へと渡り歩いて行った。そして獲物を見つけてはさらっていくんだ。獲物を探すのも楽しくってな。ぞくぞくするんだ。とにかく悲鳴を上げそうな、怖がりそうな獲物を探していくんだ。そして至上の快楽をむさぼり続けていった。最高だったぜ。
そんな時だ。俺はついうっかり、へまをしちまった。女を襲おうとして、その男に見つかっちまったんだ。男はいきなり切りつけてきやがった。背中、腹なんか色々刺されちまった。しつこい奴だったよ。俺は逃げに逃げた。そうしてここまでやってきた。山に入ったら、さっぱり道がわからなくなっちまった。仕方なくしばらくは身をひそめてた。すると俺の中の何かが切れちまったんだよ。意識が無くなってきて、ああ、俺は死ぬんだって思った。そして死んだ…はずだった。
ところがある日、唐突に目覚めた。生き返ったのかと思ったが、違ってた。俺は実体のないものになっていた。お前たちが言う霊さ。どういうことかと周りを見て気付いた。俺の近くに俺以上の悪霊がいたんだ。そいつの力は何故だか弱かったが、おかげで目覚めることができた。ただそこから動けなかった。どうも霊魂を具現化する手段がわからなかったんだな。そして時を待った。俺の力を解放するためにな。
そしてその後、俺の遺体が埋葬された。万事休すかと寺で待ってたら、来たんだよ。ついに俺を実体化できるものが…』
「浅川さんのこと」
『そうだ。この女は媒体だ。見た瞬間わかったよ。ああ、俺はこいつを使って動くことができる。ただ憑依はできたがそれまでだった。まだ、力が足りないんだ。それであの悪霊の力が必要だとわかったよ。とにかくあの場所に戻る必要があった』
「石室があった場所、職業訓練校のことね」
『そう、そこだ。ただ、どうやってあそこに行くかが問題だった』
「どうしたの?」
『ふふふ、この女に俺を兄貴だと思わせた』
戸川があっとつぶやく。
『新三郎だよ。それでこの女は兄貴があの学校にいると思い込む。学校に行けばこっちのもんだ。あそこに入った瞬間に俺は覚醒できた。ただ、この女に何度も学校に行かせる必要があった。あそこに行かないと俺の力が出ないからな。それで学校にいた職員を新三郎だと思わせた。そいつは真っ先に殺したがな。この女は行方不明になった兄新三郎の情報を取りに、何度も学校に顔を出す。それを利用して俺は獲物を探す。俺の悪霊としての力はそれこそ、この世のものでは無いぐらい強烈だったよ。俺の能力は獲物に最高の恐怖を与えられるんだ。もっとも怖いものに殺されていくほど、つらいことは無いだろうよ。獲物の恐怖の表情たるや、これまでの殺人では味わえないものだったよ。俺は病みつきになった。これこそが俺が待ち望んでいた力だ。至高の喜びだよ』
「こんな事いつまで続けるの?」
『ぐはははは、止めれるわけがないだろ、ずっとだよ。なんせ俺は死なないからな。ははははは』
新三郎の醜い笑い声が神殿中に広がっていく。
フランソワは聞くに堪えないと思ったのか、もうこれまでと?燭の火を消す。
戸川はがっくりと首を垂れた。
そしてエノーがむっくりと起き上がる。彼女の目が燃えていた。




