祓い
前日から儀式は始まっていたといえる。いや、それどころか準備自体はもっと前からだった。
萩原からは酒や肉、ニンニクなどの刺激物、いわゆる不浄な物は取らないようにと言われていた。常日頃から不浄な物しか食していなかった浅川にはきつい注文だ。仕方なく前日はほぼ絶食し、数日前からおかゆや梅干しなどの病院食を取っていた。
「力が湧かない…」
萩原から受け取った塩は熊野神社の御神塩だそうで、前日はそれで塩風呂に入り、身を清めた。塩漬けの鮭にでもなった気分だった。
そして封印決行日を迎える。
本日は大安でお日柄も良く、と言った天候のはずが、晴れているのだが、どこか空気がどんよりとしていた。悪霊と対峙するようになって、いつもこの気候だ。
浅川は決意とともに自宅を後にする。これまた塩で清めた車で訓練校まで出向く。
職業訓練校に近づくにつれ、鼓動が大きくなる。それと何故か五感に感じるものがあるのだ。浅川はそういった霊感とは無縁の人間なのだが、それでもそんな風に感じてしまう。
訓練校前には警察官が数名待機しており、周囲を警護していた。野次馬対策なのだろうが、これまでの事件を知っている住民たちが来るわけもないのだ。周辺には警察官しかいなかった。
車を置いて正門まで来ると、刑事課の野崎と戸川が出迎える。
野崎が浅川の衣装を見て言う。
「お疲れさま。なんか巫女みたいな格好だな」
浅川は全身白装束だった。
「これが正式な衣装だそうです」
「ふーん、そういうもんですか。もう工務店の人間も来てますよ。彼も同じような格好でしたね」
まずは倉庫の床剥がしからおこなうのだろう。戸川が心配そうな顔で言う。
「浅川さん痩せましたね」
「まあね。ダイエットじゃないけど、ここんとこ精進料理みたいなものしか食ってないから。きれいになった?」
戸川が微妙な笑顔で相槌を打つ。そこは元気に、はい!だと思うが…冗談でも言ってないと身が持たない。
「何かあったら叫んでください。駆け付けます」
「了解」
叫んでどうにかなる相手じゃないと思うが、そう言ってもらえると気休めにはなる。
浅川は野崎達と別れ、倉庫に向かう。
学校内には人はいない。周辺にも人はいなかったので当たり前だが、いまや校内にいるのは萩原教授と助手の関口、毛利工務店の毛利、それと浅川だけだ。
浅川がいよいよ倉庫に到着する。
倉庫内から音が聞こえている。彼らは作業中なのだろう。
浅川が倉庫に入って行く。例の真ん中の部屋の扉が開いており、3人が作業をしていた。
萩原と関口の衣装はおそらく陰陽師の装束なのだろう、同じような衣装を映画で見た覚えがある。白と黒を基調とした、確か直衣といったはずだ。
部屋の棚類はすでに片づけられており、今や何もない状態である。
その周囲には、しめ縄が張られており、四角形に結界を構成していた。それぞれの四隅には例の四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)が守護している。
「浅川さんご苦労様」萩原がいつもと変わらない笑顔で迎える。
毛利が床板を外しているところだった。彼は浅川と同じく白装束だった。
「萩原さん、動画撮りますよ。いいですか?」
「どうぞ」
浅川は部屋の外、入り口付近に三脚を使ってビデオカメラを設置する。後は撮りっぱなしにする。
部屋の中に入ると、すでに床板は外し終わっていた。
床から地面までは50㎝ぐらい落とし込まれており、地面は土がむき出しになっている。そこには1m四方の鉄板があった。それがすでに少し変色していた。
毛利は床下に降りて状態を確認している。そして首を振りながら、恐る恐る話す。
「おかしいです」
「どうかしましたか?」
「ええ、これ、ステンレス鋼板なんですよ。2年ちょっとしか経ってないのに、ここまで変色するかな」
上から見ても確かに板は黒ずんでいた。
萩原が落ち着いた口調で言う。
「そういうことだと思います。それだけ悪霊の力が及んでいるということでしょう。じゃあ、毛利さんはここまででけっこうです。後は我々がやります」
毛利はほっとした顔になる。
「そうですか、骨壺はこの鉄板の下にありますから」
毛利が地面から床に上がっていく。
「萩原さん、よろしくお願します」
萩原はうなずく。
毛利はどこか心配そうに現場から去って行った。
萩原が浅川に向き直る。
「浅川さん、これは最終確認です。貴方も参加するということでいいですね」
「はい」
「そうですか。では今日の作業について説明します」
浅川ののどが鳴る。
「我々がおこなうのは、神道、修験道、陰陽道を統合し、悪霊が封じられた骨壺を完全に封印するための儀式になります。これは現在、考えうる最高の封印だと自負しています。京極刑部についても調べました。敵を知ることはもっとも重要な事柄です。その上で先ほど述べた儀式としました。具体的な内容は追々わかると思います。浅川さんは我々の手伝いをしてください」
「はい、なんでも指示してください」
萩原がうなずく。
「じゃあ、始めましょうか。まずは鉄板を外します。浅川さんも手伝ってください」
まず萩原と関口が床下に降りる。萩原が手を取って浅川が床から地面に降りる。
この夏の真っ盛りに妙にひんやりとする。土がむき出しだからだろうか、いや、そうとばかりは言えない気もする。
萩原が呪文を唱え始める。
3人がかりで鉄板を外していく。
ゆっくりと外すと中の壷が見えてきた。どこかむっとした臭気が流れ出す。鉄板を床上まで上げるとついに骨壺が姿を現した。
そして、おそらくこれは当時のままだろう、1m四方の墓穴ともいうべき石で出来た石室があり、その周囲には何かの文字跡が見えた。ここには呪文が書いてあったようだが、すでにそれは読めないぐらい朽ちていた。石室の中央に骨壺があった。
話に合った通り蓋は封印されており、その蓋の周囲は粘土で固められていた。封印のためのしめ縄があり、五芒星の印が蓋には施されていた。
萩原はずっと一心不乱に呪文を唱えている。関口が床に上がると箱を持ってくる。50㎝角の立方体の箱である。箱を開けると中に鏡があるのがわかった。内側が鏡で出来た箱だ。
その中に骨壺を入れる。
箱の外側にも呪文が書かれている。五行(木・火・土・金・水)や五色(青、赤、黄、白、黒)の色とりどりの文字だ。さらにそこには五芒星の陣があった。
関口が浅川に床に上がるように手で指示する。浅川が一人で床に上がる。これからは浅川が荷物を渡す役目となる。
「しめ縄を取ってください」
床には四角い木で出来た薄い箱型の容器に、様々な神具が入っていた。
そこにあったしめ縄を渡すと、萩原たちはそれを箱の周囲に巻いていく。しめ縄は十字や米字の締め方をして、箱中が覆われていく。
「そこにある榊、それとお神酒と塩、神米を取ってください」
浅川が榊と神々しい白い徳利にはいったお神酒と、升に入った塩と米を、それぞれ関口に渡す。関口はそれらを箱の周囲に撒いて榊を使って清めていく。これは神道に準じた行為なのだろう。
萩原の呪文が終了し、関口と二人で床まで上がってくる。
「これから最後の封印を行います。これからその石板で蓋をします」
先ほどの鉄板と同じぐらいの大きさで、厚みは2㎝ぐらいの石板が置いてあった。
関口と萩原が二人がかりでそれを持つと、床から地面まで降りていく。
石板は石室を丁度隠す大きさである。文字が書かれており、中心となる符は「五芒星(晴明桔梗)」「北斗七星」「封印」「鎮」などが読み取れる。
ゆっくりと石板を置く。これで石室は塞がれた。
「浅川さん、そこの壷を降ろしてもらえますか。重いですよ」
漬物でも入っているのかと思うぐらいの壷があった。持つと確かに重い。5㎏以上はありそうだ。それを下の萩原に手渡しする。
壷の中身は粘土のようだった。二人掛かりでそれを使って石板の周囲を塗り固める。封印である。
二人とも汗だくになりながら、最後の封印を終える。
床に上がり、二人掛かりで呪文を唱える。いよいよ最後の儀式なのだろう。
30分近く呪文を唱えると、ようやく儀式は終了したようだ。
萩原と関口が抱き合って握手する。
浅川が話しかける。
「うまくいきましたか?」
この日初めて萩原が笑顔になる。
「封印出来たと思います」
「それは良かった」
「じゃあ。出ていいですか?」
「どうぞ」
浅川が部屋に張り巡らされたしめ縄の結界を抜ける。
ビデオカメラを止めようとした瞬間、えも言われぬ臭いがする。こんなものは嗅いだことがない。モノが腐ってもこんな匂いにはならないだろう。そして後ろから鈍い音が聞こえだす。
「えっ?」
浅川が振り返ると萩原が青くなっている。
地面から何かの靄が湧き出てくる。そしてものがこすれる音。ズルズルっといった低音が聞こえだす。そして床に開いた穴から、まずは手のようなものが出てくる。次に顔を出したのは顔が崩れ落ちた、死骸のような人間たちだった。
ゾンビ…。なんとゾンビが続々と湧き上がってくるではないか。
浅川が悲鳴をあげる。まず関口が足を取られ、床から下へ引きづりこまれる。さらにどんどんとゾンビが増えてくる。一匹どころではない。3匹、4匹と増えてくる。そして一人が関口ののどに噛みつく。鮮血がほとばしり、悲鳴が響き渡る。萩原は関口を救おうとするが、多勢に無勢で如何ともしがたい。
「萩原さん、逃げて!」
浅川が叫ぶが、萩原も湧き出るゾンビに掴まれるしかない。萩原の首からも血がほとばしる。彼らは絶叫の中、食われ続けるしかないのだ。
ああ、このゾンビは鬼と同じだ。ごおごおと声にもならない音を吐き出しながら、二人をむさぼっていく。悲鳴と咀嚼音が不気味に響く。二人のもがきが段々と弱まっていく。
そして萩原が死の間際、何かに気付いたように浅川に向かって叫ぶ。
それは最後の叫びだった。
「京極じゃなかった…」
浅川が涙交じりに叫ぶ。「え、どういう」
「よ・り・し・ろ…」
それが萩原の最後の言葉だった。二人とも床下に引きづりこまれてしまった。
そして床には夥しい血だまりが残っただけとなった。




