瑞祥寺
木曽福島を流れる末川にかかる古い橋を車が渡っている。車はさらに細い山道を行く。
山の中腹といったところに瑞祥寺があった。
駐車場に車を停めると、浅川と戸川がお寺に向かっていく。
「ここは浅川家の菩提寺なのよ」
「ボダイジ?」
「ああ、先祖代々の墓があるお寺って意味ね」
「ああ、そうなんですか」
「戸川家のお墓はどこにあるの?」
「お墓ですか…、どこだったかな」
「そう」
若い子はそんなものなのだろう。お墓について心配するような歳でもないのか。
「よく来られるんですか?」
「いや、滅多に来ないかな。前来たのはいつかな。あ、去年のお彼岸の頃だったかな」
「そうですか」
お寺の本堂脇の住職の自宅を訪ねる。
「すみません」
中から和尚さんが顔を出す。見事に禿げあがった60歳ぐらいの恰幅の良い男性だ。
「はい、こんにちは」
若い女性が二人連れで、何事かと言う顔になっている。浅川を覚えてないのは当たり前か。
「浅川と申します」
それで気が付いたようで「ああ、浅川さんですか」と言った。
「今日はお願いがあって来ました」
「はい、何でしょうか?」
「こちらに無縁仏の供養をしているお墓があると聞いてきました。それを見学できますか?」
「無縁仏ですか、ええ、ありますが、どういうことですか?」
浅川は事件の件にはあえて触れないで、石室とその付近で見つかった人骨について話をする。
「ああ、あの件ですか、ええ、確か一昨年でしたか、そんなことがありましたね。こちらで供養しました。ご覧になりますか?」
「はい、お焼香したいと思っています」
和尚さんの手引きで墓に向かう。
戸川は慣れないのか、妙にきょろきょろと落ち着きがない。こんなところに悪霊は出ないと思うが。
お墓が並ぶ墓地がある。山を切り開いて墓地を作ったのか、段になっている。様々な墓石が所狭しと配置してある。墓地脇の石段を登っていくと、一番上に大きな石碑のようなものが見えた。
「あれが無縁塔です。不幸にも御素性のわからなかった方々が安置されています」
高さは2mぐらいあるだろう、石で出来た細長い墓石のような塔がある。
石の表面に黒く無縁塔と書いてあった。
「じゃあ、私はこれで」和尚は挨拶して去っていく。
浅川は準備してきた花を生けると、線香をつける。
戸川は見守るだけだ。この子はこういう経験がまだないのかもしれない。
浅川が線香を置き台に置いて、手を合わせる。戸川も後ろで真似している。
すると浅川の目の焦点がずれてくる。何故か意識が朦朧としてくる。あれ、どうしたのか、こんなところで貧血なのかと思うか思わないかで、意識を失い、その場で倒れてしまった。
浅川が気付くとどこかの和室に寝かされていた。
戸川の顔が心配そうにのぞき込む。
「浅川さん大丈夫ですか?」
まだ、幾分ぼんやりしているが、徐々に覚醒していく。
「私、倒れちゃったの?」
「ええ、無縁塔の前で、暑さのせいですよ」
浅川は起き上がろうとする。
「無理しない方が良いですよ」
そこに和尚さんが冷たいお茶を持ってきた。
「目が覚めましたか?」
まだ、ぼんやりとしているが、体を起こした浅川が謝る。
「すみません。ご迷惑をお掛けしました」
「大丈夫ですよ。まあ、冷たいお茶でも飲んで」
浅川は素直にお茶を受け取る。ガラスのコップに露が付いて持つとひんやりした。
遠慮せずに飲ませてもらう。
和尚が話す。
「そういえば、浅川さん去年来られた時も、同じように倒れられましたね」
浅川は初めて聞く話に驚く。
「え、私がですか?」
「あれ、違いましたか、確か浅川さんだと思っていましたが…。人違いだったらすみません」
浅川に記憶はない。おそらく別の誰かだろう。戸川が言う。
「このところの暑さで、熱中症も流行ってるみたいです」
「昔はこの辺は夏でも涼しかったんですよ。異常気象ですね」
境内からは、セミの鳴き声がこれでもかというほどうるさく聞こえる。
お茶をもらったせいもあって浅川は元気になる。
和尚に礼を言って寺を離れた。
車に乗り込む前に浅川が話す。
「これから図書館に行ってもらえる?」
「ええ、いいですよ」
「私は昔の新聞を調べてみたい。あの人骨について何かわかるかもしれないから」
「ああ、そうですね」
「それで戸川さんにお願いなんだけど…」
「なんでしょうか?」
「行旅死亡人についての資料を確認してほしいの。詳しい内容が知りたい」
「わかりました。報告書以外に覚えている人もいないか当ってみます」
「助かる」
「まかせてください」
返事だけはいい。




