民俗学・文化人類学教授
芥川がその場で連絡を取ってくれた教授は、同じ長野科学大学の萩原辰巳だった。
学部は人文学部で専攻は民俗学・文化人類学だという。
その萩原がすぐに面会を了承してくれたので、浅川たちはそのまま人文学部に行く。
「浅川さん、よかったですね。少しだけ期待が持てそうです」
「頭ごなしに馬鹿にされなくてよかった。県警の刑事なんか、下手すればこっちの頭を疑ってたもんね」
「申し訳ありません」
「戸川さんが謝る話じゃないよ。まあ、私だって今までだったら同じ反応をしたかもしれないから」
人文学部は農学部とは違い、文系の学部である。そのためか実験器具などの理化学機器はあまりない。校舎内もそういう雰囲気だった。
ところが萩原の研究室は一線を画していた。
研究室に入ると、所狭しと理化学機器が置いてあるではないか。自作したのか汎用の筐体にボタンやLEDが付いているようなものまである。これで何をしているのか興味がわく。
部屋にいる学生だと思われる若い人間も、どこか違って見える。およそ人文学科の学生ではない感じだ。理学部よろしく白衣を着ているものまで居る。
そんな学生たちが突然入り込んだ女性に驚いている。
ただ、若者の目はほぼ全員戸川に向いている。それは仕方が無いか。
「萩原教授はおられますか?」
学生たちが教授を呼ぼうと立ち上がると、奥からぬっと男が出てきた。歳は40歳代と先ほどの芥川と比較すると随分若く見える。ただひげ面で髪もボサボサである。こぎれいと言うものからは程遠い人間だ。
「えーと浅川さん?」ぼんやりとたずねる。
「はい、長野日報の浅川と」「木曽福島警察署の戸川と申します」
「ああ、萩原です。まあ、入ってください」
そういうと自分の部屋に案内する。
6畳ぐらいの狭い部屋に、それこそ、ここまで荷物が入るかというぐらい、本や段ボール何かの器具までもが散乱している。
萩原は自室に招いて失敗したかと言う顔になる。
「学生だったら、適当に片づけて座ってって言うんだけどな」
「ああ、大丈夫です。適当に座らさせてもらいます」
萩原が笑顔になる。そういった顔は、ますます学生に見える。
浅川が物を片付けると椅子らしきものが見えてきた。ただ、一つしか見当たらないので、戸川と半分づつ分けて座る。
萩原は自分の机の上の本を退かすと、机の上に腰かけた。椅子はどこに行ったのだろうか。さっそく、萩原が話し出す。
「実は少し前から木曽福島の件は気にかかっていました。およそ獣害とは思えないような事件が続いていましたよね」
話が早くて助かる。
「そうなんです。それで先日はさらにもっと奇妙な事件が起きました」
そう言うと浅川は鬼の話をする。萩原の反応は芥川とは全く異なる。それこそ小学生が新しいゲーム機を手に入れたかのような顔をしている。萩原側から何度も質問し、興味津々に聞いている。一通り聞き終えると感想を述べる。
「なるほどね。実に興味深い」少し考えをまとめるのか黙りこむ。「文化人類学的な見地から言うと鬼と言う存在は『境界外に存在するもの』になります。異界だとか、我々がいる世界とは異なるところから来たものということです。畏怖すべき存在です。日本は島国ですから外界から異人が来ると、それは鬼のように見えたのかもしれません。鬼についてそういった考え方をする者もおります。ただ、今回の事案はそれとはまったく異なると思います」
「そうですか」
「ええ、これまでの事件と並行した事案だと考えてみましょう。そうすると見えてきます」
「何がですか?」
「鬼を獣害に置き換えてみましょう。つまり単純に考えて、これは悪意ある何かの作為だと思えます。言い換えれば悪霊の仕業だということです」
あっ、浅川と戸川が同じように声を出す。
「あの、悪霊などと言うものが本当に存在するんでしょうか?」
萩原がにやりと笑う。
「あなたがそれを言いますか?だって実際見て来たでしょ」
浅川が息を飲む。
「見たものは信じるしかない。かくいう私も何回かそういう霊に遭遇しています。それと映画にもなったように、悪霊が人間に憑依するような事例は数多く報告されています。それが世界的にです。キリスト教では現在も悪魔祓いの儀式が行われています。悪魔祓いは、世界のどこでもどんな宗教でも行われているんです。日本でも狐憑きだとか犬神憑きなどの動物が憑依することもありますよね。やはり同じように除霊が行われています。最近でも自殺者が相次ぐアパートを除霊したところ、自殺者が出なくなったという事例もあります」
「でも今回のような殺人事件までは起きていませんよね」
「確かにそうですね。ただ、悪霊が物を動かしたり、人を浮かせたりすることはあるようです。ポルターガイスト現象ですね。それと今言われた殺人事件ですが、果たして誰が殺したのかわからない事件は、これまでだって数多く起きてますよね。結局、犯人不明で片づけられている。それこそそれは悪霊の仕業だったのかもしれませんよ。ですから可能性としてあり得るのではと考えます」
「悪霊が形を変えて、人を襲っていると言うんですね」
「そういうことです。そういった能力を持った強力な霊がいると考えます」
浅川はこの萩原と言う男は初めて信頼できる人物だと思った。
「わかりました。それで本題です。萩原教授のほうで何か策はありませんか?」
萩原が真剣な顔になる。
「やる価値があると思っています。ただ、熊野修験道の除霊師が失敗している点がひっかります。熊野修験道の結城宮司と言えば神道において最高の宮司です。私も結城宮司の御尊名は伺ったことがあります。その師をして除霊できなかった…」
「やはり難しいですか」
「まずは情報が欲しいです。その悪霊がどういった経緯で木曽福島に現れたのか、また、殺害された人間たちが何故、襲われたのか。そういった点を明らかにしましょう。敵の姿を知ることから始めたいと思います」
「わかりました」
浅川たちに希望の灯がともる。




